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発表資料㉑

 

〇アニメ「ドラえもん」における「ジャイアン」へのぬれぎぬについて

・今回取り上げる回

「ジャイアンの甘~い声!キャンディー食べて歌手になろう」(2006年6月30日放送)

 

・あらすじ

テレビでスキマスイッチの歌声を聞いたのび太は「こんな声で歌えたらいいな」とつぶやく。そこでドラえもんは『声のキャンディー』というひみつ道具を取り出す。このひみつ道具は、なりたい人物の声紋を記憶し、それが記憶されたキャンディーをなめることでなりたい人物と同じ声が出せるようになるというものであった。

そんな中、ジャイアンのリサイタルに行くことになったのび太たち。いつものようにひどい歌声に耐え、帰ろうとしたとき、スネ夫のお世辞に気分がよくなったジャイアンはアンコールを歌うと言い出す。命の危険を感じたドラえもんは、スキマスイッチの声をコピーした『声のキャンディー』をジャイアンに食べさせ、きれいな歌声を聞くことができた。

このことで自信をつけたジャイアンは、プロの歌手になるためにテレビ番組に出場を決める。出演の日、ジャイアンはドラえもんやのび太に媚を売り、キャンディーをせがむ。しかし、ドラえもんからキャンディーの効力が30分で切れることを知らされていなかったジャイアンは、出演時間の30分以上前にキャンディーを食べてしまい、破壊的な歌声を全国放送で披露してしまう。

翌日、ジャイアンの歌声でテレビが壊れる、驚いて転ぶ、体調を崩すなどの被害が多発し、ニュースにまで取り上げられた。怒りに震えるジャイアンは「全国放送で恥をかかせやがって」とドラえもんとのび太に詰め寄るが、ドラえもんが非常用に仕込んでおいた『声のキャンディー』を使ってジャイアンのお母さんの声でジャイアンを怒鳴る。おどろいたジャイアンは「ごめんなさい」と叫びながら逃げていった。

 

・ジャイアンに対してのぬれぎぬ

①冒頭場面のぬれぎぬ

冒頭で、のび太とスネ夫が、ジャイアンのリサイタルチケットを押し付け合う場面がある。「いいものやるよ」とスネ夫にチケットを渡されたのび太は、初めは喜んでいたものの、それがジャイアンのリサイタルのものだとわかると態度が一変する。

 

のび太「いらない、いらない」

スネ夫「受け取ったんだからこれはもうお前のだぞ」

のび太「誰がいるか!地獄への切符なんて」

 

上記は、ジャイアンのリサイタルチケットをのび太とスネ夫が押し付け合う場面での二人のやり取りである。お互いにチケットを受け取ることを強く拒否し、のび太に至っては「地獄への切符」とまで言い切っている。ここまで二人がリサイタルに行くことを嫌がるのはなぜか。それは、ジャイアンの歌声が壊滅的だからである。アニメでは、ジャイアンが歌うシーンは天候が乱れ、突風が起こり、空気が振動し、観客の顔も青ざめ、ジャイアンの歌声が聞くに堪えない様子がよく描かれる。チケットを受け取ってしまえば、このような空間にいなければならないことを考えると、のび太がチケットを「地獄への切符」と表現するのも頷ける。

しかし、プロの歌手を夢見て何度もリサイタルを開いているジャイアンが、果たして永遠に同じクオリティの歌を歌うだろうか。前回のリサイタルよりもうまくなっている可能性だってあるのではないか。その可能性を考えず、リサイタルに行く前から「ジャイアンの歌唱力は壊滅的だ」と決めつけてチケットを押し付け合うのは、「ぬれぎぬ」になると考えた。

 

②リサイタルの場面のぬれぎぬ

リサイタルの場面にも、ぬれぎぬがみられる。

ジャイアンの歌声を聞き終わり、解放されることに安堵する観客。しかし、ここでスネ夫がジャイアンをおだて始め、「もっとききたいくらい」と発言したことで気分をよくしたジャイアンはまた歌おうとする。この発言を聞いた観客からは悲鳴や驚きの声が上がる。そして、スネ夫に次のように言う。

 

のび太「つまんないお世辞なんか言って」

ドラえもん「これ以上聞いたら命にかかわるぞ」

 

ジャイアンは、アンコールの発言以前に、次のように発言している。

 

ジャイアン「俺、何のとりえもない男だけど、歌だけには自信があるんだ。こうして皆に歌を聞かせて喜んでもらえれば、それだけで幸せなのさ」

 

アンコールを歌う際にも、「皆のためにアンコールといきますか」と発言していることから、ジャイアンはあくまで「皆のため」に歌っているということがわかる。多少強引な面はあっても、この発言から彼の素直で純粋な性格が伝わる。この純粋な気持ちに非は見られない。ジャイアンの「自分が唯一得意な歌で皆を喜ばせたい」という純粋な気持ちを顧みず、ジャイアンの歌声に嫌悪感をあからさまに見せる観客の行為は、ジャイアンにたいするぬれぎぬであると考える。

 

③後半場面のぬれぎぬ

後半の場面にもぬれぎぬがみられる。

『声のキャンディー』をもらい、テレビ番組に臨んだジャイアンであったが、効き目が30分しかもたないことを知らず、出演するときにはもう効力が切れてしまっていた。その結果、持ち前の歌声により、全国放送で恥をかき、また被害ももたらした。

この場面では、テレビが壊れたり、体調を崩すといった全国的な被害の元凶が、「ジャイアンの歌声」や「ジャイアン」そのものとして描かれていることがぬれぎぬであると考える。

そもそも、キャンディーの効き目に制限時間があることはジャイアンには伝えられなかった。これは、それを伝えなかったドラえもんやのび太に非がある。ジャイアンは故意にこの事故を起こしたわけではない。制限時間を知っていたら、必ず出演時間に合わせてキャンディーを食べていただろう。よって「ジャイアンのせいで全国に被害が出た」というのはぬれぎぬである。

また、テレビ出演の翌日、ジャイアンはドラえもんとのび太に詰め寄る。しかし、ドラえもんが用意しておいた策により返り討ちにされてしまう。この点においても、もとはと言えばドラえもんが制限時間の件をジャイアンに伝えていなかったことが悪いため、ジャイアンには激怒する正当な理由と権利があり、このように逆に報復されるのはかわいそうに感じる。

 

以上の三場面にみられるぬれぎぬについて指摘した。どの場面においても、ジャイアンには非はなく、むしろ素直で純粋な彼の性格があらわれている。

どの場面にもいえることだが、ドラえもんやのび太、スネ夫は、目前の自分が苦痛と感じる事柄から逃げたいあまり友人の純粋な気持ちに気付けていなかったり、自分のミスにもかかわらず当然のように被害者をさらに追い詰めるなど、自己中心的で保身的な面がみられる。これは、ぬれぎぬを着せる側の性質の特徴ではないかと思う。このような面は、虚構の世界であれば物語を展開させる起爆剤として捉えられるが、現実の世界で自分や他人にこのような面が見えたら、私は大変醜く感じてしまう。そのため、相手の気持ちを汲み取りながら言動を選択できる人になりたいと今回の考察を通して思った。

 

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カツジ猫