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コロセウムの観客席

もう二十年ほども前になるのか。私は映画「グラディエーター」に、はまりまくって、ファンサイトで二次創作を書きまくり、同じファンの方々とネットで交流しまくった。その様子はこのホームページに収録している「グラディエーター」特設ページを見てもらえればわかる。
はまった理由はいろいろあった。それは自分でも分析していたつもりである。また、ファンどうしの交流を通して感じたいろいろも、二次創作の中の「マキシマス日和」で、ある程度は書いた。

だが今になって、あらためて気づくことがある。その小説の中でさえ、見つめたり書けたりできなかった、自分自身さえわからないでいた、あの映画が私をひきつけた魅力というより魔力のひとつを。私が自分の中のミーハー精神を、ひいては人であれ動物であれ物であれ、何かを愛する時に常に感じる後ろめたさと恥ずかしさと罪悪感を、あの映画は深いところで刺激して、それに私はどことなくだが確実に、引き寄せられていたことに。

それは、「コロセウムの観客席に座って、戦う人たちに声援を送ること」の、おぞましさだ。
自分は戦わない。自分は戦えない。その代わりに、戦う者に熱狂する。陶酔し、愛する。時に罵倒し、葬ろうとする。
あの映画は、その残酷さを冷ややかに見つめ、描いていた。安全な場所から声援を送り、自分が戦った気分になることの醜さと哀れさ。そして、あの映画が画期的だったのは、その醜い哀れなおぞましい、無力な観客にすぎない存在が、そのままのあり方で力を持ち権力を持ち、勝敗の行方を左右することもあるという、皮肉な逆説を描ききったことだった。

私は成績はよかったし、周囲に比べると財力はあったが、醜くて、スポーツはまったく苦手の女の子だった。
ただし、スポーツが苦手というのは微妙なところで、つまり小学校に入るまで同年代の子どもの友だちが回りにいなかったから、ルールを知らなかったから競技ができなかったからで、木登りや跳躍や力業は得意だった気がする。結局、スポーツというのは体力だけではなく、ルールをどれだけ活用し利用できるかにもかかっている。おかしな言い方だが純然たる殺し合いとかだったなら、私は案外、他人に負けなかった気がする。

しかしまあ、それはわからなくて、とにかく美しさと強さでは、私は競技に参加できる要素はなかった。
その分、学力や財力では不自由がなかったから、気づかずに楽をしていたし不幸を感じることはなかっただろう…そのことにさえ気づかないほどに。
コロセウムで戦っているという実感も、観客に見つめられ応援されているという実感もなかった。あえて言うなら、学力や文章力では、私には自分で意識するライバルも目標も存在しなかった。

それは多分、私にはありがたいことだった。多分、それからの連想だろうが、私は美しさや強さなど、自分にはないもので、他人をうらやんだりあこがれたり応援したりすることは、してはならないことと感じていた。美しさも強さも、その人のもので、私をふくめた他人のものではない。それを自分のもののように考えることは、冒涜であり陵辱であると感じていた。

コロセウムの座席に座り、酒を飲み菓子をかじりながら、気に入った戦士を応援することは、私には失礼なことと同時に、みじめで哀れなことに映った。私は学校の授業以外に自分でスポーツをやったことはないが、もしスポーツが好きならば、どんなに下手でも嫌いでも自分がするのでなければならないし、そうでなければ人の競技を見て楽しむなんて、異常で病的なことという意識が抜けなかった。いくら熱狂して観戦しても、詳しくなって批評しても、見ているだけでは絶対に何もわかりはしないという確信がどこかにあった。

プロ野球や高校野球の応援団やチアガールというものが、それ自体、競技になり芸術になって行くのは私には新鮮な驚きであるとともに、どうしてもどこか非常に歪曲したねじくれた発想としかとらえられない。まだそれらが、そんなに有名でなく市民権も得ていないころ、私は自分自身は決して、ああいう存在にはなるまいと心のどこかで決意していた。どんなに貧弱でお粗末でも競技する側でいたいと願った。何もしないで、できないで、人に声援を送ることで自分の生きている実感を得るなど、そんなみじめな人生が、この世にあっていいものか。

たしか、山口瞳だったかのエッセイの中に、プロ野球のファンで、玄人はだしの鋭い解説をするサラリーマンが、休日の草野球で自分が言っていた理論とはかけはなれた、下手くそなみっともないプレーをする様子が描かれている。短い文章だったと思うが、私の記憶にある限り、そのようなみっともなさを描いたり指摘したりしたものを、他に私は見たことがない。山口瞳は「江分利満氏の優雅な生活」のラストに近く、戦争で生き残った世代の持つある恥ずかしさについて、絶妙な筆致で述べていた。そういう、かすかだが深い恥ずかしさについて敏感な人だったのだろう。

歌舞伎役者やスポーツマン、宝塚のスターやアイドルグループに対し、夢中で熱狂しグッズを買い、つかの間の交流を楽しむ少女や少年、青年や婦人、中年男や老女。巨大なスタジアムを埋めつくして人気グループにエールを送る群衆。あこがれる方もあこがれられる方も、私はいつも見ていて、どこか卑猥だと思う。裸で局部をさらしあっている人たちを見るような当惑と困惑から、いつも完全には抜け出せない。
言っておくが、決して嫌ではない。否定もしないし拒否感もない。むしろ、こういう猥褻な行為が白昼堂々何の問題もなく行われているということに安心感と快感も感じる。
ただ、ひたすらに、おぞましくはある。

だが、私の場合、ことはそれだけにとどまらない。
今でも覚えているが、初めて大学生になって都会に暮らして一人で何かの美術展を見に行ったとき、妙に身の置き場に困り、目のやり場に困った。
誰かが描いた絵の数々を、赤の他人がぞろぞろ歩いて前に立ち止まっては眺めるという、その行為が、とても嫌らしい下品で失礼なことに思えた。
多分、江戸時代の絵画だったのだろう。襖か屏風の巨大な板絵に描かれた二頭の白象の顔が、じっと私を見つめていた、その目を今でもありありと思い出せる。
多分、その会場さえも私にとっては、「コロセウムの観客席」だったのだ。

そして、言うまでもなく、私が専門にやっている文学研究もまた、他人が心血注いで書いた作品を、傍観者、第三者、批評家として分析解釈する、ある意味最もはしたない病的な仕事だ。
私が最初に就職した大学は熊本市内にあって、その地域の人たちは文化人がとても多かった。同僚の国文学の先生は、ここの土地柄は、文学研究というものは自分も創作活動をしていないとできるものではないという意識が強くて困るとかやりにくいとかいうような話を最初に私にされたと思う。私はそんなものかと思っただけで、特に感想を持たなかった。大学の先輩後輩、恩師にあたる先生方や教え子の中には、さまざまな創作活動をひっそりしている人たちもいたが、それを文学研究に必要なことだとかいう感覚は多分誰にもなかったし、決してそれを誇ったり尊敬したりする雰囲気はなかった。私もそうだった。

だが、今になって、ここに来て思う。私が自分の一生で唯一、コロセウムで戦う当事者として専門家のはしくれとして関わって来たのは、やはり文学研究であり、だが、その文学研究自体もまた、コロセウムの観客席であったとしたら、私が観衆ではなく戦士として戦ってきたのは結局は、「文章を書く」という、そのことだけではなかったのかと。それが論文であれ小説であれ授業のテキストであれ政治的なチラシであれ、良心と全精神をこめて、打ちこんでみがいて来たと言えるのは、結局、それだけだったのではないかと。

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カツジ猫