1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 協力者列伝
  4. カーとキハール

カーとキハール

新訳の文庫本で「ジャングル・ブック」を手に入れたので、なつかしく読んでいる。利いた風に自分の個性をむき出しにした新訳ではなく、旧訳をちゃんと大切にして流れに乗っている感じなのが、いかにもありがたく、快い。

そうやって読んでいる内、私が蜘蛛が苦手なのに比べて昔から蛇は平気で、むしろ好きでさえあったのは、「ジャングル・ブック」に出てくる大ニシキヘビのカアに魅了されていたからだなと、あらためて自覚した。
カアは巨大なニシキヘビで、毒はないが蛇ならではの恐ろしい魔力をいろいろ持っている。巻きついて締めつけたら相手はまず助からない。ときどき皮を脱いでリフレッシュする。密林の他の獣からは一目置かれているが、敬愛や尊敬というより畏怖されて敬遠されている。それに満足して、孤独を守っている。

一度主人公の人間の少年マウグリを助けるために、クマのバアルウと黒豹のバギイラが協力を求めたのをきっかけに、カアはマウグリと親しくなり、時にはいっしょにダンスのようにくねりまわって遊んだりする、妖しくも美しい場面が描かれたりする。

マウグリが所属し愛しているオオカミたちの集団が一度最大の危機に見舞われる。デッカン高原の赤犬という恐ろしい集団が襲ってくるのだ。普通なら迎え撃っても勝つ見込みはない。しかしオオカミたちは避難するよりも自分たちの土地を守るために戦うことを選ぶ。雌狼も幼い子狼も参加して、彼らは赤犬たちとの圧倒的に不利な戦いに臨む。

マウグリが子どもの時に世話になった立派なリーダーのオオカミ、アケイラはまだ健在だが引退して、フェイオという若いオオカミがリーダーをつとめている。特に出番は多くないが、このフェイオも私は好きだった。小学生の時の社会の授業で世界地図を見たとき、インド半島にデッカン高原という名を見つけて、どんなに胸がときめいたろう。

マウグリは、この望みのない戦いを少しでも有利に展開させて勝つために、何かいい方法がないか、カアに相談に行く。カアはゆるゆると瞑想して、密林でものすごく長く生きてきた豊富な体験の中から、役に立ちそうな知識を引き出す。それは、誰も近づかない大クマバチの巣が密集する崖に赤犬を誘導して、蜂に襲わせ数を減らすことである。

マウグリがそれを実行する場面も迫力があって素晴らしいのだが、その後、まだかなり残っている赤犬たちとともに川に飛びこんで、オオカミたちが待ち伏せする下流に向かって泳ぐマウグリを、カアは川の中で迎えて同行するのだが、途中で、では幸運を祈るみたいなあいさつをして、マウグリと別れて川を下って行ってしまう。マウグリもそれを当然のこととして、礼を言ってカアと別れる。

その後のオオカミ対赤犬の戦闘場面もすさまじく、感動的でみごとなのだが、当然そこでオオカミの群れが全滅し、マウグリも死ぬ可能性も高かったわけである。そしてカアはまちがいなく、その冷たい孤独な生涯のなかでは、マウグリはほとんど唯一と言っていい友のはずである。しかし、彼は一定の協力をすると、もうそれ以上マウグリの、ましてやオオカミの群れの生死や運命には、まったく関心がないかのように、自分の生活に帰って行く。

仮にその後、オオカミが全滅しマウグリが死んだという知らせを聞いても、カアはそうか、死んだかと思うだけで、とぐろをしゅるしゅる巻きながら、気に入りの石の上で日向ぼっこをしているだけだろう。私はそのすべてが、しびれるほど好きだ。マウグリが命をかけた戦闘に向かうのを尻目に、オオカミや赤犬たちの川岸にとどろく吠え声を耳にしながら、長い身体をうねらせて、下流に泳ぎ去って行くその姿に、あこがれすぎて死にそうだ。水の中に見え隠れする、その鱗の輝きの美しさに魅了される。愛する者やよき者への協力は惜しまないが、一定のことをすませたら、あとは何の未練も罪悪感も義務感もなく、川面をすべって自分の暮らしに戻って行くカア。それを責めたり残念がったりなど少しもしないで、勇躍して自分の戦いに明るく全力で立ち去って行くマウグリ。幼いころに、そんな生き方を目の当たりにして心に焼きつけることができたのは、何と幸せだったろう。

比較的最近の同じ英国のファンタジー小説「ウォーターシップダウンのうさぎたち」にも、この傾向はきちんと引き継がれている。主人公ヘイズルを中心としたうさぎたちの村は、より軍国主義的な独裁者ウーンドウォート将軍といううさぎの支配する村との戦いに勝つために、ユリカモメのキハールという渡り鳥の協力を必要とする。かつてヘイゼルたちに助けられ、仲間となっているキハールは、もうすぐ飛んで行かなければいけないという渡り鳥としての予定を気にしながらも、最大限ヘイズルたちに協力する。そして、頼まれた仕事を果たしたときにカアと同じく、ヘイズルたちの勝利を願いながらも、自分の予定を守って飛び去って行く。ワイルド「幸せの王子」のツバメのように、居残ってしまって献身する姿も美しいが、私はキハールの、その犠牲と精神の切り売りの姿勢にも、本当に力づけられるし、救われる。

絶対に誤っていると思うから、まだ実行はできていないが、ネットで動物愛護や女性差別反対、戦争反対などの署名の依頼が来るのを、私はいっさい無視しようかと最近思い始めている。「この人なら署名するだろう」と狙い定めて送ってくる、その精神もすでに何だかいやなのだが、そこまでは耐えて署名するとして、その後ひきつづいて、フェイスブックやツイッタ―で紹介して拡散しろ寄付をしろなどと際限なく要求が続くのが、いくつも重なると、もうひたすらにおぞましい。そういう時の決り文句の「〇〇さんがまだあなたの力を必要としています」という文言のメールが署名後すぐに間髪入れずに届くのを見ると、もうぞっと全身総毛立つようになった。協力しそうな相手をねらいさだめ、応じたらそれにつけこんで、次から次へと要求を重ねる、この種の「さかなよ、さかな」精神を、心の底から私は唾棄する。(2010.2.11.)

Twitter Facebook
カツジ猫