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(100)人は変われる

家に帰ったら、猫が何かを追っかけていた。
庭でカマキリに遭遇してさえ、目をそらして見ないふりをするヘタレ息子なので、何をつかまえようとしているのかと思ったら、茶色の脚の長い蜘蛛だった。若いのか、そういう種類なのか、それほど大きくはなく、全体でも赤ちゃんの手のひらほどしかない。

この家も建ってから十年近い。今までまったく蜘蛛は出なかったが、そういう時期にもなったかとまず思った。小さいハエトリグモなら、しょっちゅうぴょんぴょん飛び出して、私はうんざりしながら、つかまえて戸外に放り出すのだが、この手の蜘蛛は初めてだ。少し前に、もっと大きい、大人の手のひらサイズに近いのが、玄関のドアわきの壁で入りたそうにしていたのを追っ払ったばかりだった。蜘蛛たちも入っていい許可がどこかで出るほど、この家も年をとったということだろう。

さてどうしようと、私はちょっと考えた。
実は私は、蛇は昔から、田んぼ道で足にまきつかれても、えいっと足を振って水田にぽちゃんと蹴込み、泳いで行くのを見送ったり、木の上でちくりと指をかまれて見上げたら小さい蛇の頭が目の前にゆらゆらしていて、頭が三角じゃないから毒蛇ではないなと確認して、指先の小さい針のあとのような二つの穴を見て、なるほど小説などにある通りの歯の跡だなと感心したりするぐらい、恐くもないし嫌いでもない。しかし、その分、蜘蛛は苦手だ。

卒論指導の学生の、今はもうベテラン教師になっているしっかり者の若者でも、蜘蛛が嫌いで姿を見たら部屋に入れず、友だちに「ちょっとよそに行こうか」と言ってドアを閉めてしまうという男性はいたし、職場の同僚で、更に病的なほど蜘蛛が恐くて、夜に研究室から出て廊下に蜘蛛がいるのを見たら、通り抜けることができずに帰れないという女性もいた。後者の彼女は病院にまで行って相談したが、原因も治療法もわからなかったらしい。

私もいつからそんなに嫌いになったのか、きっかけも理由もわからない。まだ小さいとき、二つ年上の従姉の腕に大きな蜘蛛が行き来して白い糸を張っているのを見たときは、従姉は笑っていたのに、離れた場所で固まったまま声もあげられなかった。好きで読んでいた絵本のひとつで、みつばちマアヤが見開きの画面いっぱいの大きな蜘蛛につかまって殺されかけていたのを見たのは、少しはトラウマになったかもしれない。そう言えば蛇がそんなに嫌いでないのは、「ジャングル・ブック」の大にしき蛇カアやドリトル先生シリーズに出てくる、さまざまな蛇たちへの親しみが基本にあるだろうし、蜘蛛が文学にちゃんと人格?を持って登場しないのは、やはりここまでの拒否感を生む一因のような気がする。
一度、何かの児童文学で、軒端に巣をかけた蜘蛛が淋しさをこらえて家族が戻って部屋に灯りがつくのを待っている話があって、それは少しはありがたかった。でもそれ以外は記憶にない。SF「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」だったか何かのラストで、誰かが蜘蛛の足を切り落として遊ぶ場面があり、それには反発と怒りを感じたが、そこまでだった。

私が育った田舎の家には、もちろんトイレにも自分の部屋にも、よく巨大な蜘蛛が出て、私はそのたび、いやいやながら、追っ払ったり、たたいて殺したりしていた。そのころはころんと丸くて真っ黒い脚の短い蜘蛛も、庭に巣を張るだんだら縞の女郎蜘蛛も、小さなハエトリグモも皆一律に嫌いで、さわるなど思いもよらなかった。手足を丸めて死んでいる死骸さえも見るのがいやだった。

我ながらこれは何とかしないといけないと思って、おしゃれでかわいいデザインだが、それなりに蜘蛛の特徴はつかんでいる、北欧製か何かのモビールなど買って部屋に飾って見たりもしたが、見るたびに新鮮にどきっとして心臓に悪く、片づけておくと、うっかり開けたときにまたぎょっとひっくり返りそうになる。結局、人にあげてしまった。

何があったというのでもないが、次第にその嫌悪や恐怖が薄らいで来た。いつからか自分でもわからない内に、小さいハエトリグモは手でつまんで、もぞもぞ指先でもがいているのを感じながら、庭まで持って行って逃してやるようになった。大きな蜘蛛にはさすがに近づく気にはなれなかったが、一時期ずっと部屋のすみに時々姿を見せていた蜘蛛は、脚のひとつが傷ついたのか短くなっていて特徴があり、おまえなのかと声をかけるぐらいにまではなってきていた。結局、その蜘蛛は殺さないままだった。

