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「水の王子・町で」(3)/205

「水の王子・町で」(第三回)

【タヂカラオの町】

「まあ、これはこれは」薄紅色の布をあらためて顔にまきつけながら、アワヒメが小さく嘆声をもらした。
 二人はタヂカラオの町の入り口に立っていた。さほど広くはない色あせて古びた敷石の道が木陰の下をやや曲がりくねりながら町の奥へと続いており、通りの両側には大小さまざまの店や、石や木の食台の椅子を並べた小さな空き地が広がっている。
 通りを行き来しているのは、見るからにたくましい男女で、武器を背負っている者もいたが、何も持たずにただ太い腕や厚い胸板、丸太のような足を、なかばあらわにしている者の方が圧倒的に多い。
 とは言え、誰もがおだやかな落ち着いた、自信にあふれた顔をしていた。大声で話す者さえおらず、のどかな静けさがあたりを包んでいる。皆が木漏れ日をまだらに浴びながら、すれちがう男女の肉体をときどき値踏みするようにながめているが、その視線もどこやら楽しそうだった。
 よく見ると、その間を、枯れ木のようにやせこけて男女の区別もつかないぐらい、やつれはてた老人や、青ざめてひよわそうな子どもを抱いた両親や侍女や召使いらしい人々も、ゆっくり通り抜けていく。太い豊かな水流のなかに、細い流れがちょろちょろと入り混じりながら流れて行っているようだった。たくましい男女は、その人たちに道をよけてやり、時には立ちどまってことばを交わし、うれしげに自分たちの身体にふれてくる老人や子どもに、好きにさせていた。
 おほほ、おほほ、としわがれた声でせきこみながら陽気に笑う老人が、たくましい女の一人に、昨日の試合は残念だったと話しかけているのが聞こえる。「今日もあんたの試合を見に行くからね」と老人は言っていた。
 「お身体の方は?」
 「よくはないさ。でもどうせなら、あんたの戦うのを応援しながら死にたいよ」
 「あはは、がんばりまーす」女はこぶしを振り上げた。
 「何ですかこれ?」タカヒメはささやきながら、あっけにとられている。
 「何なのでしょうね」ささやき返しながらアワヒメは、あたりを見回す。「それにしてもサグメさまたちは、どちらにいらっしゃるのかしら?」
 「これじゃなかなか見つかりませんよ」タカヒメは言った。「道がせまい上に歩いてる人、皆でかいから、こみあっちゃってもう。とりあえず、そのへんの店、のぞいてみます?」
     ※
 最初の店は天井から怪しげな干し肉がいくつもぶら下がり、次の店では大きな亀がいくつも並ぶ中にうごめくヘビやトカゲを人々が熱心に物色していた。三軒めの店では薬草のたばが棚に並べられ、四軒めでは大きな黒いけものが昼寝していて、子どもたちがなでて喜んでいた。五軒めの店でようやく、サグメが村から連れてきた若者と娘たちが見つかった。
 サグメ本人もそこにいた。「やあ、アワヒメ」壁によりかかったまま、うんざりした声で彼女は言った。「遅かったね」
     ※
 「お買い物ですか?」タカヒメが聞く。
 「見ての通りさもうまったく」サグメがあきらめたような声を出す。
 店の中が薄暗いのもあった、ナカツクニの若者たちはアワヒメたちに気づいていないようだった。「ねえ、これを見て」娘の一人が声をあげた。「どんなに日にあたっても肌が傷まない薬なんだって。髪に塗っても艶が出るそうよ」
 「あたしはそれより、こっちがいいな」別の娘が言っている。「筋肉がひきしまって強くなる塗り薬だって」
 「おれはこの目薬。夜になっても的がしっかり見えるとか最高じゃん。でも、こっちもほしいなあ。ひげや髪がのびるってやつ。おれは毛が少なくってさ」
 「おれは逆だな。足も手も、もっとつるつるすべすべになる、こっちの薬の方がいい。その方が戦うときも、相手からつかまえられにくくって、いいんだぞ」
 「あんたたち!」たまらなくなったようにサグメが後ろから、すごみのきいた声をかけた。「いいかげんにしな。ワカヒルメ、傷痕をかくす塗り薬なんて何考えてるんだかね。んなこと言うんだったら、顔も身体も傷だらけの、このあたしなんかどうなるんだい?」
