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さかなよ、さかな

出身大学の近世文学研究会が出しているメルマガに、母の介護に関する愚痴などをエッセイにして書いていました。これもその一つ。ただ、もしかしたら、発表しなかったかもしれません。別に内容がヤバすぎるとか思ったわけではありません(笑)。

それにしても、これを読めばおわかりのように、このテーマは、本当に生々しくややこしく、重苦しい現実ともつながっています。


さかなよ、さかな

1 さかなの気持ち

今回も童話シリーズで続けさせて頂きたい。

私はこの話を子どものころ読んで、その時には「もとの通りになる話」という題だったと記憶している。もっとも、いくつかの本で同じような話を読んだ気もするので、かなりよく紹介されていた童話なのだろう。学生たちにはインターネットは安易に使うなと言っているが、一応検索してみると、これはグリム童話で「漁師とおかみさん」、ロシアの民話では「金のさかな」という題で知られている話らしい。

どちらの話もほぼ同じである。漁師が海でつりあげた魚を逃がしてやる。魚は感謝して、何でものぞむものを与えようと言って波間に消える。

漁師が家に帰って妻にその話をすると、妻は大変怒り、すぐ海に行って、もっと立派な家を作ってもらうように頼みなさいと言うので、漁師は戻って魚を呼び出し、妻の望みを伝える。

以下はグリム童話の方によるが、妻の望みは次々にエスカレートして、次第に立派な家を要求し、最後は王宮やら宮殿やらものすごい規模のものまで拡大する。そのたび漁師がとぼとぼ海に行っては魚に頼むと、魚は「帰ってごらんなさい、おかみさんの言う通りになっていますよ」と言って戻ってゆく。

ずんずん望みが高くなるおかみさんもすごいし、それに逆らえずしおしお海に出向いて、魚に「いやはや、うちのかみさんはもう、とんでもないことを言い出して」とか低姿勢にしおれながら、結局頼んでしまう漁師も情けないが、まあ彼としては魚が断ってくれたら、それはそれでかまわないという感じでもあるのだろう。むしろ断ってくれないかなとさえ、思っているのかもしれない。

しかし何よりすごいのは、不快な顔ひとつせず、淡々と要求に応じて恩を返してくれる魚の、無駄なことは一言も言わないし、いっさいの感情をあらわさない態度である。彼だか彼女だか知らないが、この魚の事情というか気分というか、それはまったくわからない。この程度の贈り物は何でもないのか、相当の犠牲を払っているのか、バカにしているのかムカついているのか、そんなこともまったくわからない。

ただ、私の読んだ本では、そして多分グリムの原作もそうなのだろうが、海と空の景色が次第に変化して行く。漁師が海岸に行って魚を呼び出すたびに、天候は悪くなり、最後には空は墨を流したようにまっ黒になり、海は激しく荒れ狂っている。
そして、これは本によってちがったようだが、最後のおかみさんの望み、たしか「神になりたい」という願いを聞くと魚は黙ってすうっと波間に消えてしまう。

で、漁師が帰宅すると、すべては消えて、もとの通りのあばら家の前におかみさんが座って泣いているのである。話はそこでいきなり終わる。

途方もない望みを次々かなえさせたわりには、せいぜいが元の木阿弥になるだけだから、おかみさんへの罰も軽いと言えば軽く、結末は陰惨な感じはしない。
ただ、どんどん望みが大きくなり、それが次々かなうテンポのよさ、反省のないおかみさんと心配しつづける漁師、そして淡々としすぎる魚、三者の組み合わせの絶妙さ、「さかなよ、さかな」という呼びかけをはじめ、何度も同じ過程がくりかえされる快適さ、などが読んだ人にこの話を忘れられないものにする。
ハッピーエンドではないし、好きというのとはちがうかもしれないが、私はこの話をよく覚えていたし、そして前回の「花咲か爺さん」と同様に年をとって色んな体験をするたびに、妙にこの話を読んだときの印象がよみがえってくるようになった。
童話とはきっと、こういう読まれ方をするのが理想なのかもしれないと思うと、術中にはまりすぎている自分がいささかしゃくなぐらい、痛切に切実にひとつひとつの場面が思い出されてしかたがない。

