1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. ミーハー精神
  4. オオクニヌシの兄弟

オオクニヌシの兄弟

「水の王子」の第五部を書き上げたときは、「これでやっと縁を切れる」と思っていたのがとんでもない、どんどん続編が生まれてしまって、話が展開しっぱなし。

思いがけないのは、四十年前最初に書いた第三部では、重要だけれど地味な脇役として登場させたオオクニヌシが、ここに来て、とんでもない重要人物になって来てることです(笑)。

先日連載が終了したばかりの「渚なら」のラストで、彼は何とトラウマだった自分の幼少年時代を振り返り、「なぜ兄たちはあんなに自分を憎んだのか、殺そうとしたのか」と考えようとしている。

言っときますが、この展開は私は最近までまったく予想もしていなくて、自分でもあっけにとられてボーゼンとしています。流れるようにこの展開につながった。そうさせてくれたコトシロヌシに感謝。いや、もとをただせばタカヒコネに感謝か。

書くからには従来の説をたしかめとかねばと、古典大系と古典全集の「古事記」をさがしたら、何とどっちも書庫になくて、きっと「水の王子」を書く間にどっかに持って行っちゃったんだろ私。で、とりあえず思想大系でチェックしたら、オオクニヌシの兄弟神についてのこれといった注釈はなく(「二人かもしれない」と「旧事記」にあるという注はあったけど)、ネットでざっと検索しても、まーもう、兄弟の「八十神」についてはまったく説明も考察も記述もない。そんなこったとは、うすうす思ってたんですよ。これまでずっと、こんな小説書いてた私の、いくらいいかげんとはいえ、アンテナにひっかからなかったんだから。

もしかしたら、「古事記」のこの分野というかテーマというかは、まるっきり手つかずなのでは? まるで門外漢だから知らんけど。
 早まっちゃいけないけど、研究史の盲点かもしれない。とか言ってたら大恥かくかもしれないので、もし何かご存じのかたがおいででしたら、「お手紙」欄からでも、どうぞメールでお知らせ下さい!

しかし、ほんとに盲点だったとしても、ある意味しかたがないのかもね。物語のヒーローやヒロインは、すべからく幼い時には不遇で苦しんで、その後逆転大ホーマーって人生の人が多いから、もしも兄弟姉妹がいたら、大抵は問答無用で悪者になり、その人たちの事情や心理は大して注目されない。ほとんどもう既成事実で読者は納得するという、お約束ができている。

「シンデレラ」でも「美女と野獣」でも、二人のお姉さんはわがままで意地悪で、ヒロインはいじめられて孤独で不幸で差別されてる。「みにくいアヒルの子」の白鳥も子どもの時は見かけがちがうからと回りにいじめられる。まあ、「美女と野獣」のベルは、ちょっと価値観とかいろんな点が個性的だったのが原因っぽくもあるけどな。

かなり詳しいのが、旧約聖書のヨセフの物語。十二人兄弟の十一番目の子で、兄たちからやたら憎まれ(まあ、それは原因もかなりちゃんと書かれてるが)、エジプトに奴隷に売られてしまい、でもそこで大出世して、やがて兄たちを見返し、許す。思いっきり、くだけた「まとめ」を紹介してますので、ご一読を。

【聖書】ヨセフ物語のあらすじとは?わかりやすく簡単にまとめてみた

実は私はこの話、まだ小学生にもなってたかどうかの時に子どもの本で読んだっきり。なのに、うろ覚えであちこち印象に残っていた。いかにうろ覚えかというと、ヨセフの名を忘れて、ベンヤミンという名だけを覚えていた。そして、小説「アンの娘リラ」の中で、第一次大戦に三人目の息子シャーリーを送り出すときの、アンの嘆き、「わたしの息子は二人とも出征し、一人は永久に戻りません。わたしはあなたも捧げなければならないにの、シャーリー?」、それにつづく次の文章、

大昔の叫びー「ヨセフはおらず、シメオンもいない。そしてあなたはベンジャミンも連れ去ろうとなさるのです」この何世紀も昔の老いた族長の呻きを、大戦の母親たちはなんとそっくりそのまま繰返していることであろう?

も記憶に刻まれていて、その「ベンヤミン」を手がかりにネットを検索して見つけた。

で、これらの話を見ていると、いじめられる主人公は、本人がちょっと風変わりとかもあるが、ヨセフにしても「美女と野獣」のベルにしても、「父親から破格にかわいがられていて、それが兄や姉の嫉妬を生む」という原因がある。つまり、「異色の存在」と「親の溺愛」が、理由としてあがっている。

オオクニヌシの兄弟が、彼を憎んだ原因としては、こういう点が参考になるのかなとか思いながら、何事にもやたら細かい本居宣長の「古事記伝」を読んでみた。

宣長に言わせると「八十神」は数の多さを表すだけで、実際にそんなに人数が多かったのではない。そして、この兄弟は「庶兄弟」ともあって異母兄弟なので、「兄弟」はハラカラと読んではだめでアニオトと読むべきだって。また「旧事記」の兄弟数が「一人神(と宣長は書いてる)」としてるのは間違いだとのこと。何人なのかはわからないようだ。

それから、さすがに宣長っちゅうか、最初に兄弟でヤガミヒメのとこに求婚に行くとき、オオクニヌシだけ皆の荷物を持たされて召使い扱いされたことについては、

凡(すべ)て大なる功業(いさお)を立むとする人は、細事(いさゝけごと)にはかゝはらぬから、中々に人の云フまゝに従ふものなればなるべし。(古事記伝十)

だいたい、大きな功績をあげようとする人は、細かいことは気にしないから、かえって人の言うままになることが多いからだろう。

と言ってる。おお、卓見かも。

ヤガミヒメが彼を選んだことについては、因幡の白兎を祀った神社の来歴を引用して、

此ノ言のごとく果して、八上比売(ひめ)をば、大穴牟遅(おおなむち。オオクニヌシの初期の名前)ノ神の得たまへるは、この菟(うさぎ)の霊(たま)ちはひけるなるべければ、まことに神なりけり。(古事記伝十)

この文章のとおりに、ヤガミヒメをオオクニヌシが得られなさったのが、このウサギの計らいだったとしたら、たしかにこのウサギは神と言えよう。

と、慎重だが因果関係を認めている。

その後、オオクニヌシが兄弟から何度も殺されかける不運の原因は、

さて大穴牟遅ノ神の、種々(くさぐさ)八十神の難に逢給ふは、遠祖須佐之男ノ命に帰(よ)れる、黄泉の汚穢(けがれ)の、既に盡吃(つきはて)ぬる上にも、なごりの猶有ルなり、(古事記伝十)

さてオオクニヌシがさまざまに兄弟から苦しめられるのは、かつてスサノオにまつわっていた黄泉の国の汚れがだいたい消えていたのだが、まだ名残りがあったせいで、

と考察し、スサノオのもとで試練にあいつつ、それが完全に消えること、それはスセリヒメの善によるものだと解釈している。えーと、ここはまだ私にはよく読めてないのだが、とにかくそれはオオクニヌシとは関係ない過去の影響ってことだろうか。

なお、オオクニヌシのお父さんの名はフユキヌらしい。どっかで使えるかな(笑)。この人(って神か)、全然登場しないが、オオクニヌシは殺されかけて二度とも母に助けられてるぐらいだから、「母にかわいがられて嫉妬された」ってことは、アリかもしれないですよね。

写真はとりあえず、私の手持ちの白ウサギ三匹。

Twitter Facebook
カツジ猫