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水の王子・「岬まで」9

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 「母の館に戻っても、私たちはそのままだった。本心をかくしつづけ、陽気に仲よくすごしていた。しばらくしてから弟が父や母にあいさつをしに帰って来た。ヤガミヒメと暮らしている報告をするために。私たちは彼を歓迎し、いつもそうしていたように、いっしょに狩りに出た。そこで赤いイノシシといつわって、まっ赤に焼いた大石を彼にぶつけて、殺したんだよ」
 「誰が言い出したというのでもなく?」
 「殺そうとは誰も言わなかった。ふざけたいたずらのつもりだった。彼は気づいてよけるだろうと思っていたのかもしれない。大やけどをして、岩にへばりついて死んでいる彼を見ても、誰も何も言わなかった。そのままにして、そそくさと館に帰った。だが、その夜は誰ももう、笑えなかった。たがいに話もしなかった」
 「弟さんは、そのまま?」
 「母が助けた。私たちの様子がおかしいのに気がついて、山にさがしに行ったんだよ。母は医術にすぐれていた。侍女の二人の手を借りて、弟の身体を元通りにした。弟は次第に回復し、やがて、すっかりもとのままの姿になって、館の庭を歩き回れるようになった。よかったな、と私たちは声をかけ、あんなことになるとは思わなかった、となぐさめた。彼は笑って、うなずいた。前と同じに、すこやかな、美しい姿で」
 「あなたたちのしたことに、気づいていなかったのかしら?」
 「わからない」オオトシは首をふった。「弟を殺そうとした時以来、私たちは兄弟の他の誰とも、そのことについて話し合おうとはしなかった。さりげない会話をかわし、他人のように笑いあうばかりで。父の後継ぎを決める日は近づいて来ていたが、多分私たちの誰も、もうそんなことはほとんど気にならなかったのではないかと思う。少なくとも私はそうだった。父や母とも、まともに目を合わせられなかったよ」
 「お気の毒だわ」ひっそりとイワスヒメがつぶやいた。「そうとしか言いようがない」
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 「何だか弟が恐くなってね」オオトシは淋しげに言った。「私たちのことをどう思っているのかいないのか、それさえわからないし。そもそも、気味が悪くなって来たんだ。本当に弟なのか? 何か奇妙な生き物じゃないのか? そんな気持ちにさえなって来るんだよ。やがて弟は父と母に別れを告げて、ヤガミヒメのもとに変えることになった。誰からともなく、また狩りをしようという話になった。弟は誘われるままに、にこにこ笑ってついて来た。そのときはもう、どういうか、ただただ彼がおぞましかった。この世から消してしまいたかった。木こりたちが巨大な木を割ろうとして、くさびを打ちこんで、そのままにしている前で、それを皆でながめているとき、誰かが言った。その裂け目に入ってみないか? こんな狭い所に入れないよと誰かが答え、誰からともなく、一番ほっそりしなやかな身体つきの末の弟に、オオナムチに目が向いた。おまえ、入って見ろよ、と誰かが言った。すると彼が笑い出した。私たち一人ひとりを見回して、楽しそうに、愉快そうに、笑いころげたんだ」
 オオトシは目を閉じていた。
 「今もあの笑い声が私は耳からはなれない。やっぱりな、と、その声は私たちに告げていた。おまえたちは殺したんだな。この私を。そう言っていた。私は全身の血が凍った。その笑い声をとめるためなら、何でもしたろう。私たちは誰からともなく叫び声をあげて、彼をつかまえ、木のわれ目に押しこんだ。くさびがひとりでに外れたのか誰かがはずしたのかもわからない。木はわれ目を閉ざし、弟はその間にはさみこまれた。骨の折れる音。血しぶき。それをよく見もしないまま、私たちは我がちに走り出し、ころがるように山を下った。その夜、一晩眠れずに震えながら夜をすごし、翌朝明るくなってみると、館はがらんとして、家来も侍女も、母の姿も、どこにもなかった。私たちは山に向かって走ったが、もう弟の姿もなければ、あの木もなかった。それきり母の姿を見た者はない。私たちは荷物をまとめて父の城に行き、母と弟がいなくなったとだけ告げて、他には何も話さなかった」
 「お父さまは結局誰を、ご自分の後継ぎになさったの?」
 「決めないままに数年後、病で死んだ。母が戻るのを待っていたのだろうが、母は帰って来なかった。父も母もいなくなった城で、私たち兄弟はおたがいにさりげなく、よそよそしい会話を交わしながら、とりあえず長男のフヌヅヌを王にして、皆で彼を支えたが、そこには信頼も愛情もなく、私はやがて耐えられずに、城を出た。草原を旅して、この町に来たのさ」
 「他のご兄弟は、まだ城にいるのね」
 「どうなのだろうな。わからない。何人かは去ったという噂を聞いたが、たしかではなかったし、もう私には興味もなかった」
 二人はまたしばらく黙って、白い灰につつまれはじめた、すきとおるような炎をながめていた。
 その姿勢のまま、オオトシが言った。「この話を人にするのは初めてだ」
 「そう」イワスヒメも動かないまま、低く答えた。「聞かせてもらって、よかったわ」
 オオトシは、ひざをたたいて立ち上がった。「さてと」
 「かめを運ぶ?」
 「明日にしようか。もっと人手のある時に」
 「それがいいわね」イワスヒメはうなずいて、あたりの果物の皮をかきあつめ、オオトシのさし出すかごの中にまとめて入れた。「杯は洗っておくわ」(つづく)

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