1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 断捨離狂騒曲
  4. (14)蔦のある家

(14)蔦のある家

私がいつも暮らしている、小さい家の方(もう少し大きい古い家が隣にある)に次第に荷物が多くなってきた。
自分で動かせるものはいいのだが(まあ、その気になれば何でも動かせないことはないが)、叔母の使っていた大きなセミダブルベッドを家の中心にすえつける時は、風の通る場所その他をいろいろ計算し、メジャーで何度も確認して位置を決めた。おかげで今も転がって寝ていると、洗面所の窓からそよそよ風がベッドの上を横切って行くのを満喫できる。

他の家具もいろいろと計算づくではめこんでいるのだが、そろそろ限界に近く、とりわけ廊下に出る時の通路の一つである椅子の後ろが、かなり窮屈になってきた(私が太ったからではない、念のため)。何とかせねばと思っていたが、ふと発想の転換で、廊下との境のガラス戸を椅子の後ろにずらしたら、柱の横からかなり自由に廊下に出られることに気づいた。

やったーと快哉を叫んだが、ただそうなると、ガラス戸が中途半端な位置になるので、少し見苦しい。いや、いろいろと充分見苦しいところはいろいろある部屋なので、これはただ単にもうまったく、こっちの気分の問題なのだが。
そこで思いついたのは「ここ、一応通路ですよー」と控えめに主張するために、何かつるすか張るかしたいということだった。
古い方の家には、田舎の家から運んできた荷物の箱が満載だ。その中には、わけのわからん雑貨も山ほどあって、母が使っていたり私が衝動買いしたままだったりの、悪趣味な古いボロな小さい暖簾とかカフェカーテンとか始末に困るものが、どうせいくつもあるのはわかっている。しかし、見つけようとして探したら、こういうものはなぜかもう絶対に死んでも見つからないことは、これまた経験上何となく予測はつく。

しょうがないから、急ぐことでもなし、中途半端に開けたままのガラス戸の敷居を見上げて数日を過ごした。ある日、ときどき行く花屋さんで、棚にレイアウトしてある、アートフラワーの材料らしい、黒っぽい布製の小さい短い蔦のような造花を見つけた。500円程度だし、ものはためしと、買って帰って張りつけてみたら、まあ何となく、悪くもなかった。

ところが、これもまた、物事というものはそういうもので、江戸時代の大名の家とかで養子をもらったとたんに実子が生まれてお家騒動のもとになる、とかよくありすぎる話だが、それから更に数日してまた立ち寄った別の店で、いったい何に使うのかよくわからない、色とりどりの房がいくつもついた、奇怪な紐のようなものがあって、その用途不明のわからなさ加減が実に私の今回の目的にぴったりだった。しかもこれまた、そんなに高くもなかった。
私はもちろん、それを買って、問題の場所に張りつけた。それで一件落着したのだが、問題は外した蔦の造花である。
びんにさして、どこかに飾っていても、それなりにお洒落なのだが、そこでまたふと思いついて、私は洗面所の鏡のふちに、それをくっつけてみた。

そう言えば、この小さい家の中には、全身を映す鏡がない。
昔、私が育った、田舎の家は途方もなく広くて間数も多かったが、考えてみると、そこにもそんなものはなかった。大きな鏡が欠かせないものになったのは、やはり西欧文化の影響なのだろう。私も家族も、鏡台や洗面所の柱の長ぼそい鏡で、自分を見ることしかなかった。そのせいかどうか、私は成人したころにも、自分の顔をよく知らなくて、多分町で自分とうり二つの人が前から歩いてきたとしても、全然気づかなかったのではないかと思う。
その伝統があったからか、私は家の中に鏡がなくても気にならず、洗面所の鏡で半身チェックをするだけで出かけていた。

その洗面所の鏡というのが、そもそも田舎の家にあった古い鏡台が、こわれかけてどこかのすみにあったのを、鏡だけはずしてもらって、大工さんにつけてもらった代物である。その鏡台は、それこそ私がものごころつくころからずっと部屋の隅の定まった位置にあって、祖母や母が、その前で身じまいをしていた。かかっていた紅色と黄色のしぼりが入った布の色までよく覚えている。
いつの間にか、一度鏡台は新しいのに代わって、それは前より少しだけ大きく、木の色も以前の濃い茶色より飴色がかっていたのだが、こちらは多分どの段階かで私は処分した気がする。残すなら初代の古い方を代表として優遇すべきだとの意識が、どこかにあったかもしれない。

