(103)白い火鉢
田舎の家の物置から、古い火鉢を持ってきた。
この物置はもう人に買っていただいた住宅と土地に属していて、持ち主が当分書庫として使っていいと言ってくれたので、本や資料の当面使わないものをおいていた。
ふとしたことで、その一部分のかなりの量が失われた。私の晩年の研究計画が根本的に壊滅した。
それがわかった時から、自分が何をして何をしゃべったのか、ほとんど記憶がない。
気がつくと、本や資料の入っていた空き箱と、物置のすみにあった古い火鉢を抱えて車に乗っていた。帰りの道も、どこをどう走ったのか、まったく覚えていない。
次の日に見ると、火鉢は今の住まいの廊下にある棚のそばにあった。
私がそこに置いたのだろうが、思い出せなかった。
びっくりしたのは、その火鉢が、まるで昔からあったように、その場所にしっくりはまって、言いようもないほどの安らぎを私に与えたことだった。
単純なかたちの、白一色。そのままにして物置に置いていたら、その内に誰かにきっと、これも捨てられてしまったろう。
生きているか死んでいるのかさえもわからない、呆然とした数日の中、この火鉢の形と色は私の心を奇妙なほどに、満たし、落ち着かせた。
他人の目には、これも何の意味もないごみに見えるのだろう。
だが、そんなことはどうでもよかった。
そこを通りかかって、その白い丸い、卵のようなかたちを目にするだけで、私は救われ、よみがえった。生きて行く、とまでは言えないまでも、なかば無意識にでも身体を動かす力が、どこかから、ひとりでに生まれた。
幼い私がいた田舎の家には、いくつかの火鉢があった。
エアコンもない昔、冬には家族がそれで暖を取っていた。
藍色と薄緑の細かい斑点が入り混じり、ゆるやかな六角形をした火鉢も覚えている。その縁に手をかけた時の、なめらかな感触も、ありありと。
それはもう、人にあげたのか、今はない。他にも、大きな自然木をくりぬいた、多分骨董屋が持っていった巨大な火鉢や、かなりあとになって家に来た、練炭用の青灰色の大きな花弁のような火鉢もあった。
どの火鉢も手をかけた時の、優しいほのかな暖かさは同じだった。
この白い火鉢は、たしか同じものが二つあった。
小ぶりで運びやすいので、家のあちこちで使われていた。祖父がいろりのそばで手をあぶっていたり、客が多いときは、端のほうに置かれて末席の客を暖めていた。
祖母は、庭で作った藁灰を時々補充した。荒々しい若々しい真っ黒い藁の形を残した灰は、中心の真っ赤な炭と挑み合うように、かさかさ音を立てた。時間が経つにつれて、いつかそれは砕けて柔らかくなり、最後には粉のように細かい白っぽい灰になるのだった。
オレンジがかったサーモンのような炭を、祖母はしばしば火箸で崩して、火勢を保った。祖父や客たちは、その炭でタバコに火をつけて、ぷかぷかふかしていた。
いつの間にか、ひとつだけになった、その火鉢を、私は母のために建てた家の玄関で、傘立てに使っていた。
小さい火鉢なので、傘は四方に広がりがちで、あまり見た目はよくなかったが。
その家も人に買ってもらって、火鉢はいずれは自分の家に持って来ようと思いつつ、もう少し片づけてからと私はそれを物置に残していた。
幼い私をとりまいていた、家族の一部のように。自分自身の一部のように。
研究者としての未来が崩壊したとき、残った資料の確認もせずに、この火鉢だけをつかんで戻って来た私の気持ちは自分でもわからない。
だが、なつかしいだけではなく、不思議なほどの力強さで、今この火鉢は私を支える。何気なく存在し、ずっと前からそこにあったような、ゆらがない形と色で。
私が立ち直ることは、多分ない。
それでも、この火鉢を通りすがりに見るだけで、今日もまた、生きては行ける。(2020.3.2.)