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水の王子・「岬まで」21

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 灯台の近くのマガツミたちは、うろうろ動き回っていたが、おおかたは動きをとめて座りこんだままだった。スクナビコの薬でとかされたマガツミたちの方は、かなり広い範囲に広がってとろりとひとつに溶け合ったまま、その中に目玉や唇を不規則に浮かばせて、ぶよぶよと動いている。
 「こいつら、いったいどうすんの?」誰かが恐る恐る聞いた。
 「作物を収穫したあとで本当によかったねえ」しみじみと別の誰かが言う。「野菜も米も全部がだめになるところだった」
 「このままほっときゃ地面にしみて、ええ肥料になるじゃろうよ」スクナビコが見回して教えた。「来年はさぞや豊作になるじゃろうて」
 「どのくらい待てばいいんですか?」一人が聞く。「地面にしみこんじまうまでは」
 「何日かのことじゃろうが、まあ、待てんかったら火をつけて焼けばええ」
 安心したようにやっと村人たちが笑う。その一方で広がったマガツミの水たまりからは、悲しげなぎゅうぎゅうといううめき声がしたようだった。
 「そんなのはだめだよ!」ようやく目を開いたイナヒにほおをなめさせてうっとりしていたタカヒコネが、いきなり顔を上げて弱々しい声で、しかしきっぱり抗議した。「そんなことしちゃ絶対にだめだ! こいつらはあやつられてただけなんだし、ちゃんと生きているんだから!」
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 皆がびっくりして顔を見合わせる。ニニギがそっとタカヒコネの肩を抱いた。「もう寝に行こう、タカヒコネ。君は休んだ方がいい」
 「だめだよ! 絶対に焼いたり、こやしにしたりしちゃだめだ!」タカヒコネは肩をゆすってニニギの手を振り落とした。「生きてるんだよ! 心も、痛みもあるんだよ!」
 何人かがささやきあったのを見逃さずタカヒコネは「おれがもとマガツミだから言うんじゃないよ!」と叫んだ。「タケミナカタが言ったんだ! オオクニヌシの息子の彼が! いつも言ってた、マガツミはいたわって、大切にしてやらなきゃいけないんだって! 必ず、必ずそうすると、おれは彼に約束したんだ!」
 「じゃからと言うて、じゃ、このぬるぬるした敷物を、いったいどうすりゃいいんじゃい?」黙って考えこんでしまった村人たちに代わってスクナビコがのんびりと聞き返した。
 「あんたのしたことじゃないか。あんたが何とかしてやってくれよ」タカヒコネはくってかかった。「目と口をうまく配分していくつかに切り分けるとか、人の形でなくても、それなりに」
 「お若いの」スクナビコは両手を広げた。「むちゃくちゃ言うな。こうするだけで、せいいっぱいじゃったんじゃぞ。とっさのことだし、うまく行きすぎて少々わしも驚いておるんじゃ。卵焼きか小袖かはかまじゃあるまいし、そうあっさりと切り分けて別のかたちが作れると思うのか?」
 「だからと言って、だからと言って」
 「そもそも見てもわかろうが。畑三枚分くらい、こいつがおおっておるのじゃぞ。何も作れんし、行き来もできん。これだけの土地にこいつらをおっかぶせて無駄にしとけと言うのかの?」
 そのとき、奇妙なことが起こった。
 さっきから、二人のやりとりの間に、ぷるぷる震えたり波打ったり、小さな泣き声のような音をたてたりしていた、そのだだっ広い大きな布のようなマガツミの水たまりが、ずるずる動き出したのだ。あっという間にそれはちぢまり、丸まり、たたまって、大きな筒のようになり、ごろごろ転げてタカヒコネの足元まで行き、ぴったりとくっついてとまった。
 「あ、なつかれた」ニニギが言う。
 「来るな! よせ!」タカヒコネは青くなった。「そんなつもりで言ったんじゃない!」
 「まあ、しかし、こうなったら」歩みよって来ていたオオクニヌシがのんびり言った。「そう場所をとるわけではなし、タカヒコネの言っていることにも一理あるのだから、何かいい方法が見つかるまで、そのへんに残っているマガツミたちと同様に村のどこかにおいてやっておけばどうかな」
 「うむ」スクナビコもあごをなでた。「何かの役にはたつかもしれんて」
 「だけどおれ、こんなものにつきまとわれるのはごめんです!」タカヒコネが叫んだ。
 「やめなさい。悲しそうにしておるじゃないか」スクナビコがたしなめる。
 丸まって筒のようになった布の表面のあちこちからタカヒコネを見上げるいくつもの目は、たしかに傷ついたように憂いをたたえていた。
 「第一こいつら、誰かにあやつられたら、いつ何をするかわからないんですよ! そんなもの危なくって村の中においておけますか!?」
 「そう心配はしなくていいさ」ウズメが口をはさんで来た。「戦ったらすぐわかるけど、こいつら皆、やっつけ仕事で適当に作られた使いつぶしのできそこないだよ。もとのマガツミがどれだけいたかは知らないが、できるっ限り薄めて弱めて数だけふやしたんだろうね。大して悪さはしないはずだよ。あたしも畑で使ってみたいぐらいだね」
 「同感だね。おいといて様子を見ても、それほど害にはなるまいよ」サグメも言った。「ただタカヒコネの言うように、誰かがこいつらをあやつって村を襲わせたんだとしたら、そこははっきりさせとかないとね」
 そのとき、村の方からコトシロヌシとツクヨミが、一人の貧相な中年男をひったてながら、こちらへと近づいて来た。「みさきまで~みさきまで~みさきまで~」とウガヤがのんびり鳴きながら、彼らの後ろをついて来る。(つづく)

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カツジ猫