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水の王子・「岬まで」10

第五章 悩める海賊

「何をきょろきょろ見てるのさ?」アメノウズメは乾いた海草をつめたふかふかの寝椅子によりかかりながら、向かいの椅子にあぐらをかいたサルタヒコを見た。「ひさしぶりに帰ってきたと思ったら、いやにそわそわ、落ち着かないじゃないか」
 「いやあ、何となく、あちこっち感じが変わったみたいな気がしてな」サルタヒコはあたりを見回した。
 二人の住まいは村のはずれの岬にある洞窟のひとつである。周囲は岩だが、あちこちが虹色にかがやき、すみずみに小さな温泉がわき出していて、夏もひんやりと涼しく、冬はほのかに暖かい。つるくさを編んだ敷物や、流木を組み合わせた椅子や食卓や寝台や棚は、奇妙に曲がったりゆがんだりしながら面白いかたちを作り、鳥の羽や毛皮をつめたりあしらったりしたふとんや枕が居心地よくそこここに置かれている。灯皿はさまざまな油を使うせいか、色とりどりの気まぐれな光を投げ、大きめのかまどにちろちろと燃える火も、流木のせいか、青や紫の炎を上げて、にぎやかだった。
 「たとえばさ、おい、なあ、あの棚の上、だいぶ感じが変わったろ?」
 「あ、やっぱり気づいた?」ウズメはしれっと答えた。「そうよ。鏡のかけらを並べていたのを片づけた。あんたがみやげに持ってきた、いろんなとこの貝がらに代えてさ」
 「で、鏡のかけらはどこに行った?」
 「あはは。気になる?」ウズメは笑って寝椅子のふとんに身体を沈めた。
 「そりゃおまえ、あれって、かけらになっても、まだけっこう、武器としちゃ役立つだろ? まあ、使い手にもよるかもしれんが」
 「そうさ。あのおてんば娘のミヅハにかけらをひとつやったところが、そこそこ使いこなしてね。けちな魚ならとったりしてるから、畑で働いてる連中に使わせたら、泥棒よけぐらいはできるんじゃないかと思ってね。今、訓練をしてるところさ」
     ※
 「うはあ」サルタヒコはすすっていた酒にむせ、平手でひげをぬぐった。「サグメといい、あんたといい、タカマガハラの女子たちは戦うことが好きだなあ」
 「備えあれば憂いなしって言うだろうがね」ウズメはけろりとして答えた。「あんただって船を守るためには、それなりに仲間と戦いの準備はしてるだろうが」
 「それよりは、一目散に逃げる用意さ」サルタヒコは肩をゆすった。「今度もそれでうまいこと、海賊から逃げられたしな」
 「クエビコかい?」
 「だと思うがな。見かけたことのない船が黒っぽい帆を上げて何やら妙な動き方をしてたから、そのへんの島かげにかくれて、すきを見て逃げたったわ。気づかなんだか追って来なかった。まあどっちみち目をつけられたらおしまいだろうがな」
 「つかまる船は多いのかい?」
 「ふう、どうかな。何しろ噂じゃ、クエビコが、その船は停まる!とか、消える!とか口にしたとたん、その通りのことが起こるってんだから、無敵というか、どうしようもないさ」
 「いったいそれは本当なのかね?」アメノウズメは鼻を鳴らした。「あたしの鏡で怪物になってた時だって、あいつは何でも口にしたことを誰かが聞いたら実現するっていう、とてつもない力を持ってながら、それもろくに使えないまま、岩山の上で一人でぶつぶつ言ってたバカだよ。ましてや鏡が割れてから、今は普通の人間の男に戻ってるはずだ。あの力がそのままに残ってるっていうのも、ちょっと考えにくんだけど」
 「しかし何がしかは残ってるらしいぞ。その上、今は手下がいるから、あいつが何を言ったって耳にする人間には不自由はしないだろうしな」
 「手下ってのはどのくらいいる?」
 「わからん。男も女もいるが、ふえたりへったり、しょっちゅう入れかわってるようだ。おおかたあいつが、おまえは消えろとか死ねとか言ったら、いなくなるし、どっかの港や他の船で見かけた者を、自分の手下になるとか何でも言うことを聞くとか言ったら、その通りになってるんじゃないか」
 「それだったらいっそあいつは海賊なんてけちなことしてないで、どこぞの都の王になる!とかタカマガハラを支配する!とか言っちまえば、その通りになるんじゃないのさ」ウズメは丸っこい肩をゆすった。「いいや、それこそ一足とびに、おれは幸せになる!とかさ。どうしてそれが思いつけない?」
