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2020年前期集中講義発表資料⑪

(発表資料が届いています。受講生の皆さんは読んでおいて下さい。)

みなさんはこの集中講義の最初にぬれぎぬへのイメージを聞かれてどのようイメージを抱いただろうか。正直ぬれぎぬに対する私のイメージは最悪であった。できれば避けたい。嫌なものである。そのようなものであった。それと同時に私はぬれぎぬと聞いて連想された作品が二つある。一つは映画「それでもボクはやってない」と、もう一つは授業内でも紹介された絵本「泣いた赤おに」である。今回は「泣いた赤おに」をもとに私が考えたことについて述べさせていただきたい。

 

あまりに有名な作品であり、集中講義のなかでも触れられていたが、今一度ストーリーを簡単に紹介したい。主人公の赤鬼は心優しい鬼で人間と仲良くなりたいと考えていた。しかし鬼は人間にとって恐れられている存在であったため仲良くなることはできなかった。そんな時、青鬼が現れその状況を知り人間と仲良くなるための一つの作戦を赤鬼に伝える。それは青鬼が人間の村を襲いそれを赤鬼が救う、というものだった。赤鬼はそんなことをすれば青鬼が人間に恨まれるのではないかと危惧するが、なかば青鬼に押し切られる形で作戦は決行され赤鬼は人間と仲良くなることができた。しかしその後青鬼はこれまで通り赤鬼と仲良くすれば、赤鬼が人間に不審に思われる可能性があると考え旅に出た。そのことを知った赤鬼は悲しみに暮れたところで話は終わる。

 

私はこの作品を小学生の時に地域の大きな公民館で行われた劇で鑑賞した。小学校の総合的な学習の時間の一環で見に行ったのでそのあと、感想を書かされた。その後クラスで感想の発表があったのだが、ほとんどが青鬼の優しさに感動したといった旨のものだった。ところで私はというとあまり感動できなかった。たしかに自己を犠牲にし仲間のために行動できる青鬼君は優しさに満ちている。授業の言葉を使わせていただくと「覚悟のぬれぎぬ」である。しかし、残された赤鬼君に私は感情が向かった。すべてを知り、ある意味人間に対して嘘をついて、仲良くしていくという十字架を背負うことになった赤鬼君の気持ちを考えると不憫でならなかった。優しい赤鬼君にとってはなおさらである。私は日ごろ積極的に発表する子どもだったが、その時ばかりは他人と意見が違うことが不安で何も言えなかった。

 

そしてこの集中講義におけるぬれぎぬの話の中でも先生の考えとは違う意見を持った時があった。怒りのぬれぎぬの中で江川の引退会見から連想した女子学生の話である。先生は著書の中で女子学生の行動に対して周囲を愛する人間がすることではない、といった旨の発言を彼女に対してしたと書いていた。しかし私はそれでいいと思った。そもそも誤解を招くようなことが起きたときに当事者の話を聞こうともせず、物事の側面だけを切り取ってその人を嫌うような人は友達とは呼べないと私は思う。

 

このようなことから私は二つの事を考えた。一つはぬれぎぬは私が想像していた以上に世界が広いものでたくさんの見方ができるということである。この授業を受けるまではぬれぎぬはただただ、嫌なもの、触れたくないものであったが、少なくとも文学の中に登場するものであったら楽しめるものだなと感じた。これから読書をするときにぬれぎぬに着目して読むのも面白いと思った。二つ目は物事に対する価値観は多様で然りだということである。物事の一面だけを切り取って自己の考えを形成するのは良くない。言ってしまえば先ほどの女子学生の怒りのぬれぎぬに対する私の意見もそれにあたるかも知れない。少なくとも他人と自分の意見を交換するような場であれば、自分の意見を様々な角度から精査し、形成することを心掛けたい。

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カツジ猫