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(99)青いボタン

【鷗外の詩】
「断捨離狂騒曲」の本をさしあげた大学の先輩が、森鷗外の「扣鈕(ぼたん)」という詩を教えてくれた。教科書にも載る有名な詩らしいが私は知らなかった。軍医として従軍した戦場で、昔ベルリンで買ったボタンを落としてしまった。それを惜しみ、戦死した百人千人の兵士たちを悼みつつ、それにも劣らぬ強さでなくしたボタンを嘆くのである。

扣鈕(ぼたん)

南山の  たたかいの日に
袖口の  こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕(ぼたん)惜し

 

べるりんの  都大路の
ぱっさあじゅ 電灯あおき
店にて買いぬ
はたとせまえに

 

えぽれっと  かがやきし友
こがね髪   ゆらぎし少女(おとめ)
はや老いにけん
死にもやしけん

 

はたとせの  身のうきしずみ
よろこびも  かなしびも知る
袖のぼたんよ
かたはとなりぬ

 

ますらおの  玉と砕けし
ももちたり  それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕

【一番古い記憶】
古い荷物の山を片づけていたら、名刺の空き箱に入ったボタンがひとつかみ出て来た。ボタンの類は、まとめて入れているびんがあるので、そっちに移動させようとして、待てよとつい手をとめた。その一群のボタン類は、どれも私の記憶の中で最も古い時期のものばかりだった。母や祖母のどの服についていたかまでは覚えていないが、とにかくさかのぼれる限り一番昔の、目に残っている映像だった。

中でも小さな丸い青いボタンの二つが目にとまった。淡い水色と濃い空色と、どちらだったか、どちらもだったか、まだ小学校にも行かない、庭からひとりで外に出ることもない幼児のころの、これは私のささやかな宝物だった。多分、母か祖母がくれたのだろう。積木や木製のトラックや、ブリキや瀬戸物でできた小さい台所道具など、おもちゃはいくつも持っていたが、このボタンはそれとはちがった大人の世界のもので、私は居間の机の引き出しに入れて、宝石のようにときどきながめて大切にしていた。

【火と水】
そのころ生まれて初めて、火事というものがこの世にあることを知った。まだ絵本も読めていたかどうかわからないし、もちろんテレビなどなかった時代だから、映像や画像としての記憶はない。多分、村のどこかであった火事の話を母がしてくれたのではなかったろうか。そして私は、すべてを焼きつくしてしまう、そういうものがあるということに、生まれて初めての大きな恐怖を感じた。

家のすぐ横には川があり、ときどき氾濫した。家の中に水が入って、二階に避難していて見下ろすと、ろうそくのゆらゆらゆれる灯りの中、濁った水が階段の下から二段目あたりまで押し寄せて来るのを見ていたこともある。だがなぜか、それは全然恐くなく、むしろ夢の中の祭りのように、楽しくさえある思い出だった。水が引いたあとの片づけも大人がいつの間にかしてくれて、家も庭もすぐにまた元通りきれいになった。川の堤が切れそうになる時、豪雨の中を見物に行くと、真っ黒い雨合羽を光らせた人たちが、大勢で声をかけあいながら土嚢を積んでいて、それも勇壮で心躍る光景でしかなかった。
降りしきる雨より川の水かさより、じわじわ上がってくる泥水より、私がいつも感じていたのは、人間たちの力だった。守られていることさえ意識しないほどの、守られている実感だった。水害にまつわる思い出を呼び起こしていると、いつも最後や合間合間に浮かんでくる映像は、陽光に輝く庭の木々の間を、短いスカートをひるがえして、太った小さな足ではねるようにかけまわって笑っている、私自身の姿でしかない。

水害については、いつもそんな風に、めでたしめでたしの感覚しかなかったのに、火事の方にはなぜあんなに脅えたのかわからない。もしかしたら、実際に体験せず、映像としてもよくわからない抽象的なものだったから、かえって恐ろしかったのかしれない。
幼児期の時間の長さは今ではさっぱりわからないが、母からその話を聞いてしばらく、私は夜に川向うの木々や家々が明るくなっていてさえも、火事なのではないかと心配した。母が一度、大人になった私に、自分が火事の話をしたあと、私の姿が見えなくなり、どこに行ったかと思っていたら、近くの道にたばこの吸殻が落ちていたのを思い出して、踏んで消しに行って来たと言って帰ってきたと笑って話したから、家族の目にも私の防災感覚は目につくほどになっていたのだろう。

【多分最初のあきらめ】
幼い私に自分の部屋や机はなかった。持ち物を入れる箱さえなかった。引き出しのすみに入れた青いボタンを、ときどき、机の上に出してながめた。その小さめの四角な書き物机はすっかり古びた今でも、物置きの棚代わりに私のパソコン机の下にある。その薄茶色の天板の上にころんと置かれた青いボタンの色も形もまだしっかりと目に残る。二つあるどっちかはよく覚えていないが、多分濃い色の方だったろう。

火事ですべてが燃えてしまうと思ったとき、家やおもちゃやその他が消えてしまう恐怖は漠然と大きすぎて、結局私はいつも「火事になったら、このボタンもなくなってしまうのだ」と考えていた。これだけ持って逃げようとかそういうことでもなかった。それほどそれだけが大切だったのでもない。ただ、今は自分のまわりにあって快い世界をかたちづくっているすべてのものが、消えて失われるときの象徴のようなものとして、私はいつも、このボタンを見守って、見つめていた。

そして次第に、疲れてあきらめて、うけいれた。こんなに大切にしている、美しいものでも、火事になったら燃えてなくなる。どんなに必死で守ろうとしても、いつかは自分の手の中から、それが失われてしまうこともある。その可能性を完全になくすことは私にはできない。大きくなっても、えらくなっても、人間にはそんなことはできない。私はそれを実感した。まだそれを、はっきりとしたことばにはできなかったけれど。

【無欲と無気力】
私はパワフルでおしゃべりで、わがままな子どもだった。けれど大人にはよく無欲な子どもとほめられた。お菓子や持ち物の大きな方を自然に他の子にやったりすると驚かれた。私は自分がいろんなものに執着するのは自覚しているし、そんなことをした記憶も実はさっぱりないのだが、無意識にそうすることもあったとすれば、それは私が子どものころからいつもどこかで、「持ってたってしかたがない。火事になったらどうせ皆なくなる」と考えていたからだろう。
その後の、これまでの人生でも私はいつも、えげつないほど必死の努力と、どうせ何をしたって最後は無に帰すという気楽さを、いつも二枚の羽のようにばたばた羽ばたかせながら生きて来た。

今のところまだ私は大きな災害にも戦争にもまきこまれず生きている。それなりの努力もしたが、結局は運の良さか神様の気まぐれだろう。そしてこうやって、よくもそんなに物を大切にしますねなどと、この本を読んだいろんな人からあきれたり感心されたりしながらも、私はこうやって自分が作り上げて保存している世界のすべてが、何かのはずみに紙細工のように吹き飛んですべて消えることを、いつもどこかで予感している。そう思いつつそれらのものを毎日大事にしているのは、心の筋トレみたいなものだ。

私にそういう思いを植えつけた小さな青いボタンも結局燃えも消えもせず、こうして私の目の前にある。百人千人の失われた人命に劣らず鷗外が惜しんだ、袖のボタンの残った片方は息子さんがもらって持っていたらしい。模様入りの立派なものだったということだ。それに比べれば、ごくごく普通のボタンだし、私も特に保存を心がけたわけでもない。それでもこうして残っているのが、人間の世の中もなかなか捨てたものではないと、妙な信頼があらためて生まれたりする。

 

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カツジ猫