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水の王子・短編集「渚なら」8

第五話・飛べない舟(上)

その朝、オオクニヌシの一家が食事をすませて、のんびりしていると、入り口の方で「タカヒコネいますか?」と何だかおずおずした声がした。
 「おや、あの声はニニギじゃな」立ちかけたタカヒコネを制して、スクナビコが目を三角にした。
 「コトシロヌシもいるみたい」スセリが笑いながら言った。
 「入んなさい、二人とも」オオクニヌシが声をかけた。「久しぶりだな」
 「はあ、それが」二人は入って来ながら顔を見合わせた。
 「スクナビコ、タカヒコネを連れ出してクラドの町で冒険させたのは悪かった」コトシロヌシが早口で言った。「その後よりつかなかったのも。そのおわびは又ちゃんとする。でも今日はちょっと黙って、タカヒコネを貸してくれ。無理な仕事をさせるんじゃない。浜辺に座って、ちょっとの間、ミズハを見張っててもらうだけだ」
 「は!」実はコトシロヌシの妹で若い美しい娘だが、いろいろあって今ははげ頭の老人になっている、シタテルヒメのスクナビコが肩をすくめた。「あのしょうもない小娘が、今度はいったい何をしたの?」
 「タカヒメの空飛ぶ舟を、入江に浮かべちゃったんだよ」ニニギがげんなりした声を出す。「知ってるかどうか、タカマガハラの舟は大小にかかわらず、水につけたらしばらくは空を飛べない。よってタカヒメはどこにも行けず、タカマガハラにも帰れない」
 「あんな小さな子が、舟を入江までどうやって動かせたの?」スセリがちょっと呆然とした。「他の子たちの手を借りたとしても、小舟とはいえ一応、舟よ?」
 「陸にある間は、あの船は皆、羽のように軽いんです」ニニギは説明した。「もちろん他の子たちもいっしょでしたが、その気になればミズハ一人でも押して動かせるんですよ。うっかり浜辺の岩かげにとめてたタカヒメも、そりゃうっかりと言えばそうだけど、何しろ彼女はかんかんで」
 「それはそうだろうな」オオクニヌシがおかしそうに言った。
 「ついでに言うとウズメとサグメもかんかんで」コトシロヌシが続ける。
 「なるほど。それで?」
 「サグメは弟子の若者たちに命じて、他の子どもたちと親をまとめて叱りつけてるし、ウズメは何でもう、子どもというのは船と見たら水に浮かべたがるんだとののしってるし」
 「何のことかね?」
 「知りません。とにかく彼女がウガヤといっしょにミズハを浜辺に残してお説教してるんですが、ウズメも忙しいし、タカヒメも村のあちこちに頼まれてたものを配ったり、いろいろ打ち合わせをしたり、あれこれ用事があるもんで、それをすませて帰るまで、誰かミズハを見ていてくれと」
 「で、タカヒコネみたいな病人を、日のかんかんあたる浜辺に引きずり出して、あのとんでもない娘の見張りをさせようってか?」スクナビコが食ってかかった。「言うとくが、あの子が全力で走って逃げたら、タカヒコネがつかまえられると思うのか? こき使うのもいいかげんにせい」
     ※
 「シタテルヒメ。妹」コトシロヌシが珍しく厳しい声で言い渡した。「タカヒコネがどんくらい好きかしらないが、大事にするのもいいかげんにしろよ。ミズハが全力でつっ走ってもタカヒコネにかなうもんか。この前の狩りのとき、疾走する鹿を追っかけて、横から首っ玉に飛びついて引き倒して楽々とどめをさした男だぞ。それにミズハはちゃんとしつけを受けてるよ。あれでもな。大人の言うことに逆らって逃げ出したりなんかしない。ただ何かに気をとられて、ふらふらどっかに行っちまわないかってことだけが心配なんだ。そばにいて相手をしてる者がいたら、おとなしくしてるさ」
 「もっと言うなら念のため」ニニギがつけ加える。「イナヒをつれて来て、いっしょにいてほしいんだ。あいつが見てたら、いくらミズハでも勝手なことはできんだろ。私たちがタカヒメを手伝って用をすませて戻るまで、いっしょにいてくれたらそれでいいから」
 「行くよ」タカヒコネは近づいて来たイナヒの頭をなでながら言った。「舟はもう引き上げてあるのか?」
 「砂浜で乾かしてる。どのくらいかかったら飛べるようになるか見当はつかない」コトシロヌシが言った。「私は一応、鳥たちを集めて、タカマガハラの船の目につくように、村の上をうずまかせる。ウガヤに手伝ってもらってね。まあ、タカヒメから連絡がなければ、アワヒメもその内さがしに来るとは思うけれど、夕方までかかるかもしれないな」
 「あとで昼めしを届けるよ」オオクニヌシが言った。「皆、気をつけてな」
     ※
 「笑っちゃいけませんわ、オオクニヌシ」若者たちががやがやと出て行ってから、スセリが自分も笑いながらオオクニヌシをたしなめた。
 「まったくよ」スクナビコが、これは本当にむすっとして言った。「彼らにとっちゃ、深刻なことなんだから」
