水の王子・「川も」4
第二章 これまでのこと
ヒルコとハヤオは、どちらも十歳か十一歳ぐらいの少年だ。空の上の世界タカマガハラから、イザナギとイザナミ男女二人の神が地上に下りて、この世界を作ったとき、最初と最後に生まれた子だ。
ヒルコはまだ人の形になりきらずに生まれて、両親は嘆きながら彼を海に流した。ハヤオは生まれるときに母のイザナミが死んだため、怒った父のイザナギから切り殺されてばらばらになった。
けれど、二人はそれぞれによみがえり、やがて今のような少年の姿になった。ただし、それ以上は大きくならず、どちらもたがいのことは知らないまま、オオヤマツミとナキサワメの夫婦が住む、深い森の奥で暮らしていた。
ヒルコは池の底にある自分の小さい小屋で。ハヤオは理由もないのに泣いてばかりいるナキサワメと、めったに目をさまさず眠ってばかりいるオオヤマツミの家で。
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やがて知り合った二人は、いっしょに森を出て、草原を旅し、都で暮らし、海のかなたの島で過ごして、海辺の小さな村に落ち着いた。ナカツクニという村だ。
ハヤオの死後、地下の世界ヨモツクニでよみがえったイザナミは、タカマガハラの支配者となったイザナギと対立し、二人は地上の世界をまきこんで長く激しい戦いをくりひろげたが、それも少し前に終わった。今では二人は和解して、娘の一人アマテラスとともに、高い山奥でひっそりと仲むつまじく暮らしているという。
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ナカツクニの村は、キノマタという若者が現れて村を支配しようとしたことから、一時混乱を招き、背後にあった低い山と周囲の森も崩れて、村と入り江の半ばを埋めたが、ほぼ同時にキノマタも死に、村は何とか元の形を取り戻した。長のようで長でないオオクニヌシとスセリの夫婦、その息子のコトシロヌシと都やタカマガハラから来て住み着いた若者たちが、それなりに治めていて、今のところは村は平和だ。
それで安心したこともあって、ヒルコとハヤオは、このごろめったに村に帰らず、二人きりでよく旅をしていた。
もともと、ナカツクニという村は、訪れる旅人がしばらく暮らしてはまた旅立ったり戻って来たり、村人と旅人の区別があまりよくついていない村だ。「ここは村じゃない、ただの道です。私も別に長じゃない」と言って昔からオオクニヌシは、人をよく煙に巻いていた。
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そうやって煙に巻かれている内に、いつしか村の住人になって今ではコトシロヌシとともに村を切り盛りする一人になってしまっている、もともとはタカマガハラの戦士だった若者ニニギが、あるとき不思議そうに「君たちちっとも似てないし、あんまり仲がよさそうでもないのに、よくそうやっていっしょに旅ができるなあ」と聞いてきたことがある。ニニギは見た目も性格も清々しい、いかにも正義の国タカマガハラの若者だが、ときどき率直すぎて空気が読めず、たしかにそうかもしれないが、それを今言わなくてもというような発言や質問をしまくることで有名で、友人のコトシロヌシや都から来た若者のタカヒコネからよくからかわれていた。悪気はないし、本当のことが多いから、皆もう、そんなに気にはしない。
そのときのハヤオとヒルコもそうだった。
「まあ、ぜいたくは言えないし」ヒルコは言った。
「がまんできないほどじゃなし」ハヤオも負けずにそう言った。
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たしかに二人は似ていない。特に外見は何から何までと言いたいぐらいにちがっている。
色が白くてほっそりして、栗色がかったさらさら長いまっすぐな髪を肩にたらして、いつも白い衣をまとっているヒルコは、顔立ちもはかなくやさしく、まるで少女のようだった。一方のハヤオは、まっ黒い髪が元気よくくるくるとうずまき、陽に焼けた肌、きかん気そうな、くっきりとした目鼻立ち、手足もひきしまってたくましい。声もはきはき、よくとおる。ヒルコの方は、やわらかく澄んだ声だが、どうかするとちょっと冷たくよそよそしい。
中身となると、もっとちがう。ハヤオは自他ともに認めるほど、好き嫌いがすぐ顔に出るし、思ったことはすぐ口に出す。ヒルコと来たら表情はそれなりに豊かで人なつこいくせに、何を考えているか相手のことをどう思っているかさっぱりわからない。めちゃくちゃ怒って相手のことを軽蔑し見限っていても、平気で数年間もしかしたら永久に誰にもそれを気づかせないんじゃないかと思うほど、表情も声音も態度も変えない。
だからもうずっと前から、ハヤオはヒルコが何を考えているか感じているか知ろうとするのをやめている。まあもともとハヤオは人の顔色は気にしない方なので、それはそれほど苦痛ではない。ヒルコもそれは知っているはずだから、教えたいことや伝えたいことがあれば、自分で言うだろうと思うことにしている。
ヒルコの方も、それでまあ特に不便はないらしい。ハヤオが他人についするように、いろいろおせっかいをやいたり身の回りのことに口出ししても、昔はそれなりにいやがったりかんしゃくをおこしたりしていたような気もするが、このごろでは何を言われても完全に右から左へ聞き流して、まったく意に介してないようだ。(つづく)