発表資料(12)
さんまさん
「② 江戸時代の人は濡れ衣が好きなのか」についての考察
1.問題設定と方法
本稿の目的は、国文学史の授業内で与えられた研究課題の中から、「江戸時代の人々は『濡れ衣』が好きなのではないか」という板坂教授の仮説を基に、江戸時代の人々の『濡れ衣』の捉え方や性格を考察し明らかにすることである。
2.『濡れ衣』の定義
まず、本稿を作成するにあたり『濡れ衣』という言葉の指す明確な意味を定義していく。
ぬれぎぬ(濡衣)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2003)より
➀ 濡れた衣服。
➁ 無実の浮名。根も葉もないうわさ。
➂ 無実の罪。
濡れ衣(ヌレギヌ)『デジタル大辞泉』(小学館、2020年)より
1 濡れた衣服。身に覚えのない罪をいうたとえ。
例文「その疑いは濡れ衣だ。」
2 根拠のないうわさ。無実の浮き名。ぬれごろも。
これらを踏まえ、本稿における『濡れ衣』とは、「濡れた衣服」という意味ではなく、それらを用いた例えとしての「無実の罪、根拠のない噂」と定義し、以下に調べた事や考察した事をまとめていく。
3.調べた事と考察
・森誠子『語り継がれる「濡れ衣」説話 : 博多における「濡れ衣」説話・続考』(2011年)
【論文の概要】
「濡れ衣」説話を取り扱っている古典注釈書の舞台が筑前国であったことや、博多・石堂川の伝説などから、博多の地に根付いた「濡れ衣」そこで、どのような変容をしながら享受されてきたのかという考察がなされている。→「濡れ衣」の歴史と博多という土地の関連については学ぶことができたが、江戸時代の人々との関連について具体的な記述は見られなかった。
・竹内祥一朗『貝原益軒による藩撰地誌の編纂と地理的知識の形成』(2020年)
【論文の概要】
貝原益軒『筑前国続風土記』の編纂過程を調査し、さらに貝原益軒の考えや実践してきた事との関係が絞殺されていた→上記の論文(森、2011)に貝原益軒『筑前国続風土記』の記載があったことから、関連して読んでみたものの、江戸時代の人々がぬれぎぬが好きというような記述は見られなかった。
・中井和子『ぬれぎぬ考』(1961年)
【論文の概要】
「ぬれぎぬ」について詠まれた歌が非常に多いことから、その成立過程と歌言葉としての「ぬれぎぬ」についての考察が行われていた。また、「ぬれぎぬ」という言葉には「濡れた衣服」というそのままの意味や、「無実の罪」のような現代でももちいられている意味、女性を「花」に、生理現象を「露」に例えるなど、聞き手の感受性に判断を委ねるような曖昧な表現が可能であることから、歌言葉としてよく使われていたとしていた。
→肝心の「江戸時代の人々が濡れ衣を好んだ」という仮説に関連する記述は見られなかった。しかし、江戸時代は「歌を詠む」という行為が民衆に浸透していたこと、好色文化が特に栄えていたことなどから、「ぬれぎぬ」という歌言葉は好んで用いられていたのではないかと考えられる。
4.まとめ
本稿の作成にあたって、いくつかの論文や文学作品について調べてみたものの、板坂教授以外の方の著作や論文で「江戸時代の人々は濡れ衣が好き」という具体的な記述は見られなかった。原因として、私の調査不足ももちろんあるだろうが、「江戸時代の濡れ衣」に言及する論文がそもそもあまりないように感じた。そのため、本稿作成における目的は達成できなかった。
しかし、前期の集中講義において文学作品での「濡れ衣」の魅力については学習をしてきており、実際に江戸時代の文学作品でも『濡れ衣』を描いた作品が多いことがわかっている。(『曽根崎心中』『義経千本桜』など)また、歌言葉としても重宝されてきたことも今回わかったため、より強く「ぬれぎぬ」への江戸時代の人々の考えを感じることができた。
5.参考文献
・板坂耀子『ぬれぎぬと文学2018』(花書院、2018年4月)
・板坂耀子『江戸文学史やわ』(花書院、2019年10月)
・『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2003年1月)
・『デジタル大辞泉』(小学館、2020年8月)
・池澤夏樹『日本文学全集10』(河出書房新社、2016年10月)
・森誠子『語り継がれる「濡れ衣」説話 : 博多における「濡れ衣」説話・続考』(九州大学国語国文学会、2011年12月)
・竹内祥一朗『貝原益軒による藩撰地誌の編纂と地理的知識の形成』(一般社団法人人文地理学会2020年5月)