 「いや、それはそうなんだが」オオクニヌシはまだおかしそうに言った。「あの連中、ミズハがことを起こすたびに、何だか全員活気づいて、祭りのときのように生き生きするなあと思うとつい」
 「そう言えばしばらく祭りらしい催しもしていませんわね」スセリが言った。「そろそろ何か計画するよう、コトシロヌシに言ってみましょうか」
 「そうだなあ。いい気晴らしになって、ミズハのいたずらも少しとまるかもしれん」
 「逆に祭りで興奮して村をまるごとぶちこわすような大ごとをしでかすかも」スクナビコが言い返した。「どっちみち、お父さまのことばを借りるなら、ミズハのしてることで毎日祭りみたいなものなんだから、当分はいいんじゃありません?」
 「まあ、私はとにかく弁当を作るとしよう」オオクニヌシが立ち上がった。
 「イナヒの分もね」スセリも立ち上がりながらうなずいた。「あの子もすっかり大きくなって、皆にわけてもらうおすそわけぐらいでは、きっと満足できないわ」
     ※
 三人の若者たちが浜辺に向かって歩いて行くと、川の向こうのまばらな林の方から、アメノサグメが村人や若者たちに言い聞かせているらしい、鋭くとおる声がひびいて来た。
 「自分の子どもたちは、それぞれに、きちんと見ていてくれないと困るよ。仕事もいろいろあるんだろうし、朝から晩まで、つきついておけとは言わない。けれど、子どもたちが毎日何をしているかぐらいは、しっかり聞いて知っといてもらわないとね」
 「何しろ、ミズハちゃんにふりまわされちゃって」男の一人が頭をかきながら、おずおずと反論した。
 「知ってるさ。だから、そこだよ。ミズハがとんでもないことをしたり言ったりするときに、二十人からいる子どもの一人も、とめたり反対したりすることがないってのは何なのさ? そんなとき、ちゃんと自分で考えて、ミズハにちょっと待てと言える子どもを育てておけっつってるのさ。そのくらい言いきかせられないで、親と言えるかってことだよ」
 「ミズハちゃん、きれいでかわいいし、頭もいいし」のんきそうな顔の女が、ため息をついた。「下手すりゃ、子どもどころか、こっちもやりこめられちまいそうで」
 「情けないったらありゃしない! あの子をかわいいと思うならなおのこと、きっちり言い聞かせるにはどうしたらいいか、親どうし相談してでも考えてみたらどうなんだい? それに、ほら、あんたたち!」サグメの怒りのほこ先は若者たちに向かったようだ。「何をひとごとみたいな顔してるのさ? 毎日の戦士としての訓練の意味がちっともわかってないだろ? 矢を飛ばすの剣を振るうのだけが戦士としてのつとめじゃないよ。部下を指揮し、部隊をまとめ、領地をきちんと管理するのも欠かせない仕事なんだからね! この村の子どもたち、そして親たちがおかしなことにならないように、目くばりして、手を貸して、相談にものってやって、村がきちんと安全で、無事なように、四六時中目を光らせておくのは、あんたたちの役目なんだよ!」
 「そ、そうおっしゃられても…」若者たちはとまどっていた。「何からどう、手をつけたらいいもんか」
 「さしあたり分担を決めて、子どもたち一人ひとりの世話をおし。バカなことをしてないか、溺れてないか、食われてないか、責任をとるのは誰か、はっきりさせておくんだね。親や家族とも相談して、いろいろ面倒を見てやって、話を聞いて、相手してやって」
 「おれたち、まだ結婚もしてないのに!」一人が声をあげた。「親の代わりなんて無理っすよ!」
 「けっこうなことじゃないか。今から練習できるんだから。代わりになれとも言っちゃない。とにかく、村の子どもたちに責任を持ちな。それができなきゃ戦士じゃない」
 「えー、だってその…」
 ざわめいて、しゃべり合っている彼らを残して、三人は浜辺への道を進んだ。
 「あーあ、サグメも相当頭に来てるな」タカヒコネがつぶやく。
 「そりゃ、タカマガハラの舟になんか手を出すから」ニニギが応じる。
 「まあ、大すじとしちゃ、まちがってない」コトシロヌシが評した。「若者たちも親たちも子どもたちも、いっしょになって気をつけるしか、ミズハのつむじ風みたいな勢いはとめられそうにないからね」
 浜辺に近づくと、別の声が届いて来た。タカヒメの声らしかったが、いつもとはうって変わって、若々しいなりに、低く、すごみを帯びていた。
     ※
 「いいこと、ミズハ」タカヒメは、おごそかに言い渡していた。「あんたは舟がすっかり乾いて、また空を飛べるようになるまで、ここにいて、番をしていなきゃいけません。何もしちゃだめ、ただ見ておけばいいの。多分、夕方までかかるだろうけど、どこにも行っちゃいけません。わかった?」
 「わかった」ミズハは所在なげにうなずいている。ふてくされた様子はないが、恐れ入っている気配もない。近づいて来た三人を目にすると、ぱっと顔を輝かせた。「彼らもいっしょ?」
