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水の王子・「岬まで」29

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 「あとはもう話すことはほとんどないと言っていい」オオクニヌシは疲れたように枕に身体を沈めて目を閉じた。「フカブチをクエビコにまかせて、私とサルタヒコは、にせものの二人の王をしばり上げ、兵士たちの武装を解いた。かけつけて来た家来たちも何が何だかわけがわからなかったようで、私たちの言いなりだった。ヤノハハキという女性が現われてから、話はずっと早く進んだ。彼女はヤシマの妻で王宮の人々にも信じられており、私たちの話を理解して、人々に命じてにせものの二人を牢に入れ、兵士たちをとり調べた。ウカノミタマは姿をくらましていたから詳しいことはわからなかったが、いつからか彼は二人の王を王宮のどこかに閉じ込め、マガツミたちをとってかわらせていたらしい」
 「いったいなぜ、そんなことを…」
 「さあな。よくわからんが、二人をあやつるのに疲れてしまったんじゃないかな。いくらウカノが人をだましたりあやつったりするのが好きでも、さすがに手に余ったんだろう。マガツミの方がずっと楽だと、どこかで思ってしまったんじゃないか」
 「最初に一人を入れ替えたんですかね。そのマガツミに協力させてもう一方も入れ替えたのか。それとも一度に二人とも?」
 「そのへんがどうだったのかは、もう知りようがない。しかし、他者とまともに話し合って何かを決めて行くのではなく、常に人をあやつってごまかしながらやって行くなら、常に自分より劣った者、弱い者を仲間として選んで行くしかないからな。結果として周囲はますます弱体化し、頼りになる協力者も相談相手もいなくなる。ある意味当然のなりゆきでもある」
 オオクニヌシは浅い吐息をついた。
 「なかば無駄とはあきらめつつ、私たちはそれでも必死で本物の二人を探したよ。しかし結局見つからなかった。クエビコのことば通り、この世から消えてしまったのだろう。オミヅヌの王宮で、二人が閉じ込められていたのではないかと思われる小さな部屋を見つけたがね。二人の好みが入り混じって、居心地よくしつらえてあった。それぞれのものらしい衣や品々もあった。卓の上には子どものころに私たちが遊んださいころの盤もあって、駒がいくつかそのままになっていた。案外二人は地位を奪われ、なすこともなくなって、かえって仲直りしてのんびり幸せに過ごしていたのかもしれない。だが、すべては想像だ。私とフカブチは二人の兄には会えなかった。話もできないままだった」
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 「それで今、二つの町はどのようになっているのです?」気を取り直したようにコトシロヌシがそう聞いた。「どんな状態なのですか」
 「伝統はある、古い町だが、もともとこじんまりしているし、それほど治めるのに苦労はいらない。ヤノハハキが何とかうまくやっている。彼女は二人のにせものを、そのままにしておくつもりのようだった。もともと私を殺せという命令を与えられて、あやつられていただけだから、新しい命令を与えて、かたちだけの王として飾っておくのが一番と判断したようだ。そもそもどれだけのマガツミが王宮に食い込んでいるのかも調べる気はないらしい。彼らが人間として作られて、仕事を果たしているのなら人間として扱っておいていいという考えなのだろう。『人間だって、彼らと大して変わらない者はいくらもいるんじゃないですか』と言っていた。このことで、タカマガハラとも近々話をするそうだ。事情を説明するのに、できたら協力してほしいということだったから、むろん私たちは引き受けた」
 「なるほど、やることがちがいますね」コトシロヌシは少々圧倒されたようだった。「たしか素晴らしい織り物を作るので有名な人ですね?」
 「それだがね」オオクニヌシは思い出して言った。「残念ながら彼女は作品をあまり見せてくれなかったよ。このところ、よいものがさっぱり作れないとのことで、かなり不機嫌になっていた。いやいや見せてくれたいくつかの絵巻物は私の目にはすばらしく見えたが、彼女は自分の腕はこんなものではないと、はっきり言っていたね。そのせいか、作品に向かうと気が荒くなるそうで、それだけはちょっと困ると家来たちが嘆いていた」
 「それは少し心配ですね」
 「いや、その点もうまく行きそうだ」オオクニヌシはわずかに目をなごませた。「だが、その前にフカブチがどうなったかを話さなければならないな」
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 「彼は私たちが思った以上に打撃を受けてしまっていた」オオクニヌシは語った。「見るかげもなくやつれて、弱り切って死んだように寝ついてしまい、一時は生命も危ぶまれた。それが私の帰るのが、こんなにも遅れた理由のひとつだよ」
