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6月3日レポート感想

6月3日レポート感想             板坂耀子

別に何かを予想していたわけでもないのですが、処罰を受けるときに「納得して受け入れるのと、納得しないで受け入れるのと、どっちが気持ちが楽か」という問いに、「前者がいい」と明確に、あるいは何となくニュアンスで答えている人が思ったよりも多かったのが印象に残りました。

信頼できる父親に殴られたのが素直に納得できたという、まっすぐな精神がただよう文章などをはじめとして、そういう、信頼して納得して処罰を受けられる社会とか上司とかへの、そこはかとないあこがれがにじんでいる気がして、ああ、そういう世の中を願い夢見るのも無理はない、素直な感情かもしれないなあと、どこか清々しい思いもしました。そんな世の中を教師や大人は作らなければいけないのだと、あらためて気が引き締まるようでもありました。

以前、大学院で現職の先生方が受講生の授業をしていて、雑談になったとき、生徒の個人的なことなどに触れた指導は、保護者からの抗議や批判を招きそうだからとてもできないのだとうかがった時、体罰が禁止され人権が尊重されるのと引き換えに何かが失われて行くのではないかと不安に思った記憶もよみがえりました。

以上のことを考えて、親としても教師としても大人としても、決して若い人々への積極的な指導にひるんだり、後ろ向きになったりしてほしくない、たとえさまざまな危険を冒しても、と、そういうアドバイスをするこれまた危険を冒しても、私はあえて言いたいです。

そして、その上でなお、体罰やパワハラを絶対に許せなかった自分の体験を三つだけ語りますので、参考にして下さればと思います。

その一 「雲の墓標」の老教授のこと

「雲の墓標」という小説があります。多分文庫本ですぐ読めます。

作者の阿川弘之は特に左翼とかリベラルな作家ではなく、むしろ保守的な作家として知られていると思います。しかし、私は戦争小説は古今東西かなり読んでいる方ですが、どんな反戦小説やプロレタリア文学よりも、この小説から、強い「戦争だけはごめんだ」という思いを感じさせられたのです。

これは、第二次大戦中の特攻隊の三人の学徒兵の話です。彼らは大学で国文学を学んでいました。誰も特に左翼的な思想を持っていたわけではありません。ただ、日本のこの戦争への参加も、特攻隊としての運命も、まったく納得しているわけではありません。

自分たちの国へ命を捧げるしかない運命を受け入れよう、信じようと彼らは努力しつづけます。その中で一人は結局どうしても納得できず、抵抗と脱走を決意します。一人は何とか愛国心を育てて国のために喜んで死ぬように自分の心を変えて行きます。どちらも苦しみ、葛藤します。

ほんの数回ですが、彼らが大学時代の教授に手紙を出して心境を告白する場面があります。教授の返事は出て来ません。返事を出したかもわからない。気にして、心配していたらしいことは、わずかな描写でわかります。

私がこれを読んだのは高校生のころでした。いろんなことを感じましたが大人になって大学の教師になってから、その最初のころの感想は皆かきけされて忘れたほど、現実の自分の教え子たちからこんな手紙をもらったらどうしようという恐怖がいやが上にも広がりました。

自分の死と祖国の正しさに疑問を抱き、それを正しいこととして納得しようと必死になっている、こんな手紙をもし、この学生たちから受け取るような日が来たら、私はどうしたらいいのだろう。何を言えばいいのだろう。

研究やその他が忙しく、時間が足りない中で私はずっと、社会や政治に関心を持ち、集会や署名やその他の活動に参加するのをやめませんでした。それはひとつには、このような手紙を自分の学生から受け取るような日が来ることを、絶対に先延ばしして避けたいという気持ちがあったからです。自分が親身になって指導した学生たちが卒業し、年をとり、徴兵があってもそうすぐには戦地に行かないですむだろう日々を、首を長くして私は待ちました。彼らが中年になり社会人になり、親になるのを見て、ほっと胸をなでおろしたことは多分誰も知りません。

しかし、それも甘かった。若い学生たちは次々に入学し、私の前に現れます。女性だって今では軍隊に入ります。彼らを見ながら、この人たちは今なら徴兵されるだろうという私の不安は、いつまでも消えることはないと最近つくづく感じています。 