2 海の情景

さてそこで、またしても話は急転直下する。

この原稿が配信されるころには世情はどうなっているかわからないが、いま現在、大阪市長・知事ダブル選挙で橋下氏が勝利をおさめたということで、政界もマスメディアも大いにゆれている。

私は教育問題ひとつとっても石原都知事が応援していることを考えても、橋下氏を支持する気はない。それは今後も変わらないだろう。
だが、それとは別に何とややこしい状況かと痛感するのは、共産党が独自候補を立てないというかたちで橋下氏の対立候補平松氏をいわば支持したということ、そして週刊誌の記事によれば、橋下氏は赤字を解消しさまざまな財源を掘り起こすにあたって、同和行政にも手を入れたため、同和関係の団体も平松氏を支持しそうだということだった。

この記事が正確かどうか確認はしていないし、同和関連の団体や組織もいろいろあるだろうから、一概にはまとめられないかもしれない。

しかし、共産党は同和関係の予算が多すぎると指摘したりして、正面切ってそれらの団体と対立するほとんど唯一の存在だったという印象が私にはある。もう数十年も前、八鹿高校の教師たちが同和教育をめぐって激しいリンチを受けたという報道も、共産党の機関紙で私は知った。

その対立を超えてまで、両者が橋下氏を共同の敵とみなしたこの状況が私には本当に、自分自身のとるべき立場についても慎重かつ果敢にならねばならないと、あらためて思い知らされる。

おまえが何を言いたいのかどうするつもりかわからんと言われたらその通りで、私にだってわからない。

私は橋下氏でも政府でも、国の赤字解消のために皇室関係や防衛関係の予算にまで踏みこんだら、本気でやる気だと認めるだろうが、それ以前に同和関係の予算に手をつけられたら少しは本気だろうと考えていた。日教組や高齢者や年金や公務員や消費税に手をつけるなら、そういうこともしない理由はないだろうが、そこはどうなのだろうと感じていた。

週刊誌の報道を信じるならだが、橋下氏は同和行政にはすでに踏みこんでいるらしい。そして、共産党がそれができたのは、それなりの歴史や理論や組織の強さがあったと思うが、ほとんど個人の橋下氏にそれができたということは、やはり圧倒的な世論の支持があったからとしか言いようがあるまい。

これをひとまとめにしたり連続で語ったりするのは、あっちからもこっちからも文句が出るに決まっているが、それを無視して言ってしまうと、それはおそらく、たとえば生活保護世帯、たとえば労働組合員、などと言った、保護され守られるべき弱者であるはずの存在への、人々の不満や怒りの表明でもあり、その行き先が私は不安だ。

同和地区への行き過ぎたサービスを指摘する同和行政への批判を、共産党以外の政党や団体がこれまでほとんどできなかったのも、私自身でさえ、そのことについては共産党への支持をためらいがちだったのも、いわゆる弱者や差別された存在の人たちがその状態の改善のためにさまざまの要求をし続けるとき、どこまでそれを認めるのかという基準は本当に難しいからだ。くりかえすが、それは、他の同様の存在についても同様だ。

虐げられて苦しんだ人たち、不遇で不運で不幸な人たちが訴える要求の数々が正当であると思えば思うほど、それをかなえる人たちは「何であんたにそこまで」とか「私だって苦しいんだ」とは言えない。しかし、わずかでも不満や疑問が積り続ければ、いつかそれは一気に、恵まれない人々から与えたもののすべてを奪えという攻撃に変わりかねない。

もしかしたら、多くの人々の目には、恵まれない虐げられた人々の訴える要求の多くが、あの漁師のおかみさんのことばのように映っているのではないだろうか。実際には、そのように弱い恵まれない人々の多くは、何も要求しないまま黙って滅びて行っているのだが。