 「そりゃサグメさまは身体やお顔の傷なんて、全部名誉の負傷じゃないですか。ただカッコいいだけですわ。あたしだって、そんなんだったら見せびらかします」ほおに小さな傷痕がのこる、かわいい娘が小さい薬のつぼを手にしたまま、唇をとんがらかせた。「あたしたち、田舎娘の傷痕なんて、ただへまをしたしるしでしかないんですから」
 「そうすよ」若者たちも言い張った。「サグメさまみたいな歴戦の勇士なら、おれたちだって、毛があってもなくても、やせてても太ってても平気っす。今はせめて、見た目をちゃんとしとかなくちゃ、敵にだってなめられるっしょ?」
 「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとお待ちを、失礼をば」店の奥で聞いていた、小柄ながら、がっしりした主が飛び出してきた。「ひょっとして、アメノサグメさまですか? あの有名なタカマガハラの!?」
 サグメは両手の平を上に向け、天井を見上げた。「これだから」と彼女はつぶやき、他の客たちもこちらを見て、興奮したようにささやき出したのを見て「行くよ」と娘たちに告げた。「さっさと注文すませておしまい」
 「お待ち下さい、そういうことでしたら、皆さんにお安くしときますから、今後もどうぞお見知りおきを」店主はぺこぺこもみ手をし、若者たちは歓声をあげ、サグメは客をおしわけるようにして、アワヒメとタカヒメをひっぱって、さっさと店の外に出た。
     ※
 「私の船の者たちも、皆あんな風なのかしら?」アワヒメが顔の布をまきなおしながら心配した。「たしかに、身体をきたえるのに熱心な男女にしてみれば、この町は夢の国みたいなものでしょうからねえ」
 「タカマガハラの連中はちょくちょく来てるんだろうから、いくら何でもああじゃあるまい」サグメは言った。「もうあの連中はほっといて、そのへんでお茶でも飲んで一服しようか」
 店の横の空き地に三人は入って木陰の椅子に座った。さっきの店主が息せき切って走ってきて、うやうやしく三人の前に、熱いお茶の入った湯のみをおく。「これは疲れがとれて元気が出ますよ」と得意満面で言いおいて、彼は店に戻って行った。
 「皆が買いそうにしてた、あの薬、どれも大丈夫なんですか?」タカヒメが気にする。「インチキってことはないんでしょうね」
 「その心配はなさそうですよ」アワヒメはほっそりした指で湯のみを持ち上げ、布の間から優雅にすすった。「タケミカヅチから聞いたところでは、この町は治安はしっかりしているし、怪しいものは売らないように、役人たちが、いつも厳しく見回って、とりしまっているようですから」
 「ああ、さっきも店に来てたね」サグメがうなずく。「灰色の布をかぶった連中だろ?」
 「そうらしいです。灰色のカラスと呼ばれて、恐れられているのだとか」
 「それって、灰色の町から来た人たちなんですかね」タカヒメがお茶をすすって、「わあ、おいしい」とつぶやいてから聞いた。「アメノワカヒコさまが解放したっていう」
 「そんなこともあったね」サグメが言った。
 「かなりの人数がいるから、その後、増えてもいるんでしょうけれど、中心になっているのは、あの町で救われた人たちのようですね」アワヒメが言った。「タヂカラオと同じで、ワカヒコさまのことを今も大事に思っているとか」木漏れ日の下を行き交う、たくましい男女をながめながら、彼女は何かをなつかしむように「そう聞くとほっとしますわ」と言った。「ワカヒコさまがナカツクニに行ってしまって戻らなかったころ、タカマガハラでいろんな噂が流れていましたし」
 「ああ、知ったかぶりのバカどもが、彼について見当違いの悪口をぐちゃぐちゃ言い出してたころだね」サグメはあっさり片づけた。「あんたまで、そんなことを気にしていたの?」
 「サグメさまがタカマガハラを出られたころは、まだそうひどくはなかったんです」アワヒメはひっそり言った。「アマテラスさまのお姿が消えて、その後、ワカヒコさまが次の支配者になって下さるだろうと皆が期待していただけに、いつまでもご消息がないことに不安がつのったのも無理はないのですけれど、しばらくはひどい状態でした。あのときにキギスさまがいて下さらなかったら、本当に私たち、どうなっていましたことか」

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カツジ猫