私は今の皆さんが、安心して信頼して心安らかに処罰や義務を受け入れて心と身体を捧げられる社会や国を望むのもあこがれるのも、よくわかるし、その気持ちは大切だと思います。しかし、その気持ちを利用されて、否応言わせぬ強い力に身を任せて自分の意志でそれを選んだかのように思わせられないよう、重々注意して下さい。身も心も捧げて信頼できる国も世界も、私たち自身がめざして、作り上げるものです。たとえまちがっても未熟でも、それをするのは私たち自身しかどこにもいません。どこかにあって、誰かが作るものではありません。そこだけは忘れないで、気をつけていてほしいです。

その二 たった一人の大人

私は親でも先生でも、いつも内心で批判したし、不満や怒りがありました。皆好きだったし、かわいがってももらったけれど、絶対に信用できないと思っていました。絶望もしたし、虚しくもなりました。

そんなとき、いつからか思いはじめたのは「自分が心から信頼できる、絶対に裏切らない大人は、ただ一人しかいない」ということでした。

それは、未来の私自身でした。

この大人なら、私の今の怒りや不満を忘れないで、私の望みを実現する努力を続けてくれる。裏切らないでいてくれる。この人を今はとことん説得し、教育しておかなくてはいけない。そう決めました。

そして、この人が今の私の回りの大人のように、「大きくなったらそんなことは言っておられないよ」「あんたも今にわかるよ」「昔は私もそんなきれいごとを夢見ていたけどね」などと、ふざけたことを抜かすようなら、そんな大人にしか私がなれないのなら、今の怒りも不満もすっぱり消して、持ってはいけないと決めました。未来の私が忘れてしまうような程度の怒りや正義や不満なら今の自分が持つほどの価値はないと考えたのです。

大人になって、教師になって、老人になって、今の私が誰よりも恐れるのは、その昔の私です。太って、色あせた制服のスーツを着て、髪をぼさぼさにした、不機嫌な気難しい顔の、少女です。その昔の私がいつも私に言います。忘れたのか、と。裏切るのか、と。あれだけ大人に対して抱いた怒りを捨てるのかと。それが私を厳しく見つめて、私が若い人や弱い立場の人をないがしろにするのを許しません。もちろん、彼女の目からみたら、今の私も変わったし、不満がいっぱいでしょう。でもまだ何とか見限られないでいるような気はしています。

あらゆるものに絶望し、あきらめ、期待を持てないと思ったら、許せない、信頼できない大人が回りにいすぎたら、せめて未来の自分自身は自分を裏切らないかもしれない、そうするためには何が今必要なのか、そういうことに気持ちを切り替えるのもひとつかと思います。少なくとも、その大人一人だけは、あなた方が自由にできる可能性があります。

その三 絵に描いたような「矛盾」

私の小中高時代は体罰はごく普通でした。それが禁止されたのはそんなに昔ではありません。そんな中でいつからか、私は自分であれ他人であれ、生徒に体罰を与えた教師は、他にどんな魅力があっても、どんなに仲良くよい関係を結んでいても、決して心を許さないし、愛さないと決めていました。

ところが困ったことが起きました。自分が教師になったとき、私はまたひとつ決めたことがあって、それは自分の教えた学生は何があっても、絶対にひとり残らず愛するということでした。

そうしたら、卒業した学生たちが多く教師になって、当時のことですから男女を問わず、皆生徒に体罰を加えて指導するようになりました。

それで、ほとほと困りました。絶対に愛すると決めている教え子たちが、絶対に愛さないと決めている教師になってしまったら、いったいこれはどうするべきか。「ホコタテ」「矛盾」という用語の、これだけみごとな用例もないわな、とじたばたもやもやしているうちに、幸か不幸か体罰に対する批判があれよあれよという間に広まり強まり、教育現場での体罰は一掃されてしまいました。ずるいっちゃあずるいですが、私の悩みは思い詰める前に自然消滅しました。問題は解決してはいませんが、死ぬまで考えないですむかもしれません。

三つとも、あくまで私個人の体験です。これが正しいとかいうことはちっともありません。私は何につけ頭でっかちで極端な人間です。しかし、世間は広いですから、中には私のような生徒や子どももいるかもしれません。いつも考えていなくてもいいですが、どこか頭の片すみでは覚えておいてほしいかな、と思っています。

                      2023年6月10日          

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カツジ猫