魚の心境と重なっているのかどうかはともかく、今の世の中は大阪ならずとも、最後に漁師が出向いたときの空と海のように、どす黒くうずまいて不穏な情景になりつつあるようでしかたがない。

3 介護の教訓

それは実は、いくぶん私自身の心象風景でもあるのだ。

去年一年、このメルマガのエッセイ「かわいい学者」で折にふれて、老母の介護に関するぐちをこぼして来た。そういう中で最近私が発見し、同じように老親の介護をする人たちに話しては賛同を得ているのは、

「介護は貯金ができない」

という法則である。

何事かと思われそうだが、話は簡単だ。この数年、実家の母を遠距離介護し、現在は近くの老人ホームに入居させて一息ついているのだが、どこにいようが何だろうが、母と私の気持ちがいつも決定的に行きちがって一触即発状態になる原因を、次第に私はつきとめはじめた。

たとえば、仕事の忙しい時期がせまっていたりして、しばらく母の世話が十分にできそうにないとき、私はいつもより少し長く滞在したり、細かく世話をしたり、旅行に連れ出したり、せいぜい母に楽しい思いをさせようとする。こちらとしては、「しばらく面倒が十分に見られないから、これで我慢していてね」というつもりなのだが、これがみごとに、完璧に裏目に出る。

仕事をしている人間なら、たとえば明日は休もうかと思ったら、前日徹夜でその分の仕事を片づける。論文でも、今日がんばって20枚書けば、明日はその分少なくてすむと思う。いや、専業主婦だって同じで、今夜のうちに料理を作れば明日はゆっくり起きられるとか、週末に出かけるなら掃除と洗濯は金曜にすませようとか思うだろう。

だから、介護にもついこれをあてはめて考えてしまう。いつにもまして親切に優しく密度の高いサービスをしておけば、それで相手は満足してしばらくこちらを解放してくれるだろうと思いこみ、いつもの倍のサービスをすればその分長く幸福でいてくれるだろうと期待する。

絶対に、そんなことはない。

私がしばしば悲鳴どころか絶叫しそうになったのは、数日私がいなくてもいいように、いつも以上の愛情と手数をかけてつきあうと、母は決してその幸せで食いつないではくれなくて、その高度なサービスの恒常的な継続を期待し要求しはじめることだった。
こちらが力をふりしぼって行ったいつも以上のサービスが、あっという間に普通のものとして母の中では定着し、それ以下だと許さなくなる。
何をどれだけしても、ただちにそれはあたりまえのものになり、何の感謝も感動もなく、当然の義務として私にそれが要求される底なし沼の地獄が際限もなく広がり続ける。

人間はどこまでもつけあがる。これが母の介護を通して骨身にしみて私が知った教訓だ。きっと死ぬまで忘れない。

まあそうやって人類は進化発展してきたのだろうから、こういう性質をやみくもに否定してもいけないだろうが、とにかく人間相手に幸福や満足の貯金は決してできない。
相手の欲求や要望に応えつづけていては早晩共倒れになるのは確実で、どこかで線を引かなければならない。それは、おかみさんと漁師とさかな、誰の役割なのだろう?

そして最後に、ちょっと気になるのだが、日本の民話にこの種の話はあるだろうか?
肥大しつづける要望と、それに応えつづける限界と。
「鶴の恩返し」がそうかもしれないが、あれは近代演劇で美しい愛情の物語に昇華された分、「漁師とおかみさん」に共通する要素のインパクトは薄れているようにも見える。(2011/11/30)


写真は、数日前と同じ、上の家の二階の天井だが、ここのメインは、写真ではわかりにくいが、デパートで見て気に入って、通販で取り寄せて買った、黒い魚のモビールである。夏など、窓から吹き込む風でくるくる回って泳ぐ。
何となく、童話の魚は、こういうやつではないかという気がする。

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カツジ猫