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(17)謎の月象

おや?と思ったのは、その金属の箸立てを壁にかけた時である。
私は田舎の家から運びこんで来た荷物の山を、自分の家のあちこちにつめこもうと悪戦苦闘していた。
どう考えても今いる家の五倍か下手したら十倍はある広さの田舎の家から、なかなか処分できなくて最後はもう、がらくたも何もかもとりあえずダンボールや紙袋に詰めこんで来た荷物の山を、もともとものの多い今の家に、どうやって納めるのか、冷静に考えたら正気の沙汰ではないことを、とにかくどうしてもだめとはっきりする時点までは前進してみよう、座して手をつかねているのが一番よくないと、学生に卒業論文の指導をする時のアドヴァイスのようなことを考えながら、誰もせかさないのをいいことに、けっこうだらだら奮闘していた。

田舎の家は古いのと新しいのと二軒が並んでおり、古い方はもう友人が買ってくれていた。新しい方も市が借り上げて、空いている時は私も使えるという、ありがたい条件で、田舎暮らし体験を希望する人への短期の貸家にしてくれていた。
両方の家から運んだ荷物の山は、開けてみないと、どっちの家のものなのか、わからないものも多かった。その時私が行きあたったのは、古い方の家の台所の荷物で、ここは一番処分していいがらくたの多い「地域」だった。母がためこんでいた割りばしの山とか、使い道のわからない謎の金属部品とか。
その中に、見るからに古い金属製の箸立てがあった。私はまるで家事を手伝わない子どもで、台所にはあまりなじみがなかったのだが、一方の壁に、下半分は黒塗りの引き戸で、上半分は網戸になっていた広い棚があったのはよく覚えていた。子どものころには、上半分の網戸の部分には背が届かなくてのぞきこめなかったぐらい昔から、その前の土間で遊んでいた。

網戸がのぞける小学生ぐらいからは、その中が食器棚になっていて、普段に使う茶わんや汁椀が重ねられており、やかんや杓子が横木にかかっていたのも、風景の一部のようにずっと目にしていた。この箸立ても、杓子と並んでそこの横木にかかっていた。後ろは壁ではない空間だったから、箸立てはいつも少し前のめりにかしいでいた。しゃもじや長い菜箸がむぞうさに、ごちゃごちゃと突っこまれていたと思う。別の大きな、多分竹製の箸立てもおいてあって、それにはもっとたくさんの箸が入っていたような気がする。つまりこの金属製の箸立ては何となく、正式のものではない、二番手の、適当なもので、子ども心に軽んじてながめていた記憶がある。

そのくらいだから、さっさと捨ててもよかったのだが、何となく、まだそこにささったままの割りばしなども一緒に私はこれを荷物に突っこんで持って来ていた。そもそもその古い台所は何度かのリフォームをくりかえして、大きな網戸の棚もとっくにとりこわされて、なくなっていた。何度かの改修のたびに捨てられたものも多い。この箸立ては多分最初の段階で、どこかに突っこまれてしまっていたため、かえって最後まで残されていたのだろう。

今さら捨てるのもねえと思いながら、しかしいずれは処分しようと、まったく当座、当面といった感じで、私はその箸立てを台所の壁の余ったフックにひっかけた。
おや、と思ったのはその時である。何となく、それなりに、そこにおさまって、悪くなかった。みすぼらしい感じも汚れた感じもなく、古ぼけた金属なのに、平然と落ちついて見えた。
同じ箱の中に散乱していた割りばしや塗り箸を、これもいずれは捨てようと思いつつ、当面そのへんのコップやびんに束ねてさし、その金属の箸立てにも入れてみた。
これまた、そんなに悪くなかった。
私は首をかしげて、ちょっとそれをながめていたが、まあこれはしばらくこのままにしていてもいいかと思った。昔買った西洋アンティークのさびついたコランダーも、いくつか壁にかかっているし、それと同じ雰囲気であまり違和感もないしという判断だった。

それからまた、片づけにはげんでいる内、どうにもこうにも際限がなく、あちこちから出てくる割りばしの多さに私はしんからうんざりした。さっさと捨ててしまうのが一番簡単だし正しいのだが、箸袋のさまざまをちらちら目にするにつけても、母が、ひょっとしたら何十年も前に亡くなった祖母までもが、とっておいたものかもしれないと思うと、捨てるにしても一度は使ってやれないかとか、何か活用する方法はないかとか、絶対考えてはいけないことを次第に考え始めていた。
風呂を薪で焚いていたころなら、こんなにいい焚きつけもないんだがなあとか、ありふれたことしか思いつけず、いらいらしている内にふと、ある解決法がひらめいた。

