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水の王子・短編集「渚なら」12

第八話・困った人ね(上)

「おじさんさ」ミズハが聞いた。「人をたくさん殺したの?」
 「うん」タカヒコネはうなずいた。
 「どのくらいたくさん?」
 金色の髪の愛らしいミズハは、この村に来てまだ数ヶ月。元気いっぱいの十歳前後の少女だ。おじさんと呼ばれるタカヒコネも鋭い目鼻立ちと繊細な表情の、まだ二十代の若者だ。二人はナカツクニの村の入り江を前にした砂浜の砂丘に並んで座っていた。少し離れた岩の上に、タカヒコネにいつもつきそっている狼のようなけもののイナヒが昼寝をしている。
 「どのくらいって、さあ…」タカヒコネはめんどうくさそうに目を泳がせて、二人が座っている砂浜の向こうに広がる、きゃしゃな若木の林と、点々とその間に散らばる家々を見た。「この村の人数ぐらいかな」
 「すごいね」ミズハは目を見張った。
 タカヒコネはちょっと笑った。「いっぺんにじゃないよ」
 「いっぺんに一番多く殺したのは何人?」
 「ええと、六人、いや七人か」タカヒコネはそう言ってからまたつけ加えた。「それも、でも戦ってじゃないから。家にとじこめて火をつけたんだ」
 「出て来られないようにして?」
 「外で待ってたんだけど、結局誰も出て来なかったんだよ」
 「あらあ」ミズハはため息をついた。「出て来たらおじさんに殺されるって思ったのかな」
 「そうだろうね」
 「どんな人たちだったの? その人たち」
 「男が三人、女が二人、子どもが二人」
 「子どもって、どのくらいの?」
 「君よりちょっと小さいぐらい」
 「皆、火の中で焼け死んだの?」
 「そうだと思う」
 「その人たち、家族だったの?」
 「よくわからないんだよ。皆がそうじゃないと思うけど」
 「ふうん」
     ※
 「君はよくもまあ、そんなに落ち着いてすらすら答えられたな」コトシロヌシはあきれ顔だった。タカヒコネより少しだけ年上の物静かな青年で、村のまとめ役である。
 「いつかは聞かれると思っていたからな」タカヒコネはよく泊まって行くコトシロヌシの家の寝台にもたれかかって、ものうげに答えた。「むしろ、遅すぎるぐらいだよ。もっと早くに聞かれるって思ってた」
 「君の返事は皆、本当か?」
 「うん。何ひとつかくしていない。おれな」タカヒコネはつぶやいた。「オオクニヌシやツクヨミや君たちになら、かくしごとも嘘も平気だけど、ミズハには、とりつくろう自信がなかったんだ。だから決めてた。聞かれたら全部本当のことを言おうと」
 「あの子にとって、それがどういう結果になるかとか考えてみなかったのか?」
 「考えたさ。だけど、わからなかったんだ。そして、はっきり全部本当のことを言わなかったら、あの子、勝手にまたとんでもないことをいろいろ考えて、何をどうするかわからないと思った。結局、嘘をつかない方が一番安心だって思った」
 「まあいいさ。それで?」
     ※
 「おじさんが初めて人を殺したのはいつ?」ミズハは聞きたがった。「あたしぐらいの子どものとき?」
 「いや、もっとずっと大きくなってから」
 「戦いに行ったの?」
 「じゃなくて、友だちの中の超悪いやつを殺したんだよ。そいつさえいなくなれば何もかもうまく行くと思ったもんだから」
 「うまく行ったの?」
 「わからないんだ。夜だし、初めてだったし、まちがえてしまって、おれは一番の親友だった、立派なやつを殺してしまった」
 「ああ!」ミズハは手をにぎりしめた。「そういうことって、よくあるよねえ」
 「めったにないよ」
 「だってあたしには、そういうことしょっちゅうだもん」
 「君は人を殺しちゃないから」
 「そりゃそうだけど」ミズハはしばらく待っていたが、タカヒコネが黙っているので続けた。「それから?」
 「ん?」
 「そのあとは?」
 「その、悪いやつを殺して、他にもいろいろ殺して、そして家を出て、草原に出て、そして、いっぱい人を殺した」
     ※
 「おい、ミズハは君の話をちゃんとわかっていたのか?」コトシロヌシは危ぶんだ。「意味わかって話してたのか?」
 「うん、ちゃんとわかっていた。少なくともおれには、そんな気がした」
 「十歳かそこらの女の子だぞ。あの平和で優雅な花と虹の町で育った…」
 「そうなんだけどな」タカヒコネはちょっと目を笑わせた。「そんなこと言うなら、君だって同じだろ。おれのして来たことと、まるでちがった生き方をして来たってことでは」
 「ああ、まあ、そうだけどな」コトシロヌシはうなずいた。「それで、ミズハは何て言った?」
     ※
 「その人たちも、皆、悪い人だったの?」ミズハは聞いた。「だから、おじさんが殺したの?」