新しい今の家の洗面所には、だから洗面台は下半分しかない。実はこれだと壁紙が汚れそうで、少し気をつかうのだが、それでも、正面に張りつけた、昔の鏡台の鏡に私は祖母や母も住んでいるようで、ひそかに楽しんでいた。「鏡の国のアリス」ではないが、そこに映っている洗面所のドアの向こうに行けば、昔と同じ田舎の私の家があって、祖父母や母や近所の人が昔ながらの生活を営んでいるのかもしれないという幻想を、ちらと抱いたりすることもあった。

とはいえ、洗面所の壁にはやはり湿気が心配で、絵なども飾れないために、そのあたりの壁は私にしては何となく殺風景だったから、ほとんど面白半分に適当に画びょうでその造花を鏡のふちに張りつけてみた。
やりながら気がついたが、どうも私はこれだけあれこれこだわるわりに、家づくりや着る服に、全力投球して力を入れるのを、どこかで照れるし、恥じている。徹底的にとことんこだわるのは、専門の研究や創作だけで、他のことについては基本的には何がどうでも気にしないように生きるべきだという戒めが、いつも心のどこかにある。人間的にきちんとしていなくてはいけない、優しさやいたわりを忘れず、礼儀を守って、とかいうのもあるが、私の場合それは、一応、学問や創作における全力投球、完璧な手抜きのなさと良心があれば、許される可能性もあることになっている。

昔の政治家は、立派な政治に邁進したあまり財産もなくし、最後まで売れない井戸と塀しか残さなかったから「井戸塀」ということばがある。ドイツの皇帝ルードヴィヒは、政治や恋愛が満たされなかったかして、美しい城をあちこちにやたらと作るのに没頭して狂王とも呼ばれた。そういう記憶が今も私の中にはおぼろに残って、家や服に難しいことを言ったり感じたりするのは「下品」だという感覚がある。あくまでも、できれば、あわよくば、願ったとおりになればもうけもの、という精神を保っていようとしてしまう。

ついでに言うなら食事もそうだ。衣食住へのこだわりは、あまり大っぴらに追求できない幼稚なことという価値観が、私の中のどこかにはある。だから、一分のすきもないお洒落というのは逃げるし避けるし、家具や調度や家づくりも、けっこう気にしているくせに、いつも「あーそう、どうでもいいのよーそんなこと私は別に」のような態度や姿勢を外部に対しても自分の内部でも守ろうとする。化粧や健康に関する話題も、どこかはしたないという感じがしてしまう。
こういう、天下国家や人間性を人生において優先し、日常生活の快適さや外観の美に無関心という精神が一つまちがえば、晩年の母のようなゴミ屋敷になるのだろう。ものが余った現代では、貧しさや禁欲の行きつくところは、奇妙なようだが、決して「井戸塀」ではなく「ゴミ屋敷」なのだ。貧困家庭の映像をテレビや映画で見るとき、そこにはむしろ、ものがあふれていることが多い。

古い鏡のふちに私が適当に画びょうではりつけた茶色の蔦の造花は、センスの点ではなかなかきわどい出来だった。しかし、ここまで来ればと思って私は最初の店で、同じ造花が更に二つ残っていたのを買い占めて、鏡のもう一方の角と、隣りの棚の角にもつけてみた。実は鏡の四方につけようかと思ったのだが、それはやり過ぎのような気がしたのである。
だんだん目が慣れてきたのか気にならなくなったし、鏡も案外気に入っているかもしれないので、しばらくはこのままにしておくことにした。

そういう気になった理由のひとつは、その鏡も見えるベッドにひっくりかえって、天井を見ていたら、やや縦長のこの小さい家に、三つ並んでついている丸い天井のライトのふちが、その造花と似ていなくもない、茶色の細い鉄製の飾り枠になっていたからだ。
この家を建ててくれたのは、田舎の母の隠居用の住宅を建てた大工さんで、昔ながらのどっしりがっちりとした、けれん味皆無の重厚な家を作る、技術も多分宮大工なみに抜群の人だった。左官電気屋水道屋はもとより、カーテン屋から建具屋まで、すべて一族郎党のような仕事仲間を支配する、まさに棟梁で、無口で恐いと皆があがめていたようだが、どうしてか私のいろんな注文には、「羊のように従順なのよお」と私が陰で友人たちに不思議がっていたぐらい、大概のことは聞いてくれて、完璧にそのまま実現してくれた。
その人の方が私のことをどう思っていたかは知らなかったが、一度、浴室やキッチンの設備を選ぶ展示場に私を連れて行ってくれたとき、業者の人に私を紹介するのに、「あきらめのいい人だ」と何だか誇らしげに言ってくれて、私はびっくりした。

