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水の王子・「岬まで」8

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 別の侍女が入ってきて、かめの運び先を相談して行った。イワスヒメとオオトシは彼女にも酒をすすめ、三人はしばらく他愛もない噂話に花を咲かせた。彼女が出て行くとイワスヒメは何事もなかったように、「それで?」とオオトシをうながした。
 「ウカノミタマとフカブチは、どちらも兄弟の中では少し変わり者でね」オオトシもやはり先ほどの話を、おだやかに続けた。「ウカノはやせて、目の鋭い、抜け目のなさそうな男だった。ずるそうな感じもして、何となく皆に警戒されていたが、また頼りにもされていた。フヌヅヌとオミヅヌの両方とうまくつきあっていたが、どちらからも、どこか信用されていなかったし、どちらにつくか誰にもわからなかった。フカブチは無口で、いつももの思いにふけっているような、少し淋しげな男だった。厳しくて冷たい感じもして、父に一番似ていたな」
 オオトシはしばらく一人ひとりの面影を思い浮かべているように、黙ってかまどの火を見つめていた。
 「その二人が変に浮かれて陽気な調子で、ヤガミヒメという美しい姫がいるから、皆で求婚しに行かないかという話を持ち出して来た。ウカノもフカブチも、とっつきにくく見えて、実は傷つきやすい淋しがりなところもあってね。我々兄弟のつながりを、案外とても大事にしていたのかもしれない。父の後継ぎが誰になるかで、我々の仲がびりびりはりつめて、皆がとげとげしくなっているのを一番苦にしていたのかもしれない」
 「そっか。わかるような気がするわ」イワスヒメがほほえんだ。
 「いい考えのように思えた」オオトシも笑った。「私は兄たちにその話をし、どこか熱に浮かされたように、皆がそれに飛びついた。美しい若い娘に皆で会いに行く、彼女が誰を選ぶか、皆で競い合う。とても面白い、わくわくする冒険のように思えてね。父の後継ぎは誰になるかと、重苦しく深刻にはりつめていた毎日を忘れる、同じ競争でも、もっと気軽で、華やかな気晴らしで、祭りのように兄弟皆が夢中になった。それぞれに衣装を整え、贈り物を選び、おたがいをからかい、けなしあって、ふざけたりして。母も、ときどき来る父も、そんな私たちを見て、楽しそうに笑っていたよ。何と仲のいい兄弟たちかとね。実際そのときの私たちは、仲がよかった。おたがいに皆のことが大好きだった」
 「ヤガミヒメが誰を選ぶかなんて、きっと、どうでもよかったのね」
 「誰が選ばれても、心から祝福したろうな。くやしがったり、笑ったりしながら。館を出て、ヤガミヒメのいる城まで、皆で海辺を旅しながら、私たちははしゃぎあって、ふざけあって、あんなに楽しかったことはなかった」
 「末の弟さんも?」
 「あいつも楽しそうだったが、まだ子どもだったからね。私たちが言いかわす、きわどい冗談などもよくわかってなかったようだし、よくわけがわからないままに、とことこついて来ていたよ。荷物が多くて子どもには重かったから、いつも少し遅れていて、ヤガミヒメの待つ広間にも、一人あとから入ってきた」
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 火がぱちぱちとまたはぜた。残り少なくなった酒の、かぐわしい香りに部屋は満たされていた。オオトシは深い吐息をついて、ゆっくり足をくみかえた。
 「私たちは本当に愚かだった」かみしめるように彼は言った。「私たちの誰も、まるで気づいていなかったんだ。まだ子どもだとばかり思っていた、あの弟が、オオナムチが、いつの間にか大人になっていたことを。顔立ちも身体つきも大人びて、少年の面影を残したまま、一人前の男になりかけていたことを」
 彼はゆっくり首をふって、「いや、もしかしたら」と言った。「あのとき、ヤガミヒメを見て、一気に弟は大人の男になったのかもしれない。私たちに遅れないよう必死でついて来たから、身体も顔もしとどな汗でぬれていた。私たちとちがって髪も乱れて額にたれかかり、服も粗末で汚れていて、ひじも、ひざもむきだしで、つややかな肌があらわだった。そのすべてから、若い男のかぐわしさが匂い立つようだった。飾り立てた私たちの中で、その質素な姿は逆にみごとに目立ってしまっていた。何よりも」オオトシは目をわずかに天に向けた。「何よりもひと目見るなり、弟はヤガミヒメに目を奪われ、遠慮も照れも気負いもなく、夢中でまっすぐ、うっとり見つめていた。真剣に、ひたすらに。遊び半分、お祭り騒ぎで、おたがいふざけあいながらやって来た私たちとは、まるで気合と熱気がちがった。若く美しい女性を身近に見たのは弟は初めてだったから、それも当然だったのだが、あんな風に見られて、心を動かされない女などいるわけがない。彼に比べたら私たちは皆、こっけいで安っぽい道化者の群れだった。一人残らずあの瞬間に兄弟皆がそれを思い知らされた。たがいの気持ちもわかったよ」
 「ヤガミヒメはどうしたの?」
 「落ち着いていたよ。さすがに身分の高い女性の風格だった。それでも、目が輝いて唇がぬれて、弟に見とれているのがよくわかった。何かお話を聞かせて下さい、と彼女が弟に頼み、弟が口を開いて浜辺でウサギを助けたという、自分が見た夢の話をはじめたとき、もう私たちの誰にも、とことん望みはないことがわかった。弟の声はいつも、やわらかで低くて、相手の心をわしづかみにして、しびれさせる。語ることばも耳に快く届くのは、まるで音楽を聞くようだった。ヤガミヒメはその後ですぐ彼を選び、あなたの妻になりたいと言い、弟をそのまま城にとめおいた。弟はそんなことは予想もしていなかったようで、呆然と、むしろ心細そうだった。私たちは笑って彼を祝福し、そのまま彼を残して館に引き上げた。騒々しく笑いながら、ふざけあいながら。起こったことの何もかもを、まともに認める気もしないで、冗談を言いあい、平気なふりをし、仲のいい兄弟のお祭り騒ぎを続けていた。熱に浮かされたように、狂ったように、しゃべりつづけて。沈黙が恐かったから、そうやって、たがいの傷をなめあいつづけた」(つづく)

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カツジ猫