 「ああ、いや、ちがうよ」タカヒコネは遠い目をした。「皆、知らない人ばかりだった。ほとんどはね。おれを殺そうとしたやつもいたけど、それは本当に少なくて、身を守るために殺した相手なんていなかった」
 「じゃ、どうして殺したの?」
 「食べ物がほしかったり、寝るとこがほしかったり。それが一番多かったな。人を殺した理由は、特に、はじめのころは」
 ミズハは首をかしげた。「食べるものを下さいとか、頼んでみたりしなかったの?」
 「何だかもう、そんな元気がなかったんだよ」
 「人を殺す元気はあったんでしょ?」
 「うん、そっちが楽だったんだ」
 「ふうん」ミズハはまじまじとタカヒコネを見た。「そんなもんなの?」
 「そんなもんなんだよ」
     ※
 「そんなもんなのか」コトシロヌシは言った。
 「結局、おれが人を殺すのって」タカヒコネは言った。「疲れきってるときなんだよな。ミズハに話してて気がついたけど」
     ※
 「あたし、おじさんがたくさん人を殺したって聞いて、それはサグメさまだってニニギおじさんだってウズメさまだって同じじゃんと思ったのね」ミズハが言った。「数だけで言ったら、おじさんよりも、あの人たちの方が多いよね」
 「そうなるかな。どうだろう」
 「絶対そうだよ。焼き殺したとか、押しつぶしたとか、そんな話ばっかりじゃん。タカマガハラのえらい人たちの話って。でもそう言ったら、ウズメさまもサグメさまもニニギおじさんも、ものすごく怒ったの」
 「そりゃそうだよ。あっちは仕事で、おれはただ自分の生きるためだ」
 「どっちかって言うと、おじさんの方がえらいじゃん」
 タカヒコネは、がっくり首をたれた。
 「おまえ、そんなこと、まさかサグメに言ってないよな?」
 「言ったよ。それで怒られたの。おじさんのは、ただの自分のための人殺しで、自分たちは敵と味方に別れて戦ってても、ちゃんとたがいを尊敬してるし、あとに恨みも残さないって。それであたし、ちょっと気になって、おじさんのことが」
 「へえ?」
 「恐くない?」ミズハは声をひそめた。「サグメさまたちは仕事で敵味方恨みっこなしだけど、おじさんはそうじゃないんだよね」
 「うん、まあね」
 「そしたら、おじさんに殺された人の子どもとか、友だちとかは、おじさんを恨むよね?」
     ※
 「あきれた」コトシロヌシは両手を広げた。「おまえ、ミズハに心配されてたのか」
 「知らんよ。とにかくおれはすぐ、そこは安心させてやったよ」
 「どう言って?」
 「事実をそのまま。心配するな。おれが人を殺すときは子どもも家来も皆一人残らず殺すから、おれを恨んでつけねらうような者は、誰も生きのこっちゃいないよ。ってな」
 「それ本当なのか?」
 「ミズハを安心させるために言うと思うか? 赤ん坊でもおれは残らず殺したよ」コトシロヌシが顔を曇らせているのを見て、タカヒコネは淋しそうな目をした。「まあ、そんなとこだ」
 「それでミズハは?」
     ※
 「そっか。それじゃ安心よね」ミズハはほっと息をついた。「それじゃもう、おじさんは何も心配なことはないね」
 「うん。どうなんだろうな」
 「何か心配なこととかあるの?」
 「別に」
 「身体とか、傷のこととか?」
 「そんなの、誰でも同じだよな。いつ病気になるか死ぬかなんて誰にもわからないんだから」
 「じゃ、おじさんは、今、幸せなんでしょ?」
 「うん、まあ」
 「ちがうの?」
 「ちがわないけど、でもミズハ」タカヒコネはゆううつそうに言った。「やっぱ、人は殺すなよ。そして、殺されないようにしろよ」
 「そうなん?」ミズハはふしぎそうにした。「サグメさまもウズメさまも、不幸そうじゃないし、いっぱい人を殺してても」
 「あの人たちは知らないけど、おれだって別に不幸じゃないけど、ただ」
 「ただ、なあに?」
 「ときどきね、急に、ものすごく悲しくなるんだ」
 「何で?」
 「なぜか、わからないけどね。とても悲しくなる」
 「それ、人をいっぱい殺したから?」
 「うーん、わからないけどね。誰か、おれのこと、殺しに来ないかなと思ったりする」
 「どうして?」
 「自分が殺したやつのこと、思い出そうにも思い出せなくて、そういうやつが来たら、教えてもらえそうな気がして」
 「殺した人たちの夢とか見ないの? うなされたりとかもしないの?」
 「いっぺんも、ないんだよな」
 ミズハはしばらく黙ってタカヒコネを見ていた。それから、小さくため息をついた。「おじさんって」ささやくように彼女は言った。「困った人ねえ」(2023.8.17.)

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