2020年前期集中講義発表資料⑱
(発表資料が届いています。皆さん読んでおいて下さい。なお、ここまでが期限内に届いたメールです。)
◯作品情報
『ショーシャンクの空に』
原題:『The Shawshank Redemption』
1994年に公開されたアメリカ映画。
◯あらすじ
とある銀行の副頭取である主人公・アンディーは、自分の妻とその不倫相手を射殺した罪でショーシャンク刑務所に投獄されてしまう。無実を主張するアンディーだったが、「ここに来るやつは皆、自分は無実だと言うよ」と笑われ、看守たちの洗礼を受けることになる。独裁者のように君臨する所長と、その権威を後ろだてに囚人たちをいたぶる看守長が支配するショーシャンク刑務所では、囚人同士が手を取り合い、それぞれのコミュニティーを築いていた。獄内にいながらタバコや女優のポスターなど様々な物を取引できる調達屋のレッド、刑務所図書館の図書係であるブルックス爺さんなど、気を許せる仲間たちとの絆を深めるアンディーは、銀行員としての知識を活かし、看守たちに税金のやりくりのアドバイスをすることで、自らの役割を確立し、信頼を得ていく。所長までもがアンディーの知識と技術を買い、所長が裏取引で得た汚れた金を、書類上でしか存在しない全く架空の人物を作り出し、その口座に隠すことで資金洗浄することもアンディーにとっては造作もないことであった。すべてがうまく回り始めたとき、仲間の中で最も長く服役していたブルックス爺さんの釈放が知らされる。人生の大半を獄内で過ごし、外の世界に出ることを恐怖していたブルックス爺さんは、見慣れない環境、見慣れない人間のなかでアルバイトをしながら暮らすものの、孤独に苛まれ、自ら死を選んでしまう。その知らせを受けたアンディー達は、外で生きる力を奪う、刑務所の恐ろしさを再認識する。そんな時新しく投獄されたトミーは、若く気のいい男だったが、アンディーの妻とその不倫相手を殺した真犯人を知る人物であった。不意に自らの無実を証明できたアンディー。しかし同時にそのことを嗅ぎ付け、今や刑務所の資金のやりくりまで任せていたアンディーを手放したくなかった所長は、無実の唯一の証人であるトミーを秘密裏に殺してしまう。希望と絶望を一挙に味わったアンディーに、調達屋であり親友のレッドは「希望など持つな」と助言する。しかしアンディーの目から希望の光は消えず、「必死に生きるか、必死に死ぬか」という信念のもと、驚くべき方法によって刑務所からの脱獄を成功させる。それだけにとどまらず、所長の裏金のやりくりに使っていた書類上の人物に成り代わってその資金を得て、長年の夢であったメキシコに渡る。絶望の中にあっても希望を持ち続けた男が夢を実現させるまでの物語である。
◯「濡れ衣」という観点からの考察
『ショーシャンクの空に』において、主人公アンディーが着せられた濡れ衣は、妻とその不倫相手を殺害したという罪である。主人公が物語の冒頭に濡れ衣を着せられてしまう展開は、多くの物語に見ることができ、それらの多くは逃避行を繰り返しながらも、自らの無実を証明するものである。しかしこの作品の興味深いところは、主人公の濡れ衣が実質的に晴れていない点である。物語の中で、無実であることの証人が殺された瞬間に、濡れ衣を晴らす機会は永遠に無くなってしまった。にも関わらず、この物語は何とも爽やかなハッピーエンドを迎える。この結末に至ることができたのは、アンディーが「それまでのアンディー」を刑務所内に捨て置き、書類上でしか存在しない全く新しい人間に生まれ変わったからだ。言い換えれば、違う人間にでもならない限り、着せられた濡れ衣をいつまでも着続けることになる。ここに現代の、とりわけ刑事的「濡れ衣」を晴らすことの難しさが克明に描かれていると言えよう。この事実が作品に大きな影を落とすことで、明るい結末が際立つ。この作品を名作と評価せしめる要因である絶望と希望、陰と陽の対比は、この点によって支えられている。
また、さらに興味深いのは、ショーシャンク刑務所の囚人たちが口を揃えて「自分は無実だ」と主張している点である。仮にその主張が事実だとすると、刑務所の中は濡れ衣だらけということになる。もちろん、すべての主張が事実であるとは限らないが、すべての囚人がが嘘をついているということもできない(アンディーは実際に無実であったから)。本当の濡れ衣かどうかは本人にしか分からないので、これはいわば、「自己申告の」「不透明な」濡れ衣である。その、確かとは言えない濡れ衣をまとっていることが、ショーシャンク刑務所の囚人の共通点であり、彼らもそれを認識している。囚人たちがそれぞれにコミュニティーを形成するのは、単なる看守達への反抗ではなく、同じ属性を持つ仲間との連体が目的なのであろう。濡れ衣は、単体で見れば辛く、苦しく、覆し難いものであるが、濡れ衣を着せられた(と主張する)人が多く集まれば、そこに共感と安堵、信頼が生まれるという点は、この作品だからこそ得られる考察点であろう。