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あら、うれしい!

えー、「水の王子」連載、本当に長くお休みしていたので、今さら読んで下さる人がおいでなのかな、とびびっていたのですが、そこそこアクセスあるばかりか、即座にいいねをつけて下さった方までいらして下さって、びっくりしたり安心したり。

実はですねえ、断捨離の一環として、あまった原稿用紙、古いレポート箋の残り、その他もろもろ「白紙」が山ほど出て来て、その始末に苦慮するのです。廃棄する方も多いのだろうけど、「何も書いてない紙」って、どうしても捨てられない人種もいるのよね。私だけかと思いながら皆に聞いて回ったら、行きつけのお店のオーナーと店長も顔を見合わせて「そう言えば捨てられない」と言うし、大学以来の親友は電話で、「自分は昔、がっつり穴をあける一穴用の巨大なパンチを持っていて、それで穴開けて綴じては使っていたのだが、今は持ってない(職場用だったのかな)から、その商品を探しているけど手に入らず欲求不満」という過程と現状を長々と話してくれて、たまたまなのかもしれないけど、私の親しくしている人には、こういう共通点がやっぱあるのかなと、変に感に堪えた次第。ただし、そんな風だから、どうしていいのかという点では新情報も発想も得られず、何の参考にもならなかった(笑)。

最近思い切って、小説の下書きの原稿用に使ってみた。これも実は勇気がいって、私が四十年ぶりに「水の王子」を書けだしたのは、余っていたノートファイルを使ってみたのがきっかけで、それ以来ずっと同じファイル用紙を購入して下書きを書いてきていた。これを変えたら創作意欲も消えるか変わるかしやしないかと思うと恐くてですねえ。どうしても変えられなかった。

でも、新しい用紙を買いつづけるのも、ちと負担だし、これだけ白紙が余ってるんだしなあ、と、とつおいつして、一大決意をして、えいやっと余った白紙で書いてみたら、書けるではないの、小説の下書き!
 大喜びで、半端な紙に書きためてはホチキスで綴じてファイルに入れて、もううれしくてたまんなかった。ちょうどその頃、授業の毎時間の小レポートにも、「古くってごめんねー」と学生に謝りながら、黄ばんだ白紙を使いだしたら、これも皆さんがまんしてくれたばかりか、紙が大きめな分、内容も増えて、こちらでも使い道が出来たし、前途は洋々(笑)。

それはいいけど、調子にのって、どんどん原稿をためてしまって、実はけっこう膨大な量になってしまって、しかも「岬まで」、まだ完結してないのよね。ぐう。

当初の再開で完成した「村に」に続く「山が」「空へ」も、もうすぐ紙本ができそうなんだけど、こちらで連載した、それに続く「畑より」(まあこれは短い)「町で」「丘なのに」「渚なら」の出版も控えているし、それでもって、この「岬まで」も原稿は今からが終盤の山場。もう本当にどうしてくれよう。

そんなわけで、さしあたり、「岬まで」の連載はしばらく続きそうです。しかも放っておいた原稿をあらためて読み直してみたら、どういうか、テンポがゆるゆるで、長編っぽい書き方なのよねえ、これ。知らんぞもう。

私は実は面白い長編小説が終盤にかかると、がまんできないで、ものすごく読み飛ばすのよね。その段階で作者が描写や説明に凝ってると、「うるさい、あとで!」って感じで筋だけものすごく速読する。あまりいい読者じゃありません。まあ、あとでゆっくり読み直すけど。
 自分がそんな風だから、ラストに近くなると、書いていても加速度的にテンポがものすごく早くなる。どうせこんなこと細かく書いてもあんたら読まんやろとか考えちゃって。だからまあ、最後に近くなったら早くなるとは思うんですが、今のところは、ほんとにゆるゆる。しかも伏線はからみあってる。まあ、のんびりとお楽しみ下さい。

ちなみに私が白紙を捨てられない原因は、多分「アンネの日記」のアンネが、隠れ家生活の最初はお父さんから贈られた日記帳に書いてるんだけど、当然その内にそれは終わるから、あとは、ありあわせの紙に書いてるんですよね、たしかあれ。最後にナチに踏み込まれて、彼女たちが連れて行かれたあとで、床に散らかっていたその紙を、協力者のミープが拾い集めたんじゃなかったっけ。同じように日記をつけていた姉のマルゴットの方のは見つからないままだったんだよね、たしか。その記憶が自分のことのように身体にしみついていて、アンネもマルゴットも、こんな紙があったらどんなにうれしかったろうとか、ついつい思ってしまうからです。人間もう何がトラウマになるのか、ほんともうわからない。

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カツジ猫