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水の王子・短編集「渚なら」5

第四話・どうしても知りたくて(2)

 

この村が少し前に壊滅に近い状態になった原因は私にある。その後の復興の中で、皆は忘れているようだが。
 昔、私と愛し合ったヤガミヒメという女性が、私の子どもだという赤ん坊を抱いて村を訪れた。決して泣きやまない、いつまでも育たない子ども。彼女はその子をおいて去り、トヨタマヒメという娘がその子を育てた。私の妻のスセリは、自分が育ててもいいと言ったが、私が許さなかったのだ。
     ※
 思いがけなく赤ん坊は成長した。キノマタという名前だった。あっという間に少年に、そして青年になり、酒場の女タマヨリヒメから奪った(もしくは与えられた)宝物の数々と暴力を用いて若者たちを支配し、村のしくみを変えていった。
 彼は私に、自分を愛し、息子として認めることを要求した。私は相手にしなかった。彼は村を支配し、逆らう者を追い出すか殺すかして自分の力をふやし、村を大きく、強くすることをめざした。タカマガハラの女将軍キギスを殺し、それを防ごうとしたアメノワカヒコを殺し、それに怒ったトヨタマヒメに殺された。その後、彼のあとを継ごうと争った若者たちが投げた珠の魔力によって、村の背後の山は崩れ、村の大半ががれきに埋まったのだ。
 タカマガハラの助けもあって、村はやがて元に戻り、キノマタの記憶は人々の中から消えた。私自身は元々表には出ていなかった村の支配からは今はほとんど手を引いて、息子のコトシロヌシや、アメノワカヒコの友人ニニギやタカヒコネたちにまかせている。
 タカヒコネが複雑な過去を持ち、激しい気性とタカマガハラの戦士なみの傑出した戦闘能力をそなえている上、私のせいもあって身体の古傷が癒えずに弱っている分、身体も心も不安定な部分があることはわかっていた。だから大事に見守っていたのは事実だ。
 しかし決してそれだけではない。かつてスサノオの都で若い王だった育ちのよさや品のよさ、草原で悪の限りをつくした荒々しさや冷酷さが奇妙に入りまじる外見や性格は、あらゆる人をひきつけた。さらに彼がおそらく自分ではまったく気づいていない、その魅力の根底には、救いようもないと言いたいぐらい、どこか間抜けなほどに素直な子どもっぽい、ひたむきさがあった。そして私が彼を愛する理由は他にもあって、それはたしかに、キノマタとも関わっていたと言っていい。
     ※
 私は彼を見つめたまま、返事をためらっていた。彼は不安でたまらないといった顔で私を見つめ返している。
 「なぜ彼を愛さなかったか」私は自問自答した。「なぜ彼を愛せなかったか」
 「彼本人のせいじゃないですよね」タカヒコネもひとり言のように言った。「だって赤ん坊だったんだから。何か予感がしたんですか。それこそ、村を滅ぼしそうな」
 「その前に、村が私にとって何だったかだが」
 「それはおれも知りたいです」彼はつぶやいた。「あなたはずっと、ここは村じゃなくてただの道だ、私はここの長じゃない、と言って来られたんですよね」
 「それは別に嘘ではなかった」私は言った。「私とスセリがスサノオの都の地下から流されて、この海岸に着いたとき、ここは数軒しか家のない、小さい海辺の集落だった。私たちは皆と親しくなり、家を作り、畑を作り、漁をして、いつとなく私がまとめ役になり、そのころはまだ、タカマガハラとヨモツクニのいくさも続けていたから、草原から逃げてきて、ここに住みつく人も次第にふえた。だが、長くいないで、また旅だって行く人も多かった。傷つき疲れた人たちの世話をして、また旅立つ力を与えてやるのが私たちの仕事だと私は思っていたよ。人々を引きとめようとは思わなかった。村を大きく、強くしようとも思わなかった。誰でも来て、いつでも去れる、そういう場所にしておきたかった」
     ※
 「めざしてそうなったというのじゃない。ひとりでにそうなった」私は言った。「前からここにいた漁師サルタヒコが、まあ皆のまとめ役だったが、彼の考え方がそもそもそうだった。だから私と気が合ったし、別に話し合ったりしなくても何となく同じ気持ちで村を作っていたんだよ」
 「ヤガミヒメだって、他の傷ついてたどりつく旅人と同じでした」タカヒコネは言った。「なぜ他の人たちと同じように、受け入れて、いたわってやれなかったんですか」
 おそらく彼は、一人でずっと何度もこのことを考えてみていたのだろう。聞き方に無駄がなく、声に迷いやたゆたいはなかった。
 「多分」私も考えてみようとしていた。「他の旅人と同じではなかったからだろう」
 「どこが?」
 「めざしていたのは村ではなくて、私だったからかな。それが何だか不安でね。何かが、ちがってしまうような気がした。これまでの、村のかたちが」
 「特別扱いを求められるだろうってこと?」
 「求めるも何も、ヤガミヒメにその気がなくても、結局そういうことになるだろう。その覚悟が私にはなかった。この村でずっと私は、誰のものにもならないようにして来た。スセリや、子どもたちにとってさえ。多分、父や夫であるよりは、村を支える者としての自分の役割を何よりも大切にしていた。それを長という人もいようが、それとも少しちがう気がする。私は村と自分の区別が、いつの間にかつかなくなっていたのかもしれないな。それとなく、誰にも気づかれないようにして、目を配り、支えて、守っている内に、自分自身が村の一部になっていたような気がする」
 「今はもう、そうじゃないんですか?」タカヒコネの声は低く、おずおずとしていた。
 「ああ」私は答えた。「今はもうちがう。私は村ではないし、村は私ではない。二つの間に、どんなつながりも、関わりも今はない」

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カツジ猫