断捨離新世紀(9)大きな黒い蝶
友人に買ってもらって、もう手放した田舎の実家は築百年に近いのじゃないかという、古民家になりそこねたような古い家で、でも金持ちだった前の持ち主のお医者さんが贅沢に建てただけあって、土台や材木はよく吟味されており、あまり使われることのなかった応接間の周囲のガラス戸やドアも、やたらと重厚で立派だった。多分、立派さでは比べ物にはならないだろうが、子どものころ読んだ外国小説(「ニキータの少年時代」とか)で、古い応接間の描写が出てくると、妙に胸をしめつけられるような、懐かしさが身体にまとわりついてきたのは、ときどきこっそり隠れるように過ごしていた、暗くて狭い、その応接間とどこかで重なっていたのかもしれない。
祖父も村医者で、診察室から住居に通じる狭い廊下が応接間と居間につながっていた。今でも夢にときどき、そのあたりの廊下やドアを私は行き来することがある。
応接間と居間の間の重たい大きなドアは、祖父母が弱って来たころから、何のせいだったか下の方の板が破れて、そこを安っぽいベニヤ板でふさいであったりして、みすぼらしくなっていたが、なおどこか堂々としていた。何百回か何千回か出入りしたはずのそのドアの写真を私はほとんど撮っていない。ひっくりかえして探しまくったら、やっと、居間のソファに猫とくつろいでいる母の写真の背景に、かろうじて、闇に沈むように、そのドアが確認できた。
やたらと重いドアだった。それを柱にとめつけていた蝶番も大きくてごつかった。なぜか、それが古い荷物のがらくたの中に入っていたのは、新しい蝶番につけかえたのだったか、ドアそのものをもう代えてしまったのか、もう今の私はよく覚えていない。記憶の薄れ方はものすごい。見慣れた家の中でもどこか盲点のように見届けていない部分があるのも不思議だ。
さて、その蝶番だが、あまりにも古くて重々しくて、捨てる勇気が私にはなかった。と言ってどうするあてもなく、ずっと荷物の中にあったのだが、ふと思いついて、今の新建材の安物の家に、さらに手抜きのベニヤ板で山ほど作ってくっつけた本棚(訪れた学生が「先生、自分で作ったんですか」と買いかぶりだか失礼だかわからない質問をしたしろものだ。それでもな、家全体では、きっと百万をくだらない工事費がかかった棚なのだよ)の側面に貼り付けてみようかと考えた。
棚は家中にあるから、どこでもいいのだが、せっかくだから祖父母や父母や叔父叔母たちの写真や位牌や仏壇がある小さい部屋の入り口だと、彼ら彼女らも蝶番も何かとなつかしかろうと、そこの入り口の棚の側面にとめつけた。はずした時にねじまがっていたりするものもあるが、おおむねちゃんと張り付いてくれた。当時のねじや長い釘もかなりそのまま残っていたので、それも全部使った。余った穴には新しいフックをねじがわりにして、キーホルダーやいろんなものを引っかけた。
この右側はぺこぺこの今のドアだが、貼ってあるぼろぼろの普賢菩薩らしき絵は、やはり田舎の家の仏壇代わりの棚の壁にずっと貼ってあったものだ。そのまんま鋲でとめたら、案外この仏間代わりの小部屋に似合ったので、そのままそこに貼っていた。蝶番ともけっこう似合う。
どうせ私の死後は壊されて捨てられるのだろうが、一応もとのドアの写真と由来とを、額に入れてかけておいた。
ひとつひとつは、こんな感じだ。もうちょっと仏間がきれいに片づいたら(いつのことやら)小さい花びんなどかけて花を飾ったり、何かといろいろレイアウトして遊べそうだし、この蝶番そのものが、壁にとまった大きな黒いちょうちょのようで、ゆがんで曲がった部分までが逆に羽っぽくて、かわいらしく、見るたびに変ににやついてしまう。(2022.10.26.)