水の王子・「川も」16
第九章 殺された女
二人の少年は、多分、村ではお屋敷についで二番目に大きい、商人たちの宿になっているという家の入り口に立っていた。外見からでは目立たないが、家の中は入り口からすでに一段ごとに色のちがう石をしきつめた派手な階段があり、その向こうの広間や廊下にも、妙にぴかぴか光る石が練りこまれた床が広がり、そのあちこちにうず高く、村人たちが持って来たらしい作物の束や、土器や袋が積み上げられている。大勢の下働きの男女が、それらをせっせと仕分けしながら、にぎやかにしゃべりあっていた。中年の男女もいれば、若者も娘もいる。
ふっくらと床まで垂れ下がった派手な色のかけ布、あちこちに置かれた大きな燭台、奇妙なかたちの植物の鉢植え。石で作られた大小のかまどには、赤々と火が焚かれて、一歩家の中へ入ると汗ばむほどに暖かい。
「すごいな」ハヤオがヒルコにささやいた。
「けばい」ヒルコは一言で片づけた。
「お屋敷が地味に見えるぞ。ここ見たあとじゃ」
「あそこが上品に見えるなんて信じられない。よくこんな、ありとあらゆる、げてものみたいな飾りつけ思いつくよね」
「ひと回りして、これはこれでもいいって風にも思えないか?」
「うん、ここまで行くと、もう毒気さえ感じなくなる」
廊下の奥から、この家の主らしい男が早足でやって来た。まだそれほどの年でもないが、頭はみごとにはげ上がり、赤ら顔ででっぷりしているわりに、身体の動きはてきぱきと力強い。「おお、おいでなさい」と彼はあいそのいい、がらがら声で言った。
「モモソから頼まれた品物を、ことづかって来ました」ハヤオは一礼して包みをさし出しながら、内心この品物の山の中では、モモソのつつましい細工物は、どこかにまぎれこんで忘れられてしまうのではないかと危ぶんでいた。
だが主は、脂ぎったほおの上の細い目をいっそう細めて、大切そうに包みを開き、中の小物のいろいろを広げてみた。「おお、モモソも腕を上げたなあ」と彼は感心した。「評判いいんですよ、いろんな町の王や妃にも。ほれ、大事に扱って」と彼は、つきそって来ていた若い娘にそれを渡した。「戸棚にしまっておきなさい」
「はい、だんなさま」
受け取りながら軽く腰をかがめた娘は、他の下働きの者とは明らかに身分がちがっていた。妻にしては年が離れているし、妙になれなれしいような、なまめかしい色っぽさは、ただの主従関係というには無理がある。現に主の男は人目も気にせず娘の髪や背中をなで回しているし、娘の方も微妙に小さく鼻を鳴らして、それとなく身体をくねらかしたりしている。
※
「入って、一服して行きなさい」主の男は言った。「前から会いたいと思っとったよ」
「僕たちのことをご存じなんですか?」
「ヒルコとハヤオじゃろ? ナカツクニの村の」男は言った。「タカマガハラともつきあいのある、有名な村じゃ。いつかああなりたいもんじゃが、ここには海もないし、川もあんなふうじゃし、まあ高望みだわなあ。どうしたどうした皆。手が動いとらんぞ。今日中にはここの廊下の荷物は仕分けしてしまわなければならんのに。それ! もっと光を!」
あたりで働く村人たちに男が両手を高く上げて呼びかけると、皆も笑って大声でいっせいに手を空にさしのべ、「光を!」と唱えた。「もっと明るく!」
「その意気じゃ。がんばれ」男は満足そうに両手をばんばん打ち合わせ、「お茶の用意じゃ!」と娘に命じた。「酒でもかまわん。あんたたちもどうだ? もう飲めるんじゃろ?」
「両方用意しときます。どうせだんなさまは飲むんでしょ?」娘は口笛を吹いて腰を振りながら奥へと入って行った。
男ははげ頭を平手でつるつるなでた。「さあ、奥においで」と彼は二人にまたうながした。「甘いものも、おもちゃも、たくさんありますぞ」
※
