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サンタさんが見つからない

このところ毎年クリスマスには窓辺に飾っている、人相の悪い木彫りのサンタさん(同僚が処分しようと研究室の前に出していたのをもらって来た)が、さっぱり見つからない。クリスマス関係のものを入れてる箱の中にもない。いったいどこへ行ったのやら。クリスマスまでには見つけないと。

テレビで「アナと雪の女王」が放映されたらしく、私のこのホームページの恐ろしく長く続いた感想文も、見に来て下さってる人が多いような。でも実はこの映画、映画館で見たときから嫌いで、というか好き嫌い以前にさっぱり理解できなくて、感想文は徹頭徹尾悪口ばかりなのですよ。見に来ていただいた方には申し訳ない。とは言え、悪口を書くのに、いろいろ確認したいところもあって、ムッカつきつつ映画館で三回も見て書いた力作?の感想文なので、それなりに面白がって下さる方も、ひょっとしておられるかも(笑)。

あの頃はヒマだったのかパワーがあったのかと、自分にあきれながら、ついつい自分でも読み直してしまって、何といろいろしっかり書いているのかと、あらためて感心したりしているから世話ないや。

でも、とにかく耐えられなかったのは、あの映画、基本的な人物関係や世界設定がもうさっぱりわけわかんなくてガタガタだったことで、いくら音楽がよかろうが絵面がきれいだろうが、それでごまかされる水準を超えてた。自分の感想を読み直しても、あらためてそれを痛感する。

そんなことに引き合いにだしては失礼だし申し訳ないのだが、最近コミックでもDVDでもはまりまくって、ひまさえあれば見直してる「忘却バッテリー」の基本的な人物設定のみごとさよ。ちょっとした古典文学や純文学もかなわないのではないかと思うぐらいに、ゆるぎがない。

大抵の読者がそうだろうけど、私もこの作品の一番好きなのは、確信犯でぶっこんで来るとんでもないギャグセンスだ。おおまじめで深刻な設定や展開の中に、いきなり花木高校の渡辺くんのゾンビ顔とか、清峰くんのお兄さんの馬の仮面とか、不意に登場する色紙とか、タイミングもずっこけ加減も、もう鉄壁に絶対にまちがえない。それというのも骨組みがしっかりしているからなのだろうが。心から安心して、もみくちゃに笑わせてもらえる。だから、そういう「一番好き」は、根本的な設定や哲学も「一番好き」につながって来る。無理なく、しっかり、必然的に。

野球がまったくわからない読者にも、記憶喪失になった元名選手に仲間が基礎的なことを教えるという設定で、いろんなことを説明してくれるのが、それ自体面白いし、助かるのだが、そんな中で私も「そうかあ、なるほど」と初めて知ることが多い。
 主人公の一人の天才的な投手が、まだとても幼いときに、周囲の大人たちに変なアドバイスをいろいろもらって、素直な子だからそのまんま受け入れてフォームが崩れておかしくなってしまうのなんか、野球に限らず学問でも芸術でもその他何でも、そうやってつぶれて消えてしまう天才が、世の中にはごろごろいるんだろうなと、はっとさせられたし、それに驚き心配した幼い親友が、そういう大人や周囲をはねのけて、天才の友人の素質を自分が守ろうとして、必死に努力した結果、それには成功するのだが、自分も相手も決定的にゆがめてしまうという、この設定のみごとさと言ったら。それが派生して行く、二人の孤独や異常さや、魅力や悲劇が、もう四方八方すみずみまで、作品世界と矛盾がない。

友だちの更に友だちの(自分は知らない)家の猫が死んだのさえも悲しんで泣きやめられなかった、弱くて傷つきやすい天才少年を、周囲のすべてに無関心で自分の才能をみがくことだけに集中させようとした(そして成功した)友人の、子どもながらにというか、子どもだからこそ、徹底した懸命な献身と努力が、相手のみでなく自分もゆがめて行く過程が、必然的すぎ自然すぎる。

そこにはまったく何の不自然さも異様さもない。ゆがんだ愛も現実逃避もない。病的な感情は皆無で、すべてがとことん健全で普通の子どもらしい心理だ。幼くて単純な、ちょっと親分肌の強い子なら、絶対にこれしかない、そうなるだろうという心の動き。弱い素直な友人への保護者意識と、天才の持つ才能の輝きへの憧れと好奇心と「自分が守らなければ」という義務感。何もかもが、ありがちで、自然で、それがどんどんエスカレートして徹底して行くのも、子どもならではの幼さと純粋さが痛々しいほど納得できる。

主人公二人をはじめ、その家族も友人たちもライバルたちも、すべてがこの安定したゆらぎない土台の上で、皆がそれらしく発言し行動し活躍し魅力的だ。レギュラークラスの主人公たち数人が、どれも甲乙つけがたく私は好きでしかたがない。

しいて言うなら、ライバル校の優等生の名選手国都くんが苦手なんだけど、嫌いというよりは、ひたすらにまじめで清らかで恥ずかしげもなくすべてが美しいのが、見ていてこっちがくすぐったくて恥ずかしくて悶え苦しみたくなるからで、これはほとんどいや完全に好きというのと変わらない。もちろん作者は承知の上で、この歯の浮くような理想的な若者を臆面もなく描いているのだろう。大時代で昔の読み物から、そのまま抜け出して来たような、そして周囲もとことんそんな彼をあこがれてかわいがって陶酔している、この病的な設定って、ほんともう何なんだ。最高だ(笑)。ナレーション担当のたのもしい山田くんまで、ほとんど国都くんには触れないしなあ。あの毒舌の千早くんも。「国都は天然」とか「いけすかない」とか言ってるのって、藤堂くんだけじゃないか。そういうところがやっぱり彼は健全なんだよ、と、ついひいきしてしまいそうになる。

庭の木を少しずつ刈り込んでいる。玄関脇のルリマツリとランタナの大茂みを花も無視してばっさり切った。少しだけ取ってきた花を適当にコップに入れたら、これもこれでかわいいやんか。

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カツジ猫