「水の王子・町で」(4)/207
「水の王子・町で」(第四回)
【将軍キギスの時代】
「正直言って、それについちゃ私も一度聞きたいと思っていたのさ」サグメはほおづえをついてアワヒメを見た。「あの娘が将軍になるまでに、タカマガハラじゃ何があったのさ?」
「何って…」アワヒメは顔をおおった布をすべらすように落とし、黒い大きな目と、感じやすそうなふっくらした唇をあらわにした。
「ふしぎな力を持っていたのだよね、キギスという子は。誰かに傷つけられたら、ただちに相手をそれ以上に傷つけて、時に殺して、ほろぼしさえする」
「ワカヒコさまへの悪口からはじまって、あのころタカマガハラと船団を支配していたのは、無知と無責任、混乱と無気力」アワヒメはものうげに言った。「そういうことがはじまったきっかけは、ほんの一人か二人だったのかもしれない。でもそれが、みるみる広がって行きました。その愚かさと残酷さをくいとめるすべを、私たちは知らなかった。ただ、傷つきつづけ、ただ苦しみました。かしこくて、心優しい者ほどが」
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「キギスさまが、あのような力をお持ちになったのは、私たちのせいではないかと思うことがあるのです」アワヒメはかすかな吐息をついた。「あの方ご自身がどうしてあんな能力をおそなえになったのかわからないと言っておられました。スサノオの都から、ご自分のつばさで、あの方は飛んでこられて、ただひっそりと暮らしておいでだったのです。幸せそうに、お一人で、林のはずれの小さなお家で。ときどき船に乗って手伝いをしておられたけれど、戦おうとはなさらなかった。絶望と悲しみの中で何人も将軍が代わって、先も見えず、戦う力も失いかけていたある日、あの方は自分から将軍の前に行って言われたと聞いています。私に指揮をとらせて下さい。ありとあらゆる憎しみと悪口の矢を私は自分の身体に受け、心に受け、それを倍にして返して、その者を葬ります。それは私にも何ともできない、私の力なのです…と。支配者たちも危ぶみながら、彼女の言う通りにしました。彼女を矢面に立て、指揮をとらせました。案の定、すぐに無責任な批判や見当違いな悪口が彼女に向かって浴びせられましたが、その日の内に、それを口にした者のすべてが、気が狂って船から身を投げて死にました。数日それが続くと、無責任な憎悪や嘲笑をあからさまに口に出す者はいなくなりました。誰もそれを窮屈とか不自由とか感じた者はいませんでした。誰もが疲れ果てていて、そのことにほっとしたのです」
「実際の戦闘でも、その力は発揮されたのかい?」
「ええ。すぐにそれはわかりましたわ」アワヒメはうなずいた。「あの方の腕に刺さった火矢を放った敵の兵士はたちまち炎に包まれて、ときには船やとりでそのものが燃えました。あの方の胸をつらぬいた刀を手にしていた兵士は、即座に身体がひきさかれ、部隊全体が血煙をあげて、ばらばらになりました。あの方が血を流して倒れて、苦しまれるほどに、恐ろしい被害が敵に生まれ、ほとんど戦わずして私たちは勝った。恐ろしかった。…いえ、恐ろしくなかった。それが何より恐ろしかった。傷ついて息もたえだえになる、あの方を見るたびに、気味悪いともかわいそうとも思う前に、期待と希望に満ちた目を私たちはいっせいに敵にそそいだのです。どんな罰を受けるかと。どんな報いが訪れるかと。そして力がみなぎりました。喜びと、戦う決意が次から次に生まれました。あれほどに敵が苦しんで滅びることを快く思ったことはありません。楽しいと思ったこともありません。一人残らず私たちはそうだったと思います。ひたすらに、容赦なく、受けた苦しみと悲しみを、何倍にもして返しつづけたのです。悔いもなかったし、ためらいもありませんでした」
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「そんな力をキギスさまに与えたのは、あなた方のせいだとおっしゃるのですか?」タカヒメがおそるおそる聞いた。
「今の私には、そうだとしか思えなくて」アワヒメはゆっくりと言った。「アメノワカヒコさまを私たちは愛していました。タヂカラオも愛していました。二人をたてつづけに失って、しかも二人のことを何も知らない、わからない人たちのあまりにも見当違いな悪口が浴びせ続けられる中で、私たちは黙って耐えていましたけれど、いつか心にふりつもったのは、絶対に許せない、何があっても受けた苦痛のすべては、それ以上に思い知らせるという決意でした。決して口に出さないまま、そのことを心のなかで皆が育てていたと思います。でも、それはやがて私たち自身もむしばんだ。弱い者たちの心がほころび、相手かまわず他人や周囲を傷つけはじめた。考えなしの独りよがりの泥のようなことばを、まきちらして、こぼしつづけて。そんな中でキギスさまは、地上での思い出や、そのような皆の心を重ね合わせて、ひとりでにあのお力を身につけられたのだという気がしてなりません。私たちを罰し、そして救って下さった。そのやり方はまちがっていたかもしれませんが、たとえ誰が今、それを責めても、私は気にはいたしませんわ。恥じることも、後悔することもありません」