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発表資料(19)

あじさん

「江戸時代の人はぬれぎぬが好きか」

 

【はじめに】

 私は、前期の古典文学講義Aで「ぬれぎぬ」を用いた作品について紹介した。発表を聞いていく中で、普段は意識していなかった「ぬれぎぬ」のシチェーションは想像以上に本や映画に使われていることがわかった。人は自分がぬれぎぬに関わるのは嫌だが、見る分には大好物なのである。そこで今回は時代を江戸にしぼって、「江戸時代の人はぬれぎぬが好きか」について言及している論文がないかを調べてみる。

 

 

①          『〈悪〉の表現と江戸文学』(田川邦子)、1990年、文教大学女子短期大学部文芸科

 

概要:「悪」とは人間の心の問題だけではなく、目に見えない形で忍び込んでくるもであり、人間が「悪」について深く考えるようになったのは仏教思想が浸透してきた中世からであるとしている。そのことを踏まえた上で江戸文学が「悪」をどのように表現しているのかが述べられており、その「悪」に人々は満足感を得ることができるという効果まで書かれている。

 

→ぬれぎぬには少なからず1人は悪人が出てくると考えたためこの論文を読んでみたが、悪とはどういうものか、また作品ごとの「悪」にまつわる表現について書かれているのがほとんどで、江戸時代の人がぬれぎぬを好んでいるかどうかについては述べられていなかった。

 

②          『江戸時代大阪本屋仲間行司の固定的性格』(山本秀樹)、2016年7月25日、岡山大学文学部

 

概要:大阪本屋仲間の構成が書かれており、行司はほとんどの場合が6人で固まっていて、記録によっては7人目以降の補助的人員であった。このように決められた制度には「固定的性格」が関係しているのではないかということが述べられていた。

 

→「ぬれぎぬが好き」というのも性格の一つであると考えこの論文を読んでみたが、江戸時代の人がぬれぎぬを好んでいるかどうかについては述べられていなかった。

 

③          『江戸戯作文学からみた「しるし」と社会』(小貫浩)、2015年9月30日、早稲田大学大学院教育学研究科

 

概要:霊的・呪術的な要素や真実性をもつものを江戸時代では「しるし」といい、その印がどのようなプロセスで記号化されていったのか、また社会とどのように絡んでいたのかを戯作文学を中心に述べられている。

 

→江戸文学という単語からこの論文を読んでみたが、「しるし」の「記号化」が中心で書かれており、江戸時代の人がぬれぎぬを好んでいるかどうかについては述べられていなかった。

 

④          『「ぬれぎぬ」考』(中井和子)、1961年、京都府立大學學術報告人文

 

概要:初めに「ぬれぎぬ」がどのように成立したのかが述べられており、ぬれぎぬが絡んでいる恋の歌について紹介している。それぞれの歌でぬれぎぬがどのようなものとして扱われているのかが書かれており、最終的には「濡衣」の多様性についてまとめられている。

 

→タイトルにも「ぬれぎぬ」とあったためこの論文を読んだが、ぬれぎぬでも「恋の濡衣」にしぼられたものであり、江戸時代の人がぬれぎぬを好んでいるかどうかについては述べられていなかった。

 

⑤          『初期江戸読本「壺菫」と「隣壁夜話」』(大橋咲紀)、2018年9月30日、愛知県立大学日本文化学部国語国文学科内あいち国文の会

 

概要:初期江戸読本である『壺菫』で『怪談奇縁』をどのように捉えていたか、また先行論について述べられたあとに、『隣壁夜話』との構想の違いについて比較している。2つには共通点が存在するということで結論を出している。

 

→「壺菫」と「隣壁夜話」の2つが比較されているが、「ぬれぎぬ」に関する内容の作品ではなかった。また江戸時代の人がぬれぎぬを好んでいるかどうかについては述べられていなかった。

 

 

【まとめ】

 今回、「江戸文学」「ぬれぎぬ」等のキーワードをもとに気になった論文を読んでみたが、江戸時代の人はぬれぎぬが好きかどうかについて言及しているものは見つけることができなかった。しかし、読んでいく上でいかに「ぬれぎぬ」という概念に歴史があり、また本来あった言葉ではない(はじめから無実無根の罪を表す言葉ではなかった)ことから、言葉自体の多様性について触れることができた。江戸文学ということもあり、今ではあまりないような職業や感性についても論文を通して知ることができ、これから作品を読んでいくときは様々な角度で内容を理解できるのではないかと思う。

 これは個人的に思うことだが、「悪」という考えが中世から浸透しているのであれば、やはりそれは人間が「悪」というものに興味を持った証拠なのではないかと思う。よってかならず「悪」が存在する「ぬれぎぬ」の描写にも江戸時代の人は惹かれていたのではないだろうか。生活や環境は違えど、現代の人とそこの感性に関してはあまり変わらないのではないかと私は思う。

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カツジ猫