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水の王子・「岬まで」25

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 「私はどれだけ寝ていたんだ?」オオクニヌシはあくびをしながら、そう聞いた。
 「一日とひと晩」コトシロヌシが窓辺から戻ってきて、枕もとに座りながらほほえんだ。「そんなに長くじゃありません」
 「一年も寝ていた気がした」
 「それじゃハヤオんとこのオオヤマツミですよ」コトシロヌシは笑った。「ご気分はいかがですか」
 「いいか悪いかよくわからんが、疲れはすっかりとれたようだ」
 「いつものお部屋が落ち着くと思ったんですが、今はツドヘが使ってますので」
 「かまわんよ。ここはタカヒコネの部屋か。なるほどあのマガツミはなかなか気持ちよさそうにしてるじゃないか」
 「母が、クシマトという名前をつけました」コトシロヌシは言った。
 「ほう。本人はもうわかっているのか?」
 「どうだろう。でも、知らない人が来ると、いつもはずるずる逃げていなくなるんですが、父上のことは家族と知ってるんでしょうかね」コトシロヌシはマガツミのクシマトごしに部屋の中にふりそそぐ暖かな日差しをながめた。「でも目の玉が皆どこかに行っちゃってるから、警戒はしているのかもしれません」
 「夢の中で子どもたちの声を聞いた気がした」オオクニヌシは言った。「ヒルコとハヤオが帰ってるのか?」
 「ええ、何日か前から。今は灯台にいます」コトシロヌシは答えた。「父上が戻ったと聞いて昨日ちょっとのぞきに来たんですが、タカヒコネが長居させずにすぐ追い返しちまったんです。彼は今、スクナビコ化してましてね」
 「何?」
 「以前スクナビコが彼を大事にして誰も近づけなかったように、あなたを起こしちゃいけないって、皆を近寄せないんですよ。ツドへもニニギもホオリたちも。スセリがお着替えや髪やひげを整えて、スクナビコがお身体の調子は大丈夫と保障したあとは、その二人さえ来させようとしないんだから」
 「やれやれ。しかしまあ、ちょうどいいかもしれないな」オオクニヌシはしばらく考えていた。「彼を呼んでくれるか? 旅の話をしたいんだが、最初は君たち二人だけにまず聞かせた方がよさそうだ」
 「それじゃクシマトには悪いけど、片づけてよろい戸を閉めましょうか」コトシロヌシが窓を見た。「この連中にどれだけわかるか知りませんが念のため」
 オオクニヌシは首をふった。「聞かれてもいいよ。どうせ皆にもすぐ話す」
 コトシロヌシはうなずいて、急ぎ足で部屋を出て行った。
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 窓にはりついているマガツミのクシマトは少し余裕が出てきたのか、端の方からいくつか目玉があらわれて、すきとおった表面をしずくのようにちょろちょろ動いている。
 「出発してまもなく、浜辺でサルタヒコに会ったんだ」二人の若者が運んで来た酒をすすって、やわらかい木の実をかじりながらオオクニヌシは話し出した。
 「そりゃまた、めちゃくちゃまもなくですね」コトシロヌシがちょっとあきれる。
 「だいたいが船に乗せてもらおうかと思ってはいたもんでな」オオクニヌシは説明した。「ツドヘの話だと二つの町は海に近くて取り引きをしている船もそこそこあったということだったから」
 「サルタヒコは二つの町を知ってたんですね」
 「話には聞いていて、方角もだいたいわかると言ったから、どこか途中まででも乗せて行ってくれるよう頼んだ。快く引き受けてくれて出発したんだが、まもなく海賊につかまった」
 「クエビコですか」
 「むしろ望んでいたんだがね。クエビコの副官のフカブチというのは私の兄の一人なんだよ。私と一番仲がよかった、すぐ上の」
 「それもツドヘが教えてくれた?」
 「そういう噂があると言ってな。サルタヒコからもいろいろ聞いてまちがいないと思っていた。私に会ってフカブチはむろんたいそう驚いて、サルタヒコの船はすぐに解放し、二つの町まで送ってくれという私の頼みを聞いてくれた。しかしサルタヒコは船は仲間たちにまかせて一人だけ私といっしょに残ってくれた。私について来てくれると言って聞かなかったんだ。彼も冒険好きだからな。海賊たちや二つの町に興味もきっとあったんだろう」
 「それを知っていたら、せめて少しは安心したのに」タカヒコネが恨めしそうにつぶやいた。「どうして伝えてくれなかったんです?」
 「サルタヒコが仲間に口止めしたんだよ。ウズメにも話すなと言ってな。自分が船に戻るまでは、どこかの港に滞在してることにしておけってな。よくあることだし、ウズメも気にはしなかったようだ」
 「どいつもこいつも、あんたたちったら」タカヒコネはいまいましげに吐き捨てた。
 「まあ、怒るな」オオクニヌシはタカヒコネの肩をたたいた。その力の弱さにぎくっとしたのかタカヒコネは沈黙し、「それで?」とコトシロヌシがうながした。