それでも、不意に現れれば、反射的にハエたたきでたたいたり、殺虫剤を浴びせたりして殺していた。しかし、ここのところ、その回数も減っており、どこか見えないところで暮らして老いて死んでくれるなら、それでいいと思うようになっていた。とは言え、二軒使っている内の古い大きめの家の方はそれでもすむが、新しいワンルームの家ではさすがにいやで、共存はしたくなかった。まだ、そのままの大きさなら目をつぶってもいいが、いずれ巨大になってしまうと、やっぱりがまんできなくて、殺してしまいそうだった。

私が迷っている内に、蜘蛛は猫に追われて、掃除道具を入れている箱の背後に逃げ込んだ。殺すなら一瞬で殺してやろうと、その箱を壁に押しつけたが、蜘蛛は逃げ出して、床を走り、ひざまずいていた私の膝のあたりに隠れるようにくっついて来た。
昔の私なら、絶叫はしないまでも、声を失っていただろう。
だが、自分でも少し意外なほど私はあわてず驚かず、救いを求めて私の足の下に走りこんだその蜘蛛に、むしろ親近感と申し訳なさを感じたのだった。よく見ると、さっきはさまれた時につぶされたのか、蜘蛛は脚を一本なくしていた。もうこうなったら、一気に殺してやるしかないと、私は新聞紙を上からかぶせて、蜘蛛をたたいて絶命させた。その時も昔のような血が凍るような恐怖はなく、何とかつかまえて逃してやりたかったという思いだけがこみあげた。つぶれた蜘蛛がつけたラグのしみを拭い取り、壁に残っていた脚の残骸を片づけながら、私は蜘蛛の脚というのは何ともろいのだろうと、あらためて悲しく思った。

動物虐待やホロコーストや、その他の残虐な話を聞くたび、忘れられない記憶がある。まだ風呂を薪でたいていたころのこと、田舎の家で私は、風呂をわかしていた。高校生か中学生だったと思う。風呂の焚き口は四角い穴の中に入って薪を燃やすような構造になっており、その狭い中で薪をくべていた私の前に突然巨大な蜘蛛が現れ、動転した私はとっさに火ばさみで蜘蛛をつかんで、火の中に放りこんだ。

そしてすぐ、しまったと思った。何と残酷なことをと仰天し、はさんで救い出そうかと思った時、蜘蛛が火の中から逃げ出して私の足の先に来た。私は恐怖で何も考えられず、再度火ばさみで彼女をはさんで、もう逃げようもないずっと奥の炎の中に投げこんだ。
なぜ彼女だとわかるのかって? 蜘蛛は腹の下に白い卵を抱いていた。

真っ赤に焼けた薪の石炭のように燃える上で、蜘蛛はもうじっとしていた。その八本の脚の先はじりじりと焼けているにちがいなかった。
私は動けなかった。助けられないのなら、せめて薪を突き崩して一気に殺してしまってやるべきとわかっていて、それでも身体のどの部分も動かせず、私は彼女が卵といっしょに焼けて燃えて消えるのを見ていた。

私はそのときのことを忘れない。恐怖はない。ただ悲しく、そして苦しい。さまざまな犯罪や残虐な行為の話を聞くたび、私は自分が苦しめて殺した、あの母親のことしか思い出さない。何よりも救われないのは、その後もなお、蜘蛛を見れば殺さずにはいられないほど、嫌悪を感じ続けたことだ。それはそのことがあった後も、深まりはしなかったが、薄まりもしなかった。

だが、ここ十年か二十年の間に、長い病が次第に軽くなるように、その嫌悪や恐怖が、どこかで消えて行きつつあるのを感じていた。まるで、車椅子のクララが突然立つように、いつかどこかで何かの力が蓄えられていくのを、半信半疑で気づいていた。
そして今日、殺してしまいはしたものの、自分の肌に触れた蜘蛛に私は戦慄しないですんだ。助けられる手段がわかれば、きっと助けていただろう。もしかしたら、そのサイズの蜘蛛だったら、もう手でつかんで逃してやれそうな気もしている。

家が古びて来たからには、いつもっと巨大な蜘蛛が現れるかもしれない。その時につかんで助けてやるために、昔、学生からもらって、もったいなくて使わずにいたガーデニング用の手袋をおろそうか。それはやっぱり惜しいから、バイクのライダーやプロ野球選手が使っているようなグローブを新しく買って来ようか。いっそ、片っぽだけになっている古手袋を、集めてかごに入れておこうか。少し上等の軍手で妥協しようか。

そんなことを考えながら、私の心にうっすらと広がって行くのは、やはり何かへの深い感謝の思いでしかない。
自分を傷つけもしないもの、嫌悪し恐怖する理由が何一つないものを、自分でもどうしようもなく拒絶するしかない心から、死ぬ前に解放されそうな兆しを与えてもらえたことに。
人は変われるということに。(2019.10.9.)

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カツジ猫