     ※
 「あんまり途方もないことだと、さすがに実現しないのかもしれないし、都だとかタカマガハラとか幸せとか言ったって、どんなものだか本人がわかってないと、言ってもだめなのかもしれんよな」サルタヒコは太い眉をよせた。「それに、ここんとこしばらく、あいつは部下の一人に牛耳られてるって話もある。フカブチとかいう男でな。クエビコといつもいっしょにいるそうだ」
 「へえ。愛人か何かなの?」
 「知らん。背の高い黒い髪と目の陰気な中年男らしい。背すじがまっすぐで、厳しい、重々しい顔で、やたら威厳と迫力があってな。海賊というより学者みたいな感じなんだと。クエビコは若くはないが、どっちかつうと素朴で人のいい兄ちゃん風だろ? あんたも昔会ったんなら知ってるだろうが」
 「ろくに覚えてないけどね。まあ、水の王子ヒルコをかくまって、ヨモツクニとも手を結ぼうとしてたから、あたしが鏡で怪物にしたんだが、たしかにあんまり大それたことや気のきいたことを思いつけるようには見えない、平凡で人のいい男だった気がする。まあ、それだから、自分が何してるのかわからないまま、ぼうっととんでもないことをするんだろうが」
 「口にしたことを誰かが聞いたらすべて実現しちまうって力は、そのころからもうあったのかい?」
 「なかったと思うね。鏡の光はときどき変なものを生むんだ。あの若者の妙な人のよさやら何やらが怪物になったあいつに生み出しちまった力なんだろさ」
 「とにかくまあ、クエビコはそんなにすごみのある方じゃないわな。一の部下というか副官みたいなフカブチの方がよっぽど、すごみも切れ味も海賊っぽいちゅう話だよ。もっとも、邪悪とか残酷とかいう感じでもないらしい。自分たちの船に必要なものを奪うと、それ以上のことは、あんまりしないらしいしな。もちろん、やるときゃやるらしいが。クエビコに、その村が燃える!だの、乗組員は皆溺れる!だのと言わせてな」
     ※
 「あんたの話を聞いてると、フカブチってやつが海賊の首領で、クエビコはそいつの武器でしかないみたいに聞こえるよ」ウズメは首をかしげて、腕組みをした。「いったい、そいつの目的は何なんだろう?」
 「さあ、これと言ってないんじゃないか。クエビコと似たりよったりで。欲がないっていうのもおかしいが、そんなふうにも見えるんだよな、いろんな話を聞いてると。ああ、これも噂なんだが、いつからかだんだん、クエビコの部下たちは耳が聞こえない者ばかりになってるらしいぞ」
 「ええ?」ウズメは眉をひそめた。「何だい、そりゃ?」
 「そういう者を集めてるのかもしれんし、クエビコがそうしたのかもしれんし、ほら、おまえたちは耳が聞こえなくなる!と言えばそうなるわけだからな。とにかく今じゃ、クエビコの船の中で彼の声を聞けるのはフカブチだけになってるんじゃないかって話もあるんだよ」
 「そしてもちろんフカブチは聞いちゃまずいと思ったら自分で耳をふさげばすむ」ウズメはうなずいた。「つまりクエビコの力を自由に使いこなせるのは、フカブチだけってことになる」
 「そういうこと。噂だが、ありそうなことじゃないか」
 「聞いてると、ちょいとクエビコがかわいそうになってきた」ウズメはあくびをした。「それと、フカブチってやつにも一度お目にかかってみたいもんだね」
 「やめとけや。そこそこいい男らしいから、おまえが夢中になったりしたら大変だ」
 「ばかだねえ」ウズメは笑った。「いい男なら、タカマガハラでもヨモツクニでも、草原でも、いやってえほど見てきたよ。それでもあたしは、むさ苦しくって、魚とこやしの匂いのする毛深い男が好みなのさ」
 「ありがたいこったよ」サルタヒコはまんざらでもなさそうだった。「だからってことでもないが、そろそろ寝るかい?」
 「そうしよう。入り口の扉を開けとけば、今夜はみごとな月だから入江が光ってきれいだよ」
 「あんたの身体も久しぶりにたっぷり拝めるってことだ」
 「あはは、わかってるじゃないかね」ウズメは満足そうに笑った。(つづく)

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カツジ猫