断捨離新世紀(4)
長靴、がんばる
大昔の商品券
叔母が亡くなった後の荷物を整理していて、頭を悩ませたのが、さまざまなデパートのものすごく昔の商品券の処分だった。祖父母と母が暮らしていた田舎の家にも、これまた地元のデパートの古い商品券がそこそこ残っていて、使えるかどうかもわからない心配もあって、うれしいよりも気が重かった。
結局は全部使えたのだが、毎回ドキドキしたし、食料品や消耗品など、まったく残らないものに使ってしまうのも何となくためらわれて、かえっておかしなものを買ってしまうことにもなった。
俳優のラッセル・クロウにはまって、彼の海洋映画「マスター・アンド・コマンダー」が公開されていた当時、船と海の絵が入ったそこそこ上等のブラウスとジャケットを買ったのもその一つだし、少しおしゃれな長靴がほしいと思っていた時に、ANNA SUIの紫色の長靴を見つけて、ついうかうかと同じものを二足買ってしまったのも、よっぽど商品券の束の存在が私の中では重荷になっていたのだろう。
とにかくあまりに古いものばかりだったから、もしかしたら、「あらー、残念ですね、先月までで期限が切れています」とか言われかねないという強迫観念も、常に私を焦らせていた。
しかしながら私はもともと庭仕事や梅雨の時期のために、これまたかなり高価なブランド長靴を二つまで持っていたのだから、我ながらアホである。まだ仕事をしていて、今から思えばけっこう湯水のようにいろんなものを買っていた時期だった。その二足を物置に並べて、どんな大雨になっても君たちがいると心強く思っていたのだ。
ただ、あまりにも非常時っぽくがっしりしてもいたから、もうちょっとおしゃれな感じで使うときに、とANNA SUIの紫の方も買ったのだが、結局ほとんど使うことなく、下駄箱に寝かせたままだった。
ちなみに私の今住んでいる家は、三十年以上前に買った建売の普通の住宅と、十年前に建てたワンルームの小さい家の二軒で、両方に風呂もトイレも玄関も下駄箱もある。何かを買うとき、つい二つそろえてしまうのも、それが原因の一つでもある。
そのまま数年経ってから、新しい方の家の下駄箱にあった紫の長靴を出して見たところが、一度はいたあとできれいに洗っておかなかったからか、泥の跡が残って全体が色あせ、おしゃれ用とは程遠い外見になっていた。ちょっとショックを受け、申し訳なく思った私は、どうしていいかわからずに、それをそのままにしておいた。
荒れ放題の庭で
私の家の庭は、変なかたちに入り組んでいるが、面積としてはかなり広い。管理が行き届くわけもなく、適当に木や花を植え、野良猫よけになると聞いてハーブなども植えていたら、どれも何だか栄えに栄えてはびこって、手がつけられなくなった。もともとここは地元の方の畑だったから、めちゃくちゃ土が肥えているのだろう。
夏は一応水まきもしていたが、もうそのためにも茂った草をかきわけて歩きまわらなければならない始末で、ふだんはいているサンダルのままだと、ひざまでびしょぬれ、泥だらけになって、家に上がれない始末だった。
音を上げた私は、ある日ふと、下駄箱につっこんだままの紫色のANNA SUIの長靴をはいてみた。おしゃれ用のはずなのに、実に立派に役割をはたして、朝夕の水まきがとてつもなく快適になった。
働く靴は美しい
それからもう何年になるだろう? 最近私は庭造りにはまって、草ぼうぼうの庭を、長期的な計画のもとに、かなりきれいにした。何しろ大小二軒の家の間に共用の水道管や電線が埋まっていたり、道路の近くでは、水抜きのパイプが入っていたり、いろいろと面倒な土地なのである。そういうことのもろもろも、しっかり考慮した上で、草取りも手入れもしやすいように配慮して、飼い猫が将来死んだときに埋める場所も計算に入れつつ、見てくれもそこそこの庭を作った。
その間ずっと、おしゃれな長靴は過酷な労働にいそしんでくれた。古びるどころか、びくともしないで役目をはたしている内に、何だか汚れも目立たなくなり、全体的にきれいになったのが不思議だ。
古い方の家の下駄箱には、同じ長靴がほぼ新しいままで、もう一足あるのだが、こっちも時には使ってやらないと、むしろ傷んでしまうかもしれない。
それにしても、ファッション性を重視のはずが、ブランド物の長靴の丈夫さには本当に感服した。しっくりしたはき心地のよさも含めて、メーカーにはただ頭が下がる。
なお、前からあった、こちらは戦闘用みたいなごっついブランド長靴二足は、この分では活躍の余地がないだろうと判断し、雪深い由布院の山の上の友人にさしあげて、ものすごく喜んでいただけた。叔母や祖父母たちの残した商品券も、こうやって、いろいろと結果的には、なかなかよい使い道ができたのかもしれない。(2021.10.12.)