断捨離新世紀(3)
はじめて聞いた君の声
欠けてもいける
定年前で、まだめちゃくちゃ忙しいころ、会議や授業の合間をぬって、意地でも映画や演劇を観に行っていた。慢性的な睡眠不足だったから、客席で眠ってしまうのが心配で、早めに着いたら駐車場の車の中で仮眠をとったりしていた。
さすがにそれで寝過ごしたということはない。しかし、そうなりそうで恐かったから、携帯用の小さい目覚まし時計を買っていた。実際にそれを使ったという記憶はないから、持っているだけで安心していたのだろう。
その中の一つで、当時としては割と新しいデジタル形式の二つ折りの時計があった。家でも朝早く起きるときには、いつも使っていて、定年退職してからもずっと使いつづけ、とうとう文字盤の文字が一部なくなって、8だか7だか6だか9だか区別がつかなくなったが、まあ何とか見当はつくし、目覚まし機能はちゃんとしているので、そのまま使いつづけていた。デザインその他に特に愛着があったのではないし、別に高価なものでもない。役目を果たしてくれている内は、使ってやりたかっただけだ。
ドックに行く朝
いろんな仕事を減らして行き、人とのつきあいも前ほどではなくなり、早く起きる必要もなく、忙しいと言っても自分のしたい仕事にあくせくするだけの、まあ客観的にはのんきな生活になってきた。目覚まし時計の出番もほぼなくなった。そのせいで、定位置である置床の上のかごの中にずっと寝かせておいて、先日、人間ドックに行くために早起きしなければならないからと、とり上げてみたら、電池がなくなっているのか動かなくなっていた。まずいことには電池も切れていて、すでに夜中だった。
考えてみれば人間ドックなんて、本当に今では一年に一回の早起きしなければならない日である。もしかしたら一年間、放っておいたのかもしれない。電池切れも無理はない。
コンビニに行けば電池も買えるが、体調を万全にしておきたいから、夜ふかしもしたくはない。すぐに寝たいが、寝過ごしては大変だ。携帯に目覚まし機能もあるかもしれないが、そんなもの調べているヒマはない。明け方まで夜ふかしをする友人に電話してモーニングコールを頼もうかと思ったが、まさかね。
家中さがせば、他に目覚まし時計の一つや二つあるだろうと思って、探索にかかった。仏間に行ったら、果たして、赤と金のきれいな時計が窓べの棚の上にあった。
退職祝い
これは私が買った時計だ。幼い時から浜辺の砂ほどいろんなものを買ってもらった叔母に、珍しく私がプレゼントした品だ。叔母はもうそのときはパーキンソン病が悪化したかで、親戚の病院に入院していた。八十歳を超えていたが、まだ老健施設に勤務していて、華やかな服装で入居者の人たちから慕われていた。もっとも実際の診療は若いお医者さんがやっていて、叔母は肩書だけの勤務だったのかもしれない。それでも私よりははるかに高い給与をもらっていて、私がやたら忙しがっているのを見て、「何だかあんたに悪いみたい」と言うことがあった。
入院が長引いて、叔母はやがて、その仕事を辞めた。そういう辞め方だったから退職祝いのようなものも何もなかった。そこまで働き続けたのはめでたいことかもしれないが、花束のひとつももらわず職場を去ることになった叔母が、何だかやるせない気がして、私は病院の近くの、叔母とも顔なじみだった時計屋さんに行き、この時計を買って叔母に「長いことお勤めご苦労さん」と言って渡した。今ならもうちょっと気が利いた花とかカードとかも用意したろうが、そのころはまだ私はそういう機転がきかなかった。時計の裏にお祝いの文字を書いてもらうことさえ考えつかなかった。
叔母は喜んでくれたような気がするが、よく覚えていない。私自身が、こんなことでは叔母の長い間の働きや、私にしてくれたことへの感謝としては、あまりにも不十分だという後ろめたさやもどかしさがあって、どこやら上の空だった。こんなささやかなものしか買えない、自分の不甲斐なさも感じていたかもしれない。
叔母がまだ元気で、たしか母といっしょに博多のホテルに泊まっていたとき、叔母の誕生日ということを思い出して、私はホテルを抜け出して、近くのデパートでイヤリングを買って叔母にやったことがある。「安物だし、人にあげていいよ」と私が言うと叔母は、「そんなことするもんね(するわけがない)」と意外なほどに強い口調で、嬉しそうに言った。真夜中の仏間で、叔母の写真の前で、十数年もたった割にはそんなに古びていない時計を手にしながら、そんなことを私は思い出していた。
美しい音
それにしても、目覚ましは無事に鳴るのかしらんと危ぶみながら針を試しに合わせてみると、りりりと穏やかに澄んだ音が響いた。叔母が亡くなって、この時計も引き取って、ここにおいたまま十数年、電池を変えたことはあったかもしれないが、目覚ましを鳴らしたことは一度もなかった。叔母も聞いたことはなかっただろう。
私は枕元にその時計をおき、翌朝、優しい音に起こされて、無事に人間ドックに間に合った。コロナでひきこもっていた間の不摂生で、あちこち身体はろくなことになっていなかったが、それはまあしかたがない。それから一週間ほどたつが、私はまだ時計を枕元においたまま、十数年を経て初めて耳にした落ちついたきれいな音をあらためて思い出している。
そう言えば、その後仏間の棚の奥に、叔父が持っていたらしい、形は似ているがもっと小さな金と黒の置き時計を見つけた。これは裏に何かの記念の文字が金色で書いてある。目覚まし機能もついている。
いつか、これも鳴らしてみたい。
ついでに、叔母の遺した腕時計の点検のために、ときどき訪れる博多の時計屋さんで、金と赤の時計の方にも、今さらながら叔母の退職記念の文字を入れてもらったらどうだろうと、いたずら半分考え始めている。(2021.1.19.)