(102)空白の時代
いろいろ、無我夢中で生きていたせいか、大学時代や院生時代の記憶が本当に薄い。それなりに深くつきあった人たちも多く、今こうやって年金をもらって無事に生きていける基本となった仕事につながる研究の基礎も作ったし、いろいろがんばっていたにはちがいないのだが、生活感が何だか稀薄で、何度も引っ越したのに、住んでいた家さえきちんと全部覚えていない。
大学院のころだったろうか。友人たちに言ったことがある。
「これからの私たちの時期って、ぱっとしないし、つらいよね。小説でも映画でも、高校生とか二十代はじめまでとかが、わりと舞台や題材になりやすい。その次は家庭を持ったり仕事に慣れたりしている三十代にぽんと話が飛んでしまう。実際には人間は、その間もずっと生きてるわけなんだけど、お話では大抵そこんとこは『それから十年』と一気にまとめられてしまう」
私の場合は大学時代からがすでにいくらかそうだったが、まさに長い小説なら「それから十年」とすっ飛ばされそうな時代だった。
余裕がなかったのか下手だったのか、日常生活を楽しむこともまだほとんどできなかった。それがよくわかるのは、そのころ買ったり使ったりした品物がほとんど何も今は残ってないことだ。
その中では珍しく、たしかにその時期のものと知れるのは、肌色に近いピンク色の、ふたが透明な四角いプラスティックのケースである。
これはパン箱だった。ちょうど食パンが一斤入る大きさである。
どこでいつ買ったかも全然覚えていないのだが、パン箱として売られていたのはまちがいない。しかし、それ以後、こんなかたちやデザインのものは見たことがない。
当時は食パン以外のパンはあまりなかった気もする。だからかもしれないが、落語にある、蛇含草を食べた人間が消えて羽織だけが残ったように、これだけ見ても食パンの形が思い浮かぶほど、特化した無駄のなさが変にいさぎよい。
念のためにネットで検索してみたら、パンを入れるものとしては、今ではわりとすぐ思い浮かぶ、白いホーローの大きい箱とかが出て来る。BREADとか紺色や黒で横に書いてある、おしゃれなやつ。
だが、私のパン箱に似たものはない。「レトロ」と加えて検索しても、こんなかたちや色に近いものは見つからない。案外レアな逸品だったりして。
実際にパンを入れて使っていたのも、かすかに覚えているような気がするが、決して長い間ではなかった。幼い時に田舎の家のちゃぶ台で、毎朝切った食パンがのせられていた、花模様の大きい皿の方がよっぽど鮮烈に食パンの記憶と結びついている。
そもそも、学生時代や院生時代の朝食の様子が何一つ思い浮かばない。何を食べていたかも、どこで食べていたかも、誰と食べていたかも、何ひとつ、これと言った映像が出て来ない。我ながら唖然とするほどだ。いったい私はあのころ、この世に存在していたのだろうか。
とにもかくにもパン箱としての役割は、あまり長くは続いていないはずなのに、私はなぜか、このプラスティックの箱を持ち続けていた。就職して大学と大学院時代に暮らした福岡を離れ、熊本、名古屋、また福岡と数年ずつ転居をくり返しながら、ずっと手放さずに持っていた。あるいは一時期、田舎の実家に送ってそこに置いたままの荷物の中にあったかもしれないが、それもまた記憶にない。
いつからか、小さいカードを入れるのにちょうどいい大きさなのに気づいてからは、ときどきカードの保管用に使っていた。このカードは、私が国文学の研究室に入ってすぐ、一念発起して、当時の院生としては大金を出して大量に個人で作ったものだった。先輩の一人が後輩にわけてやってくれと言って来たのを断れず、いくらか譲ったような気がする。それで何だか気分がそがれて、結局あまり使わなかった。ついつい市販のもっと大きめのカードで研究を進めて来た。
ものすごく大量の未使用のままの、この小さめのカードを、どことなく釈然としない思いとともにその後何十年も引っ越しのたびに持ち歩いていた。いつかはけりをつけてやる使いつくしてみせてやると、目にするたびに考えながら、とんでもなく長い月日が流れてしまった。
二十年近くかかっている、実家や親戚の荷物の片づけはまだまだ終わっていないが、それでも何とか念願の、書庫にあふれた書籍や資料の整理に手をつけられる段階までこぎつけたような気がする。各地の図書館で取りまくってファイルしたまま、中身もしっかり見ていない江戸紀行のコピーの山に何度も何度も接近しながら、あれーという感じで他の仕事に引っ張られてまた遠ざかっていたのが、ようやくとうとう、何冊かを机の上に持って来た。
急ぎの仕事は他にもある。その合間の片手間にちょこちょこ進めて無駄にならずに蓄積して成果を出して行くためには、とにかくやみくもに目を通したそばからメモを走り書きして保管してためておくしかない。
そのためにこそ、例の小カードを消費しようと決めた。一冊ごとに取り終わったらカードのメモを短い文章にまとめておく。その後の判読不可なぐらいの走り書きのカードの束は、使うこともあるまいが一応、これまた大量に余っていた小さめの紙袋に入れて、壁のフックに獲物のようにかけて保管しておくことにした。
クローゼットにたくさんの帽子をかけていたのを全部はずして衣装かんに移し、フックを空けた。他にもいくつかの店で、おしゃれなフックを買って壁や長押につけて、受け入れ準備は整ったのだが、机の上で取ったカードを当面、他の仕事と混じらないために、入れておく箱がいる。ちょうど何も入れるものがないままに仏間の棚にのせていた、くだんのピンクのパン箱を私はそれに使おうと持って来た。
膨大すぎるカードとファイルを使いつくすのだから、どうやらこの大事業は、このパン箱の最後の仕事になるはずだ。もうパンを入れることもあるまいという決意をこめて、側面にいくつかのシールや破れて使えなくなった切手を貼って飾った。
予想はしていたが、他の仕事に食い込まれてカード取りはなかなか一気に進まない。昔、学生や院生だったころ、音速や光速もかくやという勢いで一気に仕事が完成したのを思うとそれこそ泥の中を進むような遅さだ。
しかたがない。あのころは人の心も自分の楽しみもすべて無視して、ただ仕事だけに集中していた。小さい楽しみも大きい楽しみも、食べることも着ることも眼中になかった。だからこそ前に進めたし、それなりの成果もあげられたのだ。何一つ思い出も記憶も残さないほどの空白の中を、何にも邪魔されず突っ走れたのだ。
あらためてそれに気づき、その荒涼とし索漠とした、しかし何かがぎっしりつまって、今の私を支えて守ってくれている、若い数年間に感謝と尊敬の念を抱く。目をこらしても顔の見えない恩人に一礼するように。
そして、もう一度、そんな日々のほとんど唯一の思い出のピンクのパン箱をながめる。プラスティックは安っぽく、何のてらいも味わいもない実用一点張りのこの箱になぜか私がひきつけられ、度重なる廃棄や処分の中でも残しておいた理由は、このあまりにも平然とした、必要なこと以外には徹底的に無関心で無欲な様子ではなかったろうか。それは、あの時代をよく象徴していたのかもしれない。
残り少ない人生で、こんな途方もなく大量の仕事が終わらせられるかははなはだ怪しい。しかし、このパン箱と併走して私はその最後のレースに臨みたい。(2019.10.11.)