発表資料(18)
あんこうさん
【課題1】
1、江戸時代の人は「理屈っぽい」のか?
今回の課題では、理屈っぽいに関するアプローチとして、落語からのアプローチを考えた。理由としては、落語には、強引な理屈で話が進み、その結果笑いが生じるという形が多いということがあげられる。また、オチに関しても、言葉遊びの側面が強いが、ある意味自分が想定していなかった理屈によって生じると言えるのではないだろうか。
2、参考資料
①落語と演劇 : 落語における写実性をめぐって
Rakugo and Theatre : Tracing Realism in Rakugo
ミズラックル・ハリト、千葉商大紀要、2020年
日本芸術においては、西洋芸術に見られる写実性を追っていない。重要視されるのは「間」や「余念」であり、作品の中に見えない部分が美しさを担っていると考えられる。落語は,この点において、写実性を求めている点もあるが、やはり日本芸術の特色であるように虚構と現実の境目で演じられており、想像力次第では写実を超えるといえるのではないだろうか。
近松門左衛門が、江戸の人物について記載している文章が引用されていたが、理屈っぽいという記述はなかった。
②大阪の「笑いの文化」について : 大阪人の生活文化と笑い
Osaka and Culture of Laughter : Osaka People's Lifestyle and Laughter
井上宏、フォーラム現代社会学5巻、2006年
大阪には「笑いの文化」があるが、それを語るには、江戸時代の町人文化に関して考えることが欠かせない。かつて大阪は商人の町であったため、商人としての価値観やものの考え方、生活態度が独自の文化を発展させた。その為侍のようにタテ社会であったところとは、笑いの毛色が違う。また、笑いというものは非常に重要な役割を担っているところもあるが、その効用をよく心得てきたのが大阪の人々なのだ。
江戸時代の人々は理屈っぽいという記述はなかったが、大阪の人物における人物像で、「実質主義」について記載があった。これは、くどくど回りくどい説明をしていると、結論をすぐに求めようとする考え方や、ある事象について自分が納得しないとなかなか承知しないといった気質のことを指している。
③落語のまなざし—— 人間をどう見るか
桂蝶六、大阪青山大学紀要、2009年
落語にはいくつかの種類がある。それらの系統から、落語は人間を一体どうとらえているかの、まなざしの特徴について述べている。子供や喜六、夫婦や「小市民」といった人々を通し落語では話が展開されるが、そのまなざしに共通するところは、人に対して受容する、癒しにあふれた優しいところであると言える。
江戸時代の人は理屈っぽいという記述はなかった。
④近松の〈詩学〉について : 『難波土産』冒頭のテクスト読解に即して
青木孝夫、藝術研究2号、1989年
近松の演劇観について考察した後、太夫の語る行為への配慮の側面、観客の感動を劇する近松の詩学を解明する。
江戸時代の人は理屈っぽいという記述はなかった。
⑤「浄瑠璃文句評註難波土産」発端所載 近松の「虚實皮膜論」について
山口敏子、国文研究2号、1956年
「虚實皮膜論」についての考察。江戸時代の社会及び歌舞伎の世界は、写実を大事にしていた。しかし同時に、写実のみを追い求めるのではなく、嘘と真の間に芸があり、その根幹は人々に対する「慰み」であるといえる。
江戸時代の人は理屈っぽいという記述はなかった。
3、最後に
今回の資料では、江戸時代の人は「理屈っぽい」という記述は見ることができなかった。しかし、今なお残り続けている古典落語のたぐいは、かなり強引な理屈で話が進んでいくさまがよく見られるため、やはりそのようなものが笑いとして好まれる傾向は存在していたように思う。課題としてはここまでとなるが、これからも何かの折につけて、そのような資料を探していけたらと思う。