モモソは、品物が歓迎されたことを聞いて喜び、冬の間にまた何度か、出来上がった袋や小物を二人に持って行かせた。
騒々しいはげ頭の主人は、次々に運び込まれる荷物がふえるにつれて、ますます忙しくなるようで、「光を!」と言っては皆の間を走り回っていたから、もっぱら最初に会ったとき、つきそっていたあの娘が二人の相手をしてくれた。三人はお茶を飲みながら、あれこれおしゃべりをした。主人はめったに娘に仕事を言いつけず、ただそばにおいて、でれでれしていたし、娘も新しい衣や宝石をとっかえひっかえ身につけて、だらだら怠けて過ごしていた。
奇妙なことにも思えるが、そんな彼女はツマツがこの家を訪れていたころも仲好しで、よくしゃべっていたらしい。「彼女元気? たまには連れて来てよ」と、酒をすすりながら、とろりとした目で彼女は二人に頼むのだった。
「畑たがやすのと雪かきで、彼女毎日忙しいんだ」
「ふーん」娘は目を細くして笑った。「あたしは雪かきしたことないな」
「よっぽど南のご出身ですか?」ヒルコが聞いた。
「生意気言って」娘はヒルコのほほをつついた。「あんた、ツマツが好きそうな顔ね。あの子の好みは知ってるから、わかるんだけどさ」
「あんたの好みは?」
「あたしはそっちの君かなあ」娘はハヤオを指して笑った。
「よく言うよ。君っていつもそうなのか?」
「思わせぶりは嫌いだもん。男でも、女でも。いったん好きと言っといて、こっちがそれを思い出させると、そうだっけ?ってとぼけて、ひっ返すやつがいるでしょ。あれが中でも一番嫌い。言ったからには責任持てって。それがいやなら、はじめから言うなって」
「そういう話、どっかで聞いたな」ヒルコが言った。
※
「えー、どんな話?」娘が聞きたがった。
「僕らよりもうちょっと年上の、あんたぐらいの男と、その友だちの話だよ」
「いい男たちだったの?」
「まあ、けっこうね、二人とも」
「それでそれで?」
「その男、友だちのことすごく尊敬して好きだったけど、それを口に出して言ったり態度に見せたりしたことはなかったんだって」
「きっと、みえみえだったんだろうけどな」ハヤオが口をはさむ。
「何だ、あんたもそいつらのこと知ってんだ」娘は言った。「それで?」
「そしたら、そんなに親しくもない、どっかの娘がその友だちにひと目ぼれして、本人じゃなく回りにやたら言いまくり出したらしい。もう、生きてるのがつらくて死のうと思ってたけど、あの人を見たら救われて、生きる力がわいたとか、今こうやって自分が生きてられるのは、あの人のおかげだとか」
「ばっかみたい」娘は吐き捨てた。「何がしたいわけ、そいつ?」
「知らないよ。彼にもわからなかったって。でも一応いい話だし、皆も感心してるから…」
「まあ、あほくさ」娘はにべもなかった。「誰も感心してないよ。バカだと思ってイライラしてるよ。でも、あんたの言う通り、死にかけたやつが死に損なった話したら、回りは一応黙って聞くしかないから、つまんないのがまんして聞いてやってるだけさ。少なくとも、いっぺんはね」
「それが、その女、何度も何度も、どこでもいつも、その話を人にしまくって、彼に感謝してるって言いふらすんだって」
「だと思った。しまりがなくって、たれ流すんだよ、そういうやつって、だいたいは。とにかく、どうしても話したかったら一ぺんだけよね。それ以上は人前で尻まくって用を足すのを見せつけてるのと変わらない」
「でもまあ、彼はがまんして見逃してたって。その友だちも、直接言われるわけじゃないし、まあ放ってたらしいんだけど」
「ふうん」娘は自分で杯に新しい酒をついだ。
※
「彼は後に、すご腕の盗賊になってさ」ヒルコは続けた。「草原で子どもも女もいっぱい殺したらしいの。でも、そのころはまだ、いいとこの子で、少年みたいなもんだったから、もちろん何もしやしなかった。もっと後ならまちがいなく、その女切り殺したろうって言ってたっけ」
