(12)鬼とおたふく
(鬼・おたふく・湯布院)
玄関にいた鬼
田舎の家の玄関に、大きな鬼の面がかかっていた。
小さい時から見慣れているので、恐いと思ったことはない。
広い土間の片側には大きな下駄箱があり、反対側には丸い木の傘立てがあった。
下駄箱の上には、茶色の陶器の和風の船があり水がはられていて、その中に、黒っぽい木のようなものが置かれていた。
広く長い式台で、私は毎日靴をはき、行ってきますとあいさつして、小学校から高校まで、その玄関からかけ出して行き、また夕方にはただいまと言いながら帰ってきた。おそらく家の中で毎日一番、通っていた場所だろう。遊びに来た友だちを、ここで出迎え、見送った。
それだけ何百回何千回となく出入りしていた場所なのに、とりわけて、つらい思い出もうれしい思い出もないのが、逆に貴重に思える。ここで誰かと争ったことも、別れを惜しんだことも、絶望したことも、狂喜したこともない。感情に汚されることのなかった、涼しい川岸か港のような玄関を、平和に通り過ぎ続けて大人になり年老いたことは、思えばとても幸福なことだったのだろう。
その清澄な、ゆらがない空気の中に、鬼はとがった長い角をのばし、恐ろし気な目を見開き、大きく裂けた口の中から金色の歯をのぞかせていた。
意外と新参者?
この鬼は、家の一部のようだった。どこから来たのか、いつからあるのか、由来を聞いたこともなかった。ずっと後になって、それはもう、家を手放す数年前だったかもしれないが、母がふと話したのでは、誰か昔うちにいた若い親戚か書生のような人が、どこかで買ってきたのだということだった。どんな予想をしていたわけでもないけれど、私はそんなわりと他人が軽いいきさつで買ってきたものだったことに何となく驚いた。もっと由緒あるものか、少なくとも祖父がどこかで買ってきたもののように漠然と考えていたのだ。
わが家には、人の出入りが多かった。私が生まれる前には、親戚の若い人たちや子どもたちも、よく滞在していたようで、母はその中の元気でかわいい二人の少年が、長崎の原爆で亡くなったことを忘れられず、「また来(く)っけんねー、と汽車の窓から手をふって大きな声で叫びながら帰って行ったのが、今でも目に残っている」と何度か言った。
鬼を買ってきたのも、そうやって滞在していた一人だったのだろう。そして、そんな家族ではない他人が買ってきた鬼の面を、玄関の一等席に飾ってずっとわが家の象徴のようにしてしまっていた、祖父母や私の一家のことを、何となく私は誇りに思う。特に大切にするでもなく、それについて語るでもなく、無視するといえば無視して、でも、当然のように、誰が見てもわが家の代表のように、そこに存在させていた人たちの、絶妙なこだわりのなさが何だかわくわくするほど、うれしい。
多分誰も、この鬼を殊更に見上げたことなどなかったのではないか。私もそうだった。それでもいつも玄関にこの鬼がいることは、わかっていたし、知っていた。
魂を抜くように
古い家を売ることになって、中の物を片づけるとき、かなり最後まで私はこの鬼を、そのままにしていた。これをはずすのは、この家から魂を抜くようなものだと感じていたのかもしれないが、それよりいったい、今の私の小さい新しい家のどこに、この大きな鬼の面を飾ればいいのか当惑していた。玄関は狭いし、その正面の小さい壁には、叔母と叔父のお供でニュージーランドに行ったときに買った、マオリのお面がかかっている。
あれこれ迷ったが、結局、玄関から入った正面の壁しかないと考えた。この横には、これまた私が出来心としかいいようのない成り行きで買った、小さな略式の神棚というかお札入れがかかっていて、かまどの神様と家の神様のお札が入っている。しかしまあ、鬼なら、お神楽というものもあるし、そばに居たっておたがいに、そういやでもないだろうと、勝手な神学的解釈をして、そこの壁の横木に釘を打ってつるした。ちなみに、鬼の面のついた板の穴に通されていた針金は雑にからめて結んであったが、しっかり丈夫で、そのまま使えた。
心配しながらかけて見たら、これまたどうせ私だけの感覚かもしれないが、別に違和感も何もなく、鬼はその場に溶けこんだ。もっとも、従姉の次女にあたる若い女性(私をおば様、と呼んでくれる、うれしい存在だ)は、従姉と一度訪れたとき、これを見て「何だか恐い」と、そりゃそうだろうと思われる大変まともな感想をもらした。従姉の方は私と同様、田舎の家の一部として見慣れてしまっていたらしく、「何でー?」と不思議そうにしていた。
若いお多福
鬼の下にくっついている、やや小さめのお多福は、鬼とちがって歴史が浅い。「ワンス・アポン・ア・タイム」のルンペルさんとベルなみに、彼女の方がずっと若い。
これは、前にも書いた、湯布院の山の上のギャラリーが、ある年の正月「おめでたいもの」展と称して、いろんな正月にまつわるものを売っていたとき、私が買った。木で出来ていて、お多福らしい陽気でのんきな顔をしているが、どことなく現代的でもある。
私はこれを、田舎の古い家と並べて建てた、新しい家のきれいな玄関の壁にかけた。正面でなく、古い家の鬼と同じ入って左側の上方にかけたのは、何となく意識したからだったろうか。古い家では鬼がにらみ、新しい家ではお多福が笑いかける、この組み合わせに何となく私は満足していた。
新しい家の方は、まだ売っていなくて私のものだが、市が借り上げて、田舎暮らしを体験したい人の貸し出し用にしてくれている。家具も調度品もそのままでかまわないのだが、いずれは引きあげなくてはならないからと、私は家といっしょに新しい持ち主に残すもの以外は、皆運び出すことにした。玄関のお多福も、こうして、鬼に遅れること数年で、町の私の家に来た。
彼女の居場所が、これまたなかった。悩んだあげくに思いきって私は鬼を見上げる位置に、こうやってくっつけて見た。別に男尊女卑ではなく、鬼を見上げてどことなく、おちょくっているような、このバランスがいいような気がしたのだ。
何を話しているのやら
何となく、両者は満足しているように見える。それぞれが守った田舎の私の二軒の家の情報交換を夜な夜なしているようにも見える。長い年月に見聞きしたたくさんの人やことがらを、鬼が話して聞かせるのを、お多福はオセロの話に耳をかたむけるデズデモーナよろしく、聞きほれているのかもしれない。
私が死ぬか年老いて、この家が人手に渡るときは、彼らもまた別れ別れになるのかもしれない。まあせめて、それまでは、こうやって、ここで仲よくしていてほしい。(2017.6.17.)