1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 協力者列伝
  4. 発表資料(10)

発表資料(10)

こいさん

「江戸時代の人の理屈っぽさについて」

 

①『〈江戸〉選書1 江戸っ子』 西山松之助、昭和五十五年八月初版、吉川弘文館

江戸は、全国の政治的中心都市でありながら、参勤交代や出稼ぎ人など、地方の人間が流入するという特徴を持った都市であった。「江戸っ子」とは、本来から江戸に住む「本格的江戸っ子」と地方からの流入者である「自称江戸っ子」の二重構造によって出来上がった特殊な人物像であると述べられている。

 

江戸っ子の気質について触れられていたが、「理屈っぽい」というような記述はなかった。

 

②『江戸近郷の寺子屋について』 関山邦宏、和洋女子大学紀要 文系編 (37), 69-89, 1997-03

寺子屋の教育実態と地域間における寺子屋教育の特色や差異について述べられている。

 

江戸の人々が理屈っぽいという記述はなかった。関係するものとしては、寺子屋では習字・読書の学習需要が算術に比べ高いという考察がなされていた。

 

③江戸時代の教育制度と社会変動 井出草平,四天王寺大学紀要 (57), 207-223, 2013

現代の教育制度の起源とされる寺子屋であるが、その目的はあくまで職業生活を想定して必要な技術を身につけることで、質的な差があったと述べられている。

 

江戸の人々が理屈っぽいという記述はなかった。

 

④複雑系の学問としての本草学 川崎瑛子,法政大学,1-162,2014-03

江戸時代の本草学の歴史を辿り、本草学が様々な人が関わる知の拠点であり、「ありとあらゆるモノ、自然現象、人間の生活や歴史、心性、活動などが常に相互に影響を及ぼしあっている状態を見究め、複数の要素が組み合わさることによって変動を続ける世界を構築する学問」であり「関係の学問」であると述べている。

 

江戸の人々が理屈っぽいという記述はなかったが、本草学を学ぶ人々がモノを持ち寄り質疑応答を行う薬品会について述べられており、これは細かい規則と秩序によって成り立っており、理にかなった正しい言い分を求める姿勢は見てとれると考えた。

 

⑤江戸と東京 秋永一枝 【http://www.f.waseda.jp/uenok/ronshu/ronshu_07_akinaga.pdf】

江戸時代では、「東京」を「トーキョー」と「トーケイ」の二つの呼び方で読んでいた。「トーケイ」が明治時代にも残っていたことから、前時代を否定する明治国家への旧幕臣系の人々の反権力意識と、文明開花の時流に抗する江戸庶民の生活を見いだしている。また、本物の江戸っ子は「自称江戸っ子」と呼ばれることを時に避け、「洗練された文化生活」を送っていたことも指摘している。

 

江戸の人々が理屈っぽいという記述はなかった。

 

【まとめ】

今回、江戸の人々が理屈っぽいという記述は見つけられなかった。しかし、江戸の人々の気質とそれがどのような形式で成り立ったのか、また学問に励み論理的な議論の場も設けられていたことがわかった。今後はこれをきっかけに、江戸の人々の理屈っぽさに迫るような研究につなげたい。また、江戸時代の作品を読むときも、どこかにその手がかりがないか、探しながら読んで行きたい。

 

Twitter Facebook
カツジ猫