「でもどうせ、その女のしてることも長続きはしなかったんでしょ?」娘は肩をすくめた。「死にかけたけど、その人のせいで生きる力をもらったなんて話、その内すぐに飽きられるもん」
「そうだったのかな。その女の子、それだけじゃ回りを引きつけられないと思ったのか、だんだん別のカッコいい男のことも、ほめちぎったり持ち上げたりするようになって、今までの話といっしょにしゃべってたらしい。まあ、彼の友だちの方は、話が自分に集中しなくなった分、楽になったから喜んでたらしいけど、彼の方は友だちがものすごく粗末に扱われたみたいで、なんかもう、いろいろ耐えられなかったらしいんだよね」
「そういうやつっているのよ、わりとたくさん」娘はせせら笑った。「誰かをほめたり、愛したりするのは、結局自分の魅力を見せるため。回りの人をひきつけるエサにしてるだけで、本気で相手を好きなんかじゃない」
「ただまあ、ちょっと気の毒だったのは」ヒルコは続けた。「その彼ね、その友だちも死んだあと、故郷を出て盗賊になって、人殺して回ってたんだけど、やっぱりほら、今度は自分がいろんな女に言い寄られてね。ろくに相手もしなかったんだけど、中でも一人、しつこいぐらいに、あんたが誰よりも好き、あんたのためならいつでも死ねる、あんたはあたしの最高の大切な人なんてくり返しちゃ、彼をひとりじめしたがる女がいたらしくってさ。自分以外の女も男も追っ払って近づけないから便利だと思って、彼はまあ適当にあしらって、望み通りにひとりじめさせてたらしいんだよね。そうしたら、あるとき、町で二人で店にいたとき、彼が何か必要なものがあって、それを宿から取ってきてくれるよう、彼女に頼んだらしいんだ」
※
「彼女は二つ返事で、いそいそ飛び出してったんだけど、そのあとですぐ、彼はもうひとつ取ってきてほしいものがあったのを思い出して、女のあとを追っかけたんだって。そうしたら、店のすぐそばの通りで、その女が行商人から自分の紅を買っているのを見ちゃったらしい」
娘は苦笑いした。「あらあ。それで?」
「彼はそのまま女の後をつけて、宿のへやで女を切り殺して、必要なものを取って、さっさとその町を出ちゃったって」
「でしょうねえ」
「驚かないの?」
「当然だもん」
「彼は言うんだ。他の女が、いや男でも、おれが何かを頼んだら、それをする途中や前に、山ほど紅やかんざしを買おうが、まんじゅう食おうがひげをそろうが、おれはちっとも気にしやしない。でもな、おれのことが何より大切、命より大事と二言目には口にしてたやつなら、たとえどんなにつまんない用事でも、絶対におれに頼まれたことを何より先にするべきだ。理屈じゃない。心がそうしか動かないはずだ。ついでに何かしようなんて心の余裕があるもんか。親が死のうが足が折れようが、おれの望みを何よりもまず第一にかなえようとするだろう。もちろん、そんなことは無茶だし無理だ。人間に要求できることじゃない。だから、そんなことは約束しちゃいけないんだ。おまえが一番大切で何ものにも代えがたいなんて口にしたら、自分の死刑執行を宣言したも同然だぞ。おれを最高の存在と言い切ったとき、あの女は命をおれに預けた。おれにいつとり上げられても文句は言わない契約をしたんだ」
ヒルコがちょっとタカヒコネっぽくしゃべっているのが、何だかおかしく、かわいくて、ハヤオは笑いをかみ殺した。こいつ、そこそこ物まねはうまいんだよなと思い出していた。
「すばらしいじゃない?」ヒルコの語り口のせいもあったか、娘はすっかりうっとりした。「その彼は今もまだ、あんたたちの村にいるの? 今すぐ行って、抱きしめて、からからになるまで、やりまくりたいわ。次の日殺されたってかまわないから!」
「えっと…」我に返ったヒルコがとまどって、少し赤くなっている。(つづく)