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「水の王子・町で」(6)/209

「水の王子・町で」(第六回)

【競技場の少女】

「あ、サグメさま、よかった、ここにいらしたんですね!」
 息を切らして数人のナカツクニの若者が、ばたばたと草の上を一同の方にかけよって来た。「あのですね、お話が、いえ、お願いが、というかご相談が」
 ああもう、やれやれ」サグメはうなった。「今度は何だい? いい爪みがきのぬり薬でも見つかったのかい?」
 「そんなんじゃないです、あの、その、あっちの、道を曲がったその向こうに、ちょっとすてきな競技場があって、そこでもう朝からずっと弓の試合が行われていて!」
 「はいはい。それで?」
 勝ち残り戦で、もう百人がそこらぐらいが脱落して入れかわって、どんどん飛び入りがあってるんですけど」娘たちは息を切らせて胸を押さえた。「どう見ても、あれならあたしたちの方が勝てるって思うんです。皆で参加してもいいですか?」
 「弓、持ってないだろ?」
 「会場で貸してくれるそうです。ぜひやってみたいんです!」
 「賞品もあるらしいですよ。身体にいい酒とか、めったに手に入らない薬草とか」
 「ヌナカワヒメにもおみやげになるし!」
 サグメはため息をつく。アワヒメが布の間から目で笑った。
 「行かせてあげれば」彼女は言った。
     ※
 それは比較的小さな、何のかざり気もない競技場だった。音楽もなければ旗もない。ぎっしりとつまった観客席に老若男女あらゆる人々が肩を並べて身をのり出して、熱心に夢中になって見つめる先に、丸い大小の的が並び、ひゅっ、ひゅっ、と風を切って射手たちの矢が飛んでいた。
 「いいぞ、赤毛の大将!」
 「行け行け、緑の帽子!」
 そんな声がときどき飛ぶ。
 的が倒れると少年少女たちがすばやく刺さった矢を集めて数えては、一番当てた数の少ない者を指さしては退場させる。すかさず入り口あたりで待っていた男女の中から、代わりの一人がすべりこむ。
 ずらりと並んだ射手の中に、ナカツクニから来た若者たちは、まだかなり残っていた。ワカヒルメという名の子どもっぽい顔の娘が、ひときわあざやかに的を倒して人々の注目と歓声を集めはじめている。
 「まだまだ矢のつがえ方が遅いねえ」サグメがながめて批評している。
 そのワカヒルメの肩までもない、ほんの子どものような少女が、思いがけない正確さで次々に矢を射て、皆のかっさいを浴びていたが、さすがに疲れてきたのか何本か矢をはずし、退場を言いわたされて、くやしそうに金色の髪をふさふさとゆらしながら階段をかけ上がって来た。間近で見ると、いちだんとまだ幼い。白い肌に血の色がすけ、緑がかった大きな目が愛らしかった。
 「あら、タクハタじゃありませんか?」アワヒメが思わず声を上げる。
     ※
 少女はふり向き、顔を輝かせた。「アワヒメおばさま? いらしていたの?」そして残念そうに言った。「私が、あの赤い丸い的を飛ばしたときのこと、見て下さった?」
 「ああ、残念だわ。さっき来たばかりなのよ」アワヒメは少女を優しく引き寄せて、そのもつれ気味の髪をなでて、整えた。「あなたこそ、お母さまは?」
 「どこか、そのへん。飲み物を取りに行ったんだと思う。ねえ、お忙しくていらっしゃるの? このごろちっとも来て下さらないから、お父さまも妹も淋しがっているわよ」
 少女の口調もしぐさも表情も、てきぱきしていて、人なつこく、そのくせいかにも上品だ。
 「今度行くわよ。お約束ね」アワヒメは少女の髪に口づけし、二人の金色の髪が入り混じった。
 わあっと声が上がった。ワカヒルメが、たてつづけに二枚の的を射抜いたのだ。「あの姉ちゃん、やるう!」と後ろの席の男の子が興奮して飛び跳ねた。
 「こらこら、座席がこわれる」あたたかい太い声が注意した。「おとなしゅうせんか、ヤタ」
 「だって、おっしょさま!」
 男の子の声に回りの何人かがふり向き、たちまち「タヂカラオさま!」と親しみをこめた声がいくつも上がった。「いらしてたんで?」
 「まあ、そのちょっと、いやちょっとな」小山のようにたくましい大男は、もじもじして身をすくめ、「わしらもう帰るから、皆はどうかゆっくり見とって下され」と口ごもった。
 人の注目や親しげな笑顔を浴びせられるのは、どうやら苦手なたちらしい。回りもそれを知っているのか、それ以上大騒ぎせず、笑い合って見守りながら道をあけた。大男は少年の肩を押しながらその間を抜けようとして、ちょうど目の前の二人の女と目があって、棒立ちになった。「こりゃまたどうだ。アワヒメとサグメさまかね?」
 「おばさま、あたしもう行くわ。お約束よ、来て下さいね」さっきの少女タクハタは小さな弓矢を抱え直すと、手をふって、さっと人混みの間に消えた。
 「ええ、ええ、きっと行きますとも。お母さまによろしくね」後ろから声をかけたアワヒメは、ほんの少しこわばった顔でタヂカラオに向き直る。薄紅色のかぶり布がすべるように床に落ち、タカヒメがあわてて拾い上げる。
 いつもなら瞬時に周囲の目を引くにちがいない華やかなアワヒメの美貌も、この競技場では気にする者がいなかった。「またあの娘じゃ! みごとな腕じゃ!」と車椅子の上のやせこけた老人が声をはり上げた。「やりおったやりおった、いいものを見せてもろうた、もうこれで死んでもええ!」
 タヂカラオは老人の肩をそっとたたいてから、「さて、はよ、逃げ出さにゃ」とつぶやいた。「お二人とも、ここじゃ話もできんから、うちに来なさらんか、すぐそこじゃから」
 「行っといで、アワヒメ。あとで船で会おう」サグメが言った。「あたしはあの連中の腕を見届けておかないと」

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