発表資料(17)
たいさん
【江戸の人はぬれぎぬ好きか】
はじめに
今回は、「江戸の人はぬれぎぬ好きか」という仮説について、本や論文を中心に考えいく。
・逆立ち女の怪
概要:夫と妾のために無残に絞殺され、さかさまにして埋められた女の復讐が書かれている怪談話である。
これには江戸の人はぬれぎぬ好きのような記述はなかった。
・賽銭泥棒
概要:山伏が深更のころ4,5匹の鬼が一人の女を引き立てて来て、手足をもって宙吊りにし、燃えさかる炎の上にかざしているのを見るが、それは暁を告げる鐘の音とともに、消える。そのおんなはいつも境内で見かける女であり、山伏はこれを『この女を教化し、正しい道に導きなさい』という仏様のお告げだと思い、女を改心させるという話である。
これには江戸の人はぬれぎぬ好きのような記述はなかった。
・借金取りの亡霊
概要:若狭の男が武蔵におもむく途中、行く手に5、6畳ばかりの大きさの火炎が黒い煙に包まれて燃え上がるのを見る。よく見れば、火の中で人間と同じぐらいの大きさの背丈をした黒い物が動いていたが知らぬふりをして通り過ぎた。すると、炎から手が出て来て手招きをし、その男の不誠実な行いを大声で罵った。それを無視して通り過ぎようとするが、足が動かなくなり、炎に向かって、銭を投げる何事もなかったかのように地獄道を脱することができたという話である。
これには江戸の人はぬれぎぬ好きのような記述はなかった。
・現代語で読む「江戸怪談」傑作選 堤邦彦
概要:江戸時代の心をとらえた恐怖の物語をテーマ別に紹介している本である。
「民衆仏教の浸透をベースに、江戸怪談の中に幽鬼の復讐談に仕立て上げた因果ばなしの系譜が生まれていく。罪なき者をあやめ、騙し、金品を掠めた悪人たちの行く末を怪談の筆致で凝視する物語世界の登場。」p184
江戸時代に怪談は多く作られ、教訓として読まれていた。ぬれぎぬとは違うが、罪のない人を騙すことなどはぬれぎぬと少し通ずるものがあるのではないかとも思った。
・時代物浮世草子論 江島其磧とその周縁 宮本祐規子
概要:江島其磧の時代物と呼ばれる小説を中心として、ジャーナルの伸張を視野に収めた後期の浮世草子に関する論考をおさめたものである。従来の時代物浮世草子の評価を再定義し、後の浮世草子への影響も含め、浮世草子周辺ジャンルとの密接な関係と、その文学史的位置づけを明らかにしていく内容である。
これには江戸の人はぬれぎぬ好きのような記述はなかった。
・江戸から〈ブンガク〉を〈キョーイク〉する:娯楽・教訓・思想(〈特集〉文学教育の転回と希望 日本文学協会第61回大会報告) 風間誠史
概要:仮名草子『清水物語』からそこに示された「よく生きる方法」の模索と出会い、書物やブンガク・ガクモン(教育)の原点に立つことを求め、『一休ばなし』では社会規範を相対化する文学的主人公(トリックスター)の存在を実感し、西鶴の再読・三読を通して、あらゆる一義的な意味づけを無化する表現と出会う。このように、江戸時代の読みもの(仮名草子・浮世草子)を読む授業について紹介しその意味が考えられている。
これには江戸の人はぬれぎぬ好きのような記述はなかった。
・文学への招待―江戸時代を読む(授業探訪“日本”を学ぶ科目)
概要:立教大学で行われた日本古典文学及び演劇にふれ、「日本を学ぶこと」について考える授業を基に書かれている。人形浄瑠璃や歌舞伎を中心に、そのドラマの構成、作品を通した、江戸時代の社会についてを考え、最終的に「日本を学ぶこと」とはどういうことなのかについて書かれている。
これには江戸の人はぬれぎぬ好きのような記述はなかった。
おわりに
今回さまざまな文献を読み、「江戸の人はぬれぎぬ好きか」ということに注目してみたが、そのような記述のあるものを見つけることはできなかった。しかし、今まで読んでこなかったジャンルにふれることができ、江戸時代や、江戸の文学について知識を増やすことができた。なんとなく浮世草子などは読みにくいイメージであったが、案外面白いと思うことができたのでこれを機に、また違う作品などを読んでみようと思った。歌舞伎や人形浄瑠璃はほとんど知らないので学びを深めたいと思った。