 「タカヒコネだけね。ニニギとコトシロヌシは用がある」タカヒメは少しはなれた岩の上で、ウガヤを肩にとまらせているウズメの方に向き直った。「では、まいりましょうか、ウズメさま」
 「あいよ。ヌナカワヒメのとこが最初だね?」
 「ええ。薬草を届けるんです。畑の方は大丈夫ですか?」
 「ハニヤスにまかせてある。ここにかけつけて来れないから、ちょうどいい」
 二人はニニギとコトシロヌシをうながし、ばっさばっさと翼を鳴らして喜ぶウガヤを従えて、タカヒコネに軽く手を上げ、川の方へと離れて行った。
     ※

とまどったようにそれを見送ったミズハは、タカヒコネに目を戻し、いつの間にか現れたイナヒがその足もとでうなっているのに気づいて、きゃっと小さく声を上げた。
 「大丈夫。かまないよ」タカヒコネは砂浜に腰を下ろしながら、ミズハを見ないまま言った。「君が逃げたら、とびかかるだろうけど」
 ミズハはイナヒの反対側から横向きに歩いて、タカヒコネに近づいた。
 「本当にかまない?」
 「と思うけど、ためしてみる?」
 タカヒコネの見上げた目をミズハは見つめ、首をふった。「やめとく」
 「そっか。その方がいいよね」
 タカヒコネはイナヒの頭をなでている。耳の根もとをかかれて、イナヒは気持ちよさそうに首をそらして目を細めた。
 「あたしも同じことしたのよ」ミズハはタカヒコネのそばに来て、くっつくように立って、イナヒをのぞきこんだ。「そしたら、すごく怒ったの」
 「君は耳をひっぱったんだろ。そら怒るわな」タカヒコネはぶっきらぼうに言った。「座れよ。上から見下されるのはいやなんだ」
 「あたし、上から見てないよ」
 「おれじゃない。イナヒがいやがるっつうの」
 「あ、そうか」
 ミズハはタカヒコネと並んで座った。イナヒの方を見たままのタカヒコネの横顔を下からのぞきこむようにしながら、彼女はしばらく黙っていた。
     ※
 「何考えてるんだ?」やがてタカヒコネが聞いた。
 「何も」ミズハは小さくあくびをした。「何だか眠くなっちゃった」
 「そりゃ、舟ひっぱったり、引き上げたり、タカヒメに怒られたり、いろいろ忙しかったんだろうからな」
 「タカヒメさまが、いつもとてもカッコよく舟を飛ばしてらしたから、水の上ならあたしにもやれるんじゃないかと思って」
 「そういうことする時には、誰かよく知ってる者に聞けよ」
 「回りに誰もいなかったら?」
 「その時はあきらめるんだな」
 「それじゃすることがなくなっちゃうよ」ミズハは口をとがらせた。
 「またまた」タカヒコネはバカにした。「君だったらすることなんて、いくらでも思いつくだろ」
 「うん」ミズハは立てたひざを両手でかかえて考えこんだ。「ここじゃ誰もとめる人いないしね」
 「前はいたのか?」タカヒコネは聞きとがめた。
 「うん。おつきが何人もいて、いろいろ注意してくれたの。朝から晩までずっとね。ここじゃそんな人いないから、思いついたことがすぐできるから好き」
 「その分、あとで怒られるだろ」
 「それはいやだけど、しかたがないし」
 「いさぎいいんだな」
 ほめられてミズハはうれしそうだった。
 「あたし、ちゃんとあやまるし、怒られたことはもうしないし」
 「それはえらいけど、はじめからしない方が無駄がない」タカヒコネは言った。「だから前もって人に聞けって」
     ※
 ミズハはまたしばらく黙っていた。やがてその目がきらきら輝き出して、彼女はわくわくしたように身じろぎした。
 「本当に聞いていい?」
 「てことは、何かしたいことがあるんだな?」
 「この前、村に来て住みついた、一本足で片方の目がない男の人が、いつもお隣りの畑の野菜を盗んでるの。お隣りの人に教えてあげた方がいい?」
 「ほっとけ。多分隣りのやつは気がついていて、勝手に取らせているんだよ」
 「じゃね、村の子どもの中で一番きれいな女の子のお父さんとお母さんが、人の見てないとこですごいけんかして、殺し合いしそうだって、その子すごく悩んでんだけど、どうかしてあげられないかな?」
 「そんなきれいな子がそんなこと言い出すのは、たいてい自分に注意をひきたい時なんだけど、ミズハより人気者になりたいだけなんじゃないの?」
 「そっか」ミズハは絶句した。「ありかもしんない」
 「他には?」
 「ウズメさまの割れた鏡のかけら、ちっさいのでいいから一つほしいんだけど、どうしたらいい?」
 「はっきり頼んでみるんだね。案外あっさりくれるかもしれない。だめだったら、盗む気になった時言って。手伝ってあげるから」
 「本当に、人に聞くのって、ためになるね」ミズハは、ため息をついた。「どうしてもっと早く思いつかなかったんだろう?」(続く)

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