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 「長い旅だった」オオクニヌシは酒をすすった。「二つの町は遠かったし、風の具合もよくなかったし、気候も荒れ気味だったしな。タカヒコネならきっと、よくない兆しだから引き返そうと言い出したろう。しかしクエビコの部下たちは優秀だった。彼らは全員、耳が聞こえなかったが、布や木切れにさまざまな記号を書いて細かいことまでやりとりし、何の不便も感じてなかった。サルタヒコが記号の写しをもらって自分たちの船でもとり入れると言っていたから、その内村でも使ってみるといいかもしれん」
 「それはぜひ」コトシロヌシがうなずいた。
 「サルタヒコは例によって陽気できげんよくやっていたよ。乗組員たちの人気者で、クエビコとも大いに愉快に楽しんでいた」オオクニヌシは笑った。「知ってもいようが、クエビコの言うことは、うっかり誰かが耳にすると、すべて実現してしまう。世界がほろびると言ったら世界がほろびてしまうんだ。危険だからとフカブチも私も口をすっぱくして言い聞かせたんだが、サルタヒコは平気でな。したたかにやってのけて、クエビコに危険なことは言わせず、酒やごちそうを出させたり、皆が苦労していた仕事を片づけさせたり、時には難しくて微妙すぎるんだが風向きを少し変えたりして、実に巧みに彼の予言を使っていた。当のクエビコもすっかり喜んでいた。フカブチが舌をまいて、サルタヒコがこの船に来てくれないだろうかと、なかば真剣に私にこっそり言ったぐらいだ」
 「そりゃまあ、あの人、大勢の仲間を指揮してきた上に、何てったってアメノウズメの夫ですからね」コトシロヌシが評した。「ことばの上でのかけひきなんて、それこそ筋金入りでしょう」
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 「まあそれでとにかく、私もフカブチといろんな話をする時間がたっぷりあったというわけだ」オオクニヌシは言った。「昔のことも話したが、それより今後の計画をいろいろ相談したわけさ。クエビコの力を使えばかんたんだろうが、フカブチはそれは決してするつもりがないようだった。クエビコのことを大切にして、ある程度大きなことや、汚い仕事は絶対にさせないように、それは心を配っていた。もともとまじめな性格だったが、おかしなことに海賊になってから、その厳しさには逆にみがきがかかっていたな」
 「そもそも二つの町のことは、彼はどれだけ知ってたんです?」
 「はなれてしまって長いから、草原や海での普通に流れる噂以上のことはほとんど聞いてないようだった。その点じゃツドヘの方が詳しかった。ただツドヘはなあ…フカブチも私も同じ意見だったが、ツドヘはいちずで思い込みが激しいし、正しいと思いこんだら譲らないし何をやらかすかわからないし、人の好き嫌いも激しいし、どういうか、ひどい目にあわされやすいんだ。熱っぽいから皆をまきこんでしまうこともよくあるし、フヌヅヌたちにしてみれば、彼にしたこともやむを得なかったところもあるかもしれんのだよなあ」
 「それじゃ思ったほど二つの町は、ひどい状態じゃないかもしれないってこと?」コトシロヌシが考え込む。
 「だってマガツミを兵士にしてるし、ヤガミヒメとあなたを殺そうとしたんですよ! 充分ひどい状態じゃないですか」タカヒコネが怒った。
 「そうは言うがね、タカヒコネ」オオクニヌシはのんびり応じた。「自分の町や村や都を守ろうとしたら、どんな王でもそのくらいのことはするぞ」
 「あなたって人はですねえ!」
 「もちろん、利口なやり方とは言えない。そしてフヌヅヌもオミヅヌも特に利口というわけじゃない。子どものころから父上にどう思われるかが二人のすべての基準だった。私とはさすがに年がはなれすぎていたから恥ずかしかったか対象にはしなかったが、いつでも兄弟の誰かを気にして、自分とどちらが優れているか比べなくてはすまなかった。とにかく、上からの目と、自分と比べるものがなければ、生きていけないのだよ、あの二人は。しかも、その目上の存在も、競争相手も、特に好きでも興味があるわけでもない。だから、これと言って好きなことがなかったし、面白いものや美しいものを作れなかった。才能や能力の問題じゃない。回りを見回しているのに忙しくて時間がなかったんだろう」
 「お二人は似ていたのですか?」
 「フヌヅヌは地味で堅実、オミヅヌは派手で目立ちたがり屋。そのくせ妙に似ていたな。たしかにツドヘが言うように、私がもっと二人のことを気にかけて何とかすればよかったのかもしれないが、公平に言って、二人は私にそう被害を与えたことはなかったし、フカブチと遊ぶのが楽しくて、私は彼らのことはあまり気にしたことがなかった。だから、二人が今どうなっているのか見当がつかないんだが、ひとつわかっていることは、父上が亡くなったあと、二人はきっとそれぞれに、タカマガハラにどう思われるかを何より気にして、すべてを決めていたのだろうということだ。それだけはたしかだよ。タカマガハラのことは別に好きでもないのにな」(つづく)

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カツジ猫