断捨離新世紀(1)
はかま
クリスマスの買い物
去年の暮れ、クリスマスの時期だったと思う。たしか年賀状の絵に色付けするサインペンを買おうとしていたと思うから。いつもの文具店に入ろうとして、店の外から見たショーウィンドウに並んでいた、アニメなどの絵を描いた、陽気で安っぽいコップが目に入った。実際最初は紙コップかと思った。
店に入って確かめると、紙コップに似せてあるが、メラニン製のそこそこしっかりした作りだった。あまり何も考えずに、一個六百円ほどの値段のそれを六個ほど買いこんでしまった。断捨離に明け暮れて、田舎の家や叔母のマンションから持ってきた、高級な食器類の管理や譲渡に必死になるあまり、新しい器などここ数年一つも買ったことがなかった欲求不満が爆発したのだろう。
帰って、机に並べて、ばかばかしいけど飾りになるからいいか、若い人が来たときに使って面白がってもらおうと考えながら、しかし私がこの手の紙コップ風のものを使わないのは、猫がいるし年寄りだし、ひっくり返す心配があるから、それがいやで、つい安定した筒型のマグカップにしちゃうんだよなあと、あらためて思った。
叔母の食器類
そして、ふと思いついたことがある。
叔母が遺した膨大な量の食器はいろんな人にもらっていただいたのだが、特になつかしいものや美しいものは、叔母の気持ちもくんで、身内に渡しておこうかと、横浜の従姉に送ったものが多かった。母が亡くなった後は、もはや天涯孤独の私とちがって、彼女はご夫君もいれば、子どもたちも孫もいる。何なら弟もいて、彼も家族がいる。つまり、どこかに流れて行ってくれる可能性は私よりずっと高い。
とは言え、叔母が生前に私に直接くれたものは、さすがに残していた。クリスマス用のツリーの絵のお皿のセットだの、ちょうちょの模様の大きめの鉢だの。そうでないものの中でも、華やかで使っていると楽しそうだから、ついつい送るのを後回しにしていたものもある。たとえば、取っ手が金の紅茶カップのセットや、銀の皿のコーヒーカップのセットは、お客に出したり、一人で使ったりするのに、ちょっと小説の中にいるような贅沢な気分にひたれた。
しかし、去年の秋に目の調子が悪くなり、まあそこそこ回復はしたが、他の部分だっていつどうなるかわからないとあらためて実感し、沈む船からボートで乗客を逃がすように、よそで少しでも使ってもらえそうなものは、早々に手放そうという決意が日に日に増して来ていた。
叔母のものだけではない。田舎の家で、祖父母や母と使っていた、古い器や湯のみも、それなりに味わいのあるものもあって、手元に残して幼いころをなつかしんでいたのだが、これもそろそろ、もらってくれる相手がいる内に引き渡しておいた方がいいと考え始めていた。私が残して使うのは、もう本当に雑で安っぽくて、私の死後はすぐに処分されてしまうようなものだけにしておくのがいい。
ただちょっと、それでは老後の最晩年が味気なくなりはしないかと心配で、思いきりがつかないでいた。
思考停止のきっかけ
特に、そういうものをながめている時、「またにしよっか」と私の思考停止のきっかけになるのは、実はいつも同じもので、それは、徳利のコースターともいうべき、「はかま」だった。
昔の田舎の家はどこもそうだが、私の家も祖父が元気なころはよく村の人が集まって宴会をしており、祖母や母がせっせとお酒の燗をつけていた。徳利も十本か二十本はあったろう。それは次第に減って行ったし、まあいざとなれば、花活けにして使ってもらえばいいとも思っていたが、色あせた赤いはかまは、どうにも使いみちがなさそうだった。いろんなものを送り出してしまった後、がらんとした棚に、このはかまだけが残っている様子というのは、何だかいかにも情けなく見えて、「まあまだ先でいいか。何か考えつくだろう」と思ってしまうのだった。
しかし、年末に買って来た、元気いっぱいのチープなメラニン樹脂の紙コップ風コップを見ていると、いきなりひらめいたのは、「そうか、これがひっくり返らないように、お客に出したり自分が使ったりするには、あのはかまをコースターがわりにはかせとけばいいのじゃないか」ということだった。
私は文字通り飛んで行って、二軒ある家の古い方の台所の棚に並べていた、はかまを集めてきて、コップを入れてみた。
ありがたいことに、大きさも深さも、理想的にぴったりだった。ただ、惜しいことに一個足りなかった。まあ、コップの一個だけは控えということで、入れ替えながら使ってやろうと思っていたところが、その後私が窓べの母の写真の前においていた花びんに、一個を使っていたのが見つかり、みごとにしっかり五個のカップにはかまがついた。
なぜか勇気がわきおこる
立派に棚におさまった、わが家のいわば最古と最新の器がしっかりカップルになって、自然にとけあっているのを見ると、ふしぎに陽気で力強い気分になって、私はこれまで迷っていた、くだんのカップ類や、田舎の家で使っていた湯のみや食器、叔母の他の器などなどを、一気に荷造りして、年末から正月にかけて従姉に送り出した。
残念ながら私が大事にしていた緑色のお皿のセットは、小皿の二枚が割れていたそうだが、他の器はすべて無事に到着した。宅急便の方の名誉のために言っておくと、今まで私が数しれず送った食器類で、割れていたのは、これが最初である。
棚の食器はずいぶん減った。しかし、そうやって減らすと恐ろしいことに、まだまだ奥からけっこう使えそうなものが出てくるし、古い昔のコーヒーカップや皿や器は、それなりに心を落ち着かせてくれて、決して淋しくも味気なくもならない。むしろ静かな力強さがあらためて、家中にみなぎって来る。
ちゃらい紙コップ風のメラニン樹脂カップと、行き先が決まらなかったはかまとが、どうやらこうやってまた、私の新世紀を開いてくれるようである。(2021.1.18.)