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「水の王子・丘なのに」(5)/204

「水の王子・丘なのに」(第五回)

【彼の友人たち】

ここのところワカヒコは本当に満足していたのだ。船の上から見下ろしていた浜辺や岬を、自分の足で歩いて人々とことばを交わしているのが信じられなかったし楽しかった。山や滝が消えてしまったのは残念だったが、村の人の苦労を思えば、自分がそんなことを言うのはぜいたくだという気もした。新しくできた湖や、大きめの川も、まるで昔からそこにあったようになつかしかったのだ。
 オオクニヌシやスセリとは、なかなか話す機会がなかった。その分、村の若者たち、特にコトシロヌシとニニギとタカヒコネの三人組にはよく会った。アメノワカヒコとも仲がよかったらしいこの三人は、しょっちゅうべったりくっついているわけでもなく、ツクヨミの店でもばらばらに食事をして、そのまま口もきかずに出て行ってしまうことも多かったが、その分他人を排除もせず、ゆるやかにつながりながら、いつしか村の中心になりはじめているようだった。
     ※
 タカヒコはこの三人が、皆それぞれに好きだった。
 山がまだあったころはいつもその頂上の小さな小屋に一人で暮らして、人間よりは鳥や星を相手にしていたらしいコトシロヌシは、長い手足をもて余しているような、ちょっとぎくしゃくした身のこなしや、暖かくのどかな口調とまなざしが、どこやら若いときのトリフネに似ていた。タカヒコのことをどことなくきちんと認めてくれているような雰囲気が、いつもそこはかとなく見えるのも嬉しかった。そのくせ、時々ちらとかいまみえる、人の悪そうな笑顔や、落ち着いて冷静なひと言が、ぴりっとさわやかな味が引きしめる飲み物のようだった。
 ニニギは、ととのった顔立ちと澄んだ声が快い、どこから誰が見てもタカマガハラの戦士とわかる品の良さとまじめさが、まっすぐに伝わってくる若者だった。その分、予想がつきすぎて面白くないとか、融通がきかず冗談が通じない退屈さもあると言われることもあるようだが、そのわかりやすさと裏表のないさっぱり感は、かえってタカヒコには安心できた。何より大先輩とは言え、もともと同じタカマガハラにいて、今もその戦士の一人としての生き方を変えているわけではない。その分、話が通じやすく、考えていることもわかりやすかった。
 その点ではタカヒコネが一番わかりにくいのだが、タカヒコにはそこがまた一番魅力的だった。たくましく、しなやかな身体つきにも鋭いまなざしの男らしい顔にも、タカマガハラの若者にはない野性的な荒々しさが漂う。その一方で繊細な傷つきやすさと得体のしれない気品のようなものもあって、それらが絶妙に入り混じっていた。だからこちらは用心して被害にあうまいとするのだが、いつの間にか気がつくと、こっちが彼を傷つけないよう用心しているのに気づくのだ。
 ひとつには、どうやら三人の中ではタカヒコネが一番アメノワカヒコと親しくしていて、それだけに、うり二つのタカヒコを見るととっさにワカヒコを思い出したり、それでとまどったりいらだったりする割合が、他の二人より多そうなせいもあった。表にはもちろん見せないが、そこは何となく伝わってくる。
 それでいて、三人とじかに会うとタカヒコはとにかく楽しくて、面白くてわくわくして、いつも以上についはしゃいでしまうのだった。三人がそろった時にかもしだす、どうかすると不協和音のような華やかさが、刺激的に心をくすぐるのかもしれない。
     ※
 ここにワカヒコがいたのか。彼が加わったら、この集団はどうなっていたんだろうなあ。
 そんなことも時々思った。あの涼やかで、さわやかで、なよやかに首をかしげて相手をのぞきこんだり、肩をよせてきたりする時の、人なつこいのに人をよせつけないほほえみ。それらが三人の友人たちの表情やしぐさの一つひとつの上に、からまるように、はめこむように浮かび上がって来る。時には、そのいたずらっぽい目がまっすぐに自分に注がれるのも感じる。拒絶も防御もそこにはなかった。いていいんだよ、とその唇が語りかけるようだった。皆のことは気にするなよ。ほら、話せよ、いつものように。そう言われているような気がした。

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カツジ猫