そう言えば、叔父や私が、それはだめなんだったら、といくら説明しても、そうねそうねと納得して数分も立たない内に、また「あれはこうしたら」と、同じことを言い出す叔母に、優しい叔父は慣れていたようだが私はつくづく腹を立て、何ちゅう「夏への扉」の猫のピートか形状記憶合金仕様の脳みそかと、毎回内心ぶちきれていたものだ。
私は前に書いたように、住まいにこだわることに後ろめたさがあったため、少々のことがあって、自分のイメージとちがっても、しょせん家なんて作った大工さんとの合作だという気分もあって、そのずれや食い違いをどのように使いこなして行こうかというのも、やりがいで楽しみだった。だから、自分でも気づかなかったのだが、大工さんから説明されると、すぐに「あ、そう、じゃそれで」とイメージを修正して、二度と前のことは思い出さなかった。それが大工さんには「あきらめのいい人」というほめ言葉になったのだろう。
くらいついたら離れない、死ぬまで何でも忘れない、ヘビもどこからかわからないがしっぽをまいて逃げ出すだろうしつこさが身上と自分で思っていた私としては、この「あきらめのいい人」という評価は、ものすごく貴重な勲章である。

カーテン屋さんと壁紙やカーテンはそれなりに打ち合わせをして決めたのだが、どうしてか電気屋さんだけは、私に何の了承もなく、すべての照明をとっとと自分でつけてしまった。家じゅうの配線や山ほどのコンセントの注文に「たいがい、やけになっとった」と大工さんが後で言っていたぐらいなので、そっちで精魂使い果たしたのかもしれない。
あるいはまた自分のセンスにこれでもかと、秘めたる自信があったのかもしれない。
実はこの電気屋さんはグループの中では新顔で、以前に母の家を田舎に建ててもらった時の電気屋さんは高齢で引退した代わりに加わったのである。その、前の電気屋さんとは母の家の照明は、ちゃんと相談して私が選んだ。もちろん、だから不満は何もないのだが、今回のこの新しい電気屋さんが勝手に設置した照明は、玄関のも部屋の中のも、はるかに華やかでスマートで、しかもそんなに悪目立ちもせず、私はものすごく気に入ったのである。例によって、そういうことを口に出すのが恥ずかしい私は、ほめたり感謝したりさえしなかったのだが。

ただ、気に入っているだけに、キッチン側の一つに少し虫の死骸が入りはじめているのを見て、これをはずして洗うのは私一人でできるかしらと時々気にはなっていた。大きな家を建てなれた大工さんだからか、天井はこの家のサイズにしてはけっこう高いような気もする。
ところが、その、洗面所の造花と似ているなと思って枠を見上げていて、それがかしいでいるのに気がついた。どうやらはずれかけているらしい。これはいよいよかなと、テーブルの上に椅子をのせて、手を伸ばしてライトの笠をはずしてみたら、案外軽くてあっさりとれた。ジムで鍛えている成果か、足腰もまだ今のところ、よろついたりはしなかった。

虫の死骸をきれいに拭いて、ふたたび笠をしっかりはめた。他の二つには虫は入っていないので、もともとこれだけが、少しずれていたのかもしれない。
造花のおかげで早めに気がつき、笠の掃除の方法もわかり、これもやっぱり何かの縁かと、何となくセットのような茶色の葉っぱをまきつけた古い鏡と新しいライトは、めでたく共存することになった。

くだんの棟梁は私と同じくらいの年なのに、去年あたりからもう仕事をやめてしまった。あれだけの腕を持っているのにと思うが、やめる時までいさぎよい。あきらめのいい人というのは、自分のことでもあったのかもしれない。
「一番油がのっている時に、この家を建ててもらって、記念になってよかったねえ」と母が言っていた田舎の家もそろそろ築十年、私の今の小さい家も築五年になろうとしている。余裕で百年はもつ家らしいのだけれど、もちろん私はそれを見届けられない。(2017.6.19.)

 

Twitter Facebook
カツジ猫