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水の王子・短編集「渚なら」6

第四話・どうしても知りたくて(3)

「おれは、あんたが本当に立派で頼りになりそうな人だったら、きっと、支配されてしまうのが恐くて、あんたを殺しちまったと思います。草原で、そうやって、たくさんの人を殺したように」タカヒコネは、ひっそりと言った。「そうなりそうな気がしたから、この村に来たはじめのころは、あんまりあんたに近づかなかった。会って話をしても、すぐに逃げてた」
 「そう言えばそうだったかな」私は笑った。「そんな気もする」
 「でもだんだん、そうじゃないことに気づいて…というか、あなたはだんだん、そうじゃなくなってくるような気がして来て…何か、近づいても大丈夫みたいな…何かこう、ぬけがらっぽいというか、それでおれ、ちょっと安心して」彼はことばを切って、しばらくためらっていた。「おれは、アメノワカヒコとどうでもいいおしゃべりはよくしたけど、まじめな話はほとんどしたことなかった。でも一度だけ、ちゃんとまじめに聞いたことがある。オオクニヌシって、どういう人だ? 彼はその時、ものすごく真剣な目をした。まるで深淵の底をのぞきこんでいるように、息をとめてたみたいだった。なぜか、そのとき、よくわかった。ああ、こいつは父さんのことが、死ぬほど好きなんだなって。あいつが求めてる、吸い寄せられる何かが、父さんの中にはあるんだなって。恐れながら、あこがれて、引き寄せられて行く何かが。彼は苦しそうな、うつろな声で言いました。…あんなに深く絶望している人を私は見たことがない、って。どんな闇より、空白より、何もない、あんな人を」
     ※
 「君が彼にそう聞いたのは」私はたずねた。「キノマタが来る前か、後か?」
 「…どっちだったっけ」彼は口ごもった。「前だったような、後だったような」
 「まあ、それはいい」
 「前か後かで、ちがうんですか?」
 「いやまあ、大してちがわない」
 彼が世にも悲しそうな顔をして私を見つめたので、私は降参した。「わかった。話そう。ワカヒコがそう言ったのが、キノマタの来る前だったとしても、それはそれで正しいよ。たしかに私はすべてに絶望していたからな。兄弟たちから受けたしうちの数々で、人間というものがすべて信じられなくなったから。スセリや子どもたちを愛していても、それとこれとは別だった。だからきっと、こんな村も作れたんだろう。絶望していても、それなりに生きて行ける村だったから、私は幸せだったんだろう。だからこそ、それを知らずに訪れてきたヤガミヒメが気の毒だったのかもしれない。彼女が水を求めて来た先は、決して波が寄せることのない、どこまでも続く砂浜だったのだから」
 「後だったら?」
 「キノマタの来た後に私が感じていた絶望か。それはそれで、またちがう」
 「どんな風に?」
     ※
 「絶望の中で作った村なら、もしかしたら絶望に勝てるのじゃないかと、私はどこかで思っていたんだろうな」私は言った。「長のいない、道にすぎない、つかの間そこにつどっては去る人々の村は、これまでこの世にあらわれた、どんな都や村ともちがう、新しい力を持つのではないかと。私は村に、何も求めなかった。ただ、与え続けて来た。それを不満には思わなかった。だがキノマタが訪れて、育って、村をこわしはじめたとき、初めて私は村に期待し、ひそかに求めた。私が何もしなくても、この村はキノマタを育て、みちびき、自らの力で自分を守り抜くのではないかと」
 話しながら、私は気づいていた。タカヒコネが一人で考えて、思いをまとめていたように、いや、それ以上の長い時間をかけて、私も自分の心の中をずっと見つめてきていたのだと。だから今こうやって、迷いなく正確にことばを紡ぎ出せるのだと。
 「だが、だめだった。村は自分で自分を守れなかった。たとえ、ツクヨミが化けていたタマヨリヒメの画策があったにせよ、そんなことは言い訳にはならない。キノマタが怪物になり、暴君になり、村の姿を変えていこうとしている間、何とかしようとした村人たちはいなかった。皆、それぞれの理由があったにはちがいないが、誰も自分たちの殻を破って、話し合い、手をつなぎあい、力を合わせてキノマタを救おうとか戦おうとか考えた者はいなかった。コトシロヌシは山を下りず、ウズメやサグメはタカマガハラの戦士としての立場を最優先した。それぞれが、何かに頼って自分の暮らしだけを守り、あるいは村を離れ、またはキノマタに従った。私は彼らを責めはしない。そういう村しか私は作れなかったのだ。だから私は自分がキノマタに殺されても、その後でスセリをはじめ愛する者たちがどうなっても、村が滅びてしまうか、この上なく醜い姿になっても、ちっともかまわないと思っていたよ。村も、村人たちも、憎みはしなかった。それ以上だよ。どうでもよかった。今もそうだ」
 私は彼に向き直った。
 「キノマタを育て、自分の手で葬ったトヨタマヒメを別にすれば、彼と向き合い、戦って、村のために何かをしようとした人間は、君とアメノワカヒコだけだった。私を守ろうとし、村と私のために自分たちにできる限りの何かをしようとしてくれたのも。だから今も、これからも、どんなかたちであれ、その二人を傷つけようとする者を、私は決して許さない。そして、君に関して言えば、村を守るために私が君を大切にしているなどと、笑い話にする価値もない。君がいてもいなくても、私は村など、どうなってもいいんだ」
 彼は黙って両腕で自分の身体を強く抱きしめていた。そうしないと震えが抑えられないように。
 「私の話はわかりにくいか?」私は聞いた。
 彼は首をふり、うなずき、また首をふった。考えがまとまらないということかと解釈して、私は笑って立ち上がり、「スセリもスクナビコも遅いな」と窓の外を見た。「ミズハ姫がまた何かしでかしたのじゃあるまいな」
 「父さん」彼が小声で呼んだ。
 私はふり向いた。「何だ?」
 「ワカヒコが言ってたことを、もうひとつ、今、思い出した」
 「何だね?」
 「さっき言ったことと同じときか別のときか覚えてないけど」
 「うん」
 「こんなことを言った。…あの人をこれ以上絶望させないためなら、私はきっと何だってする」
 私は黙って数歩戻って、彼の肩に手をおいた。アメノワカヒコとふれあったことぐらいはあったにしても、こんな風に彼の肩に手をのせたことはない。だが、そのときに私はタカヒコネと同時に、もう一人の若者の暖かく脈打つ力強い肩にふれているような気がした。
 タカヒコネの身体の緊張はもう解けていた。私を見上げて、初めて彼はちょっと笑った。
 「おれ、ミズハを、キノマタのようには絶対させないから」彼ははっきり、そう言ってのけた。(2023.7.24.)

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