「断捨離新世紀」(14)どんぴしゃり!
どんぴしゃり!
窓辺の机
二軒ある古い方の家の、日当たりのいい机の上に、謎のようなびんづめがいくつかある。
ちなみに、このアンティーク風の机は近所のスーパーのアウトレット店で買ったもの。そんなに高くはなかったが、何しろでかくて、叔母の遺した寝心地のいいセミダブルのベッドにかぶせるように置いてあるのは、ちょっと異様に見えるかもしれない。でもこれ実は、ベッドで仕事をするのに使えるし、いやそれ以上にベッドの上のアンティーク風のライトをいじる時に、しっかりした踏み台というか足場が絶対必要なのですよ。マットレスの上に小さい踏み台なんかおいて作業をするなんて、けんのんでしかたないでしょ。これだと、もうばっちり安心して高齢者のよれよれ脚でも、らくらく天井近くの作業ができるのです。
説明書
で、ここに並んだびんづめは、造花と、ファイルの金具(だけ)の不思議な中味である。私の死後はこれまた速攻で捨てられるかもしれないが、一応その由来を書いた紙を各びんに入れている。いやー、もうこれは、説明が不要というか…その紙を読めばすべてわかるから、つけ加える説明は何もない(笑)。
書き付けの中味は以下の通り。
「2020年2月。田舎の私の家の書庫を、親切な隣家の方が、まったくの好意から片づけて下さった。ちゃんとした教養も知性もある方々だったのに、どういうお気持ちだったのか、私の大切な資料や高価な本、思い出の品々をすべてずたずたに破って壊して業者にごみとして出されてしまった。途中で帰省して気づいた私が中止させたが、すでに半分以上が失われてしまっていた。殺されたにも等しい、私の過去と未来の抹殺だった。
さまざまな貴重な資料を綴じあわせていた、重要なファイルの数々も、すべて解体して金具もはずして切り取って、残されたその金具の束を誇らしげに私に見せて下さった。
彼女たちがごみ袋に押しこめていたさまざまなものを、その後数ヶ月かけて私は全部見直して元に戻した。殺された子どもの遺体をつなぎあわせるように。その中にあった数多くのファイルの大小さまざまの金具を、私はどうしても捨てられなかった。
ちょうど、カトラリーを入れていたたくさんのガラス瓶が空いていた。行きつけの花屋さんに頼んで、かわいい造花を買って、それらの瓶に金具といっしょに入れて飾ることにした。
博多座に観劇に行くたびに買っていた線香の入れ物を残していたのが、ちょうど瓶の数だけあった。それに、この説明書を入れて、いっしょにつめておくことにする。
2022年2月15日 板坂耀子」
ガラスの棺で救われた
それにしても、まったくどんぴしゃりの骨壷かガラスのお棺があったものだと、見るたび痛みしか感じなかった金具たちを見るたびに、少しはほほえめるようになったのだった。よく見て下されば、厚い大きなファイルに使用する、巨大な金具もまじっているのが、おわかりだろう。親切な方々は、そういう分厚い重い、私が心血注いで集めて綴じていた資料もすべて解体して、金具の部分をはさみで切ってはずしたのだった。
善意からなされた、こんなに膨大で残酷な悲しい努力の成果というものも、なかなか世の中にあるものじゃない。少なくとも私は生きている間にこれ以上のグロテスクな残骸を見ることはないだろうと思う。
書き付けにある、お線香の入れ物は、供養の意味も兼ねてとてもいいと思ったのだけど、口の小さいびんには入らなかったりして、その分は金色のリボンでしばって入れることにした。
机の上の飾りとしちゃ悪くないが、カーテンは引いていても、ちょっと日当たりがよすぎるので、造花が色あせたりしないよう、そろそろどこかに移動させようかと考慮中だ。
特別区画の墓地のように
あとひとつ、最近ちょいと困ったことが。ファイルを使う人なら経験あるだろうが、この金具だけが妙に迷子になって残ってることが、ちょくちょくあるのです。そうやって、あちこちから見つかる金具を、いっしょにここに入れてやろうかと思ったりするのですが、いや~、やっぱりこのびんに入れるのは、あの「20202」の悲劇の象徴となった金具だけにしないといけない、と何だか名誉の戦没者の墓地みたいな気分もあって、まだ、その悲劇の犠牲者?以外は一本も、ここには入れてません。
しかしながら、そういう金具はそういう金具で、別の行く先を見つけてやらねばならないかしら、とふと思ってしまったりする今日このごろです。(2022・11.9.)