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水の王子・「岬まで」23

 第九章 旅の果てに

数日ふり続けていた雪は夜の間にやんだ。オオクニヌシの家の回りは小さい畑も森も小道も一面にまっ白く埋もれて何もかもがなだらかに丸く、朝日にきらきら光っていた。よろい戸を開け放していっぱいに開いた窓の、透きとおる氷のような広がりを通して、タカヒコネはかたわらに腹ばったイナヒの背中をなでながら、そのまぶしい輝きに目を細めていた。
 「すばらしいながめねえ!」甘い茶を運んで来たスセリがへやの入り口で足をとめて思わず声を上げた。「それに何て明るくて、暖かいんでしょう! あちらのへやじゃいくつ火桶をおいても、とてもこうはならないわ。第一、閉め切ったままで暗いし」
 「すみません、ひとり占めして」タカヒコネは湯のみを受け取りながら身体をずらして、スセリのために寝台を空けた。「こいつをあっちに行かせられるといいんだけど、どうやったらいいのかわからなくて」
 スセリは腰を下ろしながら吹き出した。「いいのよ、そんなこと無理よ。このマガツミはきっとあなたのそばにいるのが好きなんでしょうから」
 「それにしたって」タカヒコネは茶をすすって、ため息をついた。「じゃおれがあっちに行けば、ついて来るかもしれないね」
 「どうかしら。この場所だって好きなんじゃないの。どっちみち、ここが一番広い窓だし、居心地だってきっといいのよ」
 「だって、今だって窓にはりついているのは、全体の半分もないんだよ。残りは天井に広がったり、床にたれさがったりしてるんだから」
 「あら本当だ」スセリはあたりを見回した。「それでますます暖かいのね」
 「ときどき夜中に、寝台の回りを囲んで包みこんでることもある。食われちまいそうでおれ恐いよ」タカヒコネは嘆いた。
 「そんなことしませんたら」
 「スセリにわかるわけないやん」タカヒコネはふてくされた。
 「わかりますとも。このマガツミはあなたのことを大事にしてるし、尊敬してるわ。私たちの手伝いもいろいろしてくれるし、たちがいいみたい。時々、ごみを運んでくれたりしたあとで汚れているのを洗ってやろうと思っても、いつの間にか勝手にきれいになってるし」
 「湖に入って自分でばしゃばしゃ洗ってるもん。波の間で、のたくって。そのあと、ずるずる戻って来て、またこの窓にはりつきやがる」タカヒコネはすきとおった窓一面のマガツミを見た。「いっそスクナビコが半分か三つか四つに切っちまってくれるといいのに。そうしたら、あっちのへやにも台所にも持って行けるでしょう? 無駄に大きいんだよ、こいつ」
 「そんなこと、あなたが絶対させないくせに」スセリは見すかした口調で言った。「これはもう、ひとかたまりの生き物なのよ。あの時にそんな風になっちゃったんでしょ。マガツミのことはよくわからないけれど、いろんなはずみでいろんなものができてしまったら、そうかんたんにこちらの都合で作りかえられはしないんじゃない?」
 「ウズメやサグメは、このマガツミたちはすごく薄っぺらで弱くて愚かだって言ってた。きっとスセリとちがってマガツミのことなんか何も考えない者たちが、それこそ自分たちの都合のいいようにいいかげんに作ったんだろうな。でもそれが、これだけ大量に合体させられちゃったから、またそこそこ人間に近くなっちゃってるのかもしれない。動き方も何もかも、どう見てもそんな救いようのないバカじゃない。イナヒあたりといい勝負だよ」
 あの戦いの日以来、大きな敷物のようになってしまったマガツミの一群か一体かは、タカヒコネのそばをはなれなかった。最初は怒ってうなっていたイナヒとも、いつの間にか何となく受け入れあってしまったようだ。
 しばらくは、大きな巻き物になってころがってついて来ていたが、やがてタカヒコネが寝ているへやの窓一面にはりついた。風を通さず、すきとおっているから向こうの景色が遠くまで見渡せるのが実に快い。しかし村人たちが来ると、こそこそいなくなってしまうので、突然へやは吹きさらしになり、あわててよろい戸を閉めなくてはならない。もともと家族以外にはそれほど人の出入りはなく、外からも見えにくい位置にある窓なので、知っている村人は数人しかいなかった。
 タカヒコネはもちろん、いやがっていたが、ついて回られるよりは窓にはりついていてくれた方がありがたいと判断したか、透明な窓のあちこちから、いくつもの目がこちらを見てまばたきしたり、無数の口がうごめいたりするのは、がまんすることにしたようだった。それらの目や口は日によって、端のほうに一列になっていたり、まん中近くで模様を作っていたり、全体に散らばっていたりする。
 「名前をつけてやったらいのに」スセリが、こちらを見ている目の一つを見ながら言った。「その方がこちらも何かと便利がいいし」
 「いやだよ」タカヒコネは眉をよせた。
 「だってもう、家族の一員みたいなものだし。クシマトなんてどうかしら」
 「やめて下さいったら。それよか、スクナビコもツドヘも、皆こっちのへやに来たらどうです? 暖かいし、明るいし」
 「そうね。でもツドヘはどっちみち目があまり見えないし、暗い中でスクナビコとおしゃべりするのが、けっこう楽しいらしいのよ」
 「何だかほんとに、気の毒な人ですねえ」タカヒコネはしみじみ言った。
     ※
 「オオクニヌシがフヌヅヌたちと何とか話をつけて来てくれるといいんだけど」スセリが言った。「ツドヘのことも何もかも」
 タカヒコネは答えなかった。
 淋しそうに、つらそうに、その顔がゆがむのを見て、なだめるようにスセリは若者のひざを軽くたたいた。
 「心配しないで」彼女は言った。「あの人は帰ってくる」
 「ですよね」タカヒコネの声はくぐもっていた。
 薄れかけていたというより慣れてしまいかけていた苦しみが、またよみがえって胸をえぐっているように。
 それも、あの戦いの数日後だった。
 墓地は金色に染まった木の葉の輝きであふれ、ヤガミヒメとスセリがキノマタの墓の前でよりそってほほえんでいた。
 「この二人が、あの子を育てて、村に受け入れてくれたのだわ」ヤガミヒメがワカヒコとトヨタマヒメの墓を手でさすりながら、ささやいた。「そしてこの村が、あなたたち皆が、それを認めて下さった。ありがとう、スセリ。感謝します。あの子の分も、オオクニヌシの分も。ご恩は決して忘れません」
 「あなたがキノマタを連れて来て下さったから、生まれたものも、育ったものも、終わったものも多いのよ」スセリは答えた。「それは大きな戦いを終わらせて、世界を救った。私たちの、それぞれも」
 そこから少し離れた所で、オオクニヌシは三人の若者たちの誰にともなく言った。
 「私は、旅に出ようと思う」(つづく)

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カツジ猫