 「だけど、それこそ、そこはクエビコが、フカブチは元気になる!と言ってしまえばすむことなんじゃありませんか?」タカヒコネはけげんそうだった。
 「私たちもそう思ったが、何しろクエビコ自身も自分が言った一言でフカブチがあれほど落ちこんでしまったことにおびえていてね、なかなか力を使えないらしかった。それに、もともとフカブチに許されたこと以外は言わないようにと、厳しく言われてきているものだから、彼の許しがなかったら、おいそれとは何も口にできないようでな」
 「そんな場合でもですか?」
 「クエビコは人が好くて素直だし、フカブチの厳しさと迫力と言ったら、君ら二人がよく知っているタケミナカタの比じゃないからな。ここだけの話、私がタケミナカタが何を言おうと平気だったのは、フカブチで慣れていたからさ」
 「そうですか」二人は深く納得した顔をした。「なるほどね」
 「その上、おまけに、そのフカブチがなかば意識のない中で、息もたえだえにくり返しクエビコに『私が死ぬと言え』と命ずるのだから始末が悪い」
 「いくら何でもクエビコも、それは言わなかったんでしょう?」
 「二人きりなら言ったかもしれんよ。私たちが必死でとめたからな。私とサルタヒコとヤノハハキが。クエビコも迷って、苦しんでいたが、まあフカブチのことは好きだし、頼り切ってもいたから、とうとう私たちの前で、フカブチは元気になる、元に戻る、と言ってくれた。これで安心だからもう絶対にクエビコとフカブチを会わせまいとサルタヒコは息巻いたが、それも二人に気の毒で、そばにいさせてやっていた。それでフカブチも少しずつ回復して行ったんだが、それでもしつこく何度もクエビコに頼んだ。せめて自分がもう二度と、何も愛さないようにしてくれ、と。自分が何かを愛したら、いつもきっと、してはならない、恐ろしいことをしてしまう、と」
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 「それも言わせなかったんでしょう?」やや不安そうにタカヒコネが聞く。
 「あたりまえだ。子どもの時からわかっていたが、フカブチは冷たいようでとても激しく愛する人だ。どんなものでも、全力で。だから傷つくし、傷つけもするだろうが、それを彼から奪うのは殺してしまうのと同じだよ」
 オオクニヌシはちょっとほろ苦く笑った。
 「サルタヒコなどはクエビコに本気でけしかけていた。いっそ彼が君を愛するようになると言ってしまえと。ヤノハハキもそれは悪くないという顔をしていた。だがそれは、クエビコの方が断った。今でもいつも彼は私のそばにいて、大切にしてくれるから、それ以上は望まないと。また、こうも言った。あの人がそうするのは、私が世界をほろぼしたり、それにつながることをしたりするのが恐いからです。それが、あの人が本当に愛している人を苦しめたり、ほろぼしたりするのがいやだからです。その人のためにあの人は全力をあげて世界を守り、私のそばにいてくれる。私にもそのくらいのことはわかっています」
 「それって誰です?」タカヒコネが気にした。
 「それって?」
 「その、フカブチが本当に愛している人」
 「聞かぬが花さ」オオクニヌシは笑った。「まあ要するにクエビコはいいやつだし、フカブチのこともわかっているということだ」
 「もう!」はぐらかされてタカヒコネが、ちょっと怒った。
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 「とにかくそれで快方に向かったものの、フカブチは沈みこんでいたのだが、ヤノハハキが彼を放っておかなかったのだよ。薬も食事も人まかせにして、彼の枕もとにどっかり座りこんで開口一番『あなたに死なれたら誰よりも私が一番困るのです』と切り口上で宣言した。『この町のことをお手伝いする力は私にはもう残っていない』とフカブチが答えるとヤノハハキは、おうむがえしに『この町も、どの町も、私にとっては二の次です。私の織り物のためにあなたには断じて生きていていただかなければ』と言い返して、さすがのフカブチも目をぱちくりさせて、きょとんとしていた。ヤノハハキはそれにもまったくかまわずに、『この町について、ご兄弟について、知っていることを全部話して下さい』と言った。『洗いざらい、一つ残らず。どなたもそれを私に教えて下さらなかった。知らないか、話せないのか、どなたも口にしなかった。あなたはそれがお出来になる。私は見ていてわかります』とね」
 「フカブチは承知したのですか」
 「承知した。というよりも、とても救われたようだった。まるで何かの毒を身体から流しだすように、彼はさらさら何から何まで正確に細かく話して聞かせた。私を殺した日の空の色、風の音。母が館から消えた朝の、庭で鳴いていた鳥の声。そばで聞いている私まで身の毛がよだつ細かさだった。まあ、ウカノミタマの悪口などは私が後で少し修正したりしたが」(つづく)

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カツジ猫