去年の暮れに母が亡くなった。
そういう運命なのか知らないが、田舎と同様、今の私が住む家も実は新旧二つある。叔母が遺した小さい黒檀のやたら上等の仏壇を私は使っているのだが、それは古い方の少し大きい(といってもまあ普通の)家の方にある。その部屋に祖父母や叔父叔母の写真を集めて、私は仏間がわりにしている。
一方、母の位牌は何となく、下の小さい新しい家においていた。クローゼットにしようと作ったが、こたつを置いてパニックルームのような小部屋にしている場所に、写真と並べて、水とご飯を供えていた。いずれ古い家の仏間に移動させようと思いながら、一周忌まではここでいいかと考えたりしていた。

ご飯をたいて小さい器に盛りつけるとき、自分の食事用のお箸を使うと、いつもまた洗ったりしなくてはならず、微妙に面倒くさかった。専用のお箸を使うのもこれまた面倒だしと思っていて、ふと、あの山のような割りばしを使って一回ごとに捨てていったらいいのではないかと思いついた。それは割りばし本来の役割にもかなうし、仏さまに供える食事に使われるなら、下手すりゃ数十年保存されていた割りばしたちも心おきなく成仏できそうなものではないか。

よしよし、と気をよくした私は、割りばしをひとつかみとって、新しい家の台所に持って行ったが、それをどこに置いておこうかと思ったとき、今まで小さい花瓶をかけて造花を入れていた、神棚の下の腰壁の部分に、あの金属の箸立てをかけてはどうかと考えた。新しい家の新しい壁だが、だからこそ、あの変に風格のある古ぼけた箸立てはカッコいいのではないかという気がした。
花瓶と花を古い家の仏間に移し、代わりに、箸立てをつけて見た。はたして周囲の雰囲気に、それは少しもひけをとらず、同じように古びた割りばしの束ともども、妙に堂々と、そこに落ちついたのだった。

それにしても、この風格は何だろう。少し白っぽくなっているが錆びてもいないまま、鈍くきちんと光っている表面も、ただものではない。
ひっくり返して商標がないか調べてみた。ありふれた台所道具だから、むろん何もなかったが、紙か薄い金属か何かのレッテルがそのまま前部のふちにそっくり残っていて、拡大鏡でのぞいたら、書いてある文字も模様も何とか読めた。「月象」という名前で、三日月と鼻を伸ばした象のマークが入っていた。

ひょっとしてどこのメーカーか当時の記録でわかるかもしれないと、インターネットで検索したが、何ひとつひっかからない。そんなに昔のことでもないのに、と思いながらさがしていたら、ただ一つ、昭和レトロの魔法瓶として、
会津の山内屋商店と言うお店が「月象」マークの品物を売り出していた。説明文には次のようにあった。

「昭和レトロな水筒です。
象のマークがあり、象印のマークに似ていますがことなるようです。
月象との記載があり、タグには、昭和39年の文字が記載さていることから、そのあたりの商品だと思われます。
検索でもほぼ情報がない珍しい商品です。
昭和の商品で多少汚れ・傷がございます。
売り切れ次第終了となります。
外箱などはございません。
詳細:
サイズ:直径 約 9.5cm × 高さ 約28.5cm
重さ:約 420g
容量:0.6L
製造:茶谷金属工業所
当時価格:800円
説明書き:保温力に優れた・・・絶対に割れない・・・軽くて・・・美しい・・・」

そして画像を見たら、まごうかたなく、あの月象のマークの札が下がっていた。
私はよく、フィギュアのマニアの人などが、使う気もなく開けてもみない貴重なレアな商品を購入して保存しておくのを、気持ちはわからないでもないが、自分はまずしないだろうと確信していた。この水筒の場合、ついている紙のレッテルが肝要なのだから、はずして使うということはあり得ない。文字通り、レアな骨董品としてまるごとそのまま保存しておく他ないのである。
そこまでバカかおまえは、と私は自分に問いかけた。まさにものを減らして片づける戦いのさなかに、しかも特に思い出があるわけでもなく、処分する第一候補だったような品物と、同じマークのレッテルがくっついているだけの使わない魔法瓶を買うなんて。しかも私は「三丁目の夕日」が嫌いで、昭和レトロなんてまったくどうでもいい人間なのに。

しかし、専門のお店が「検索でも情報がない」と書いている、謎の商標の絶滅危惧種っぽさと言い、何よりも壁にかけた時のたたずまいだけで私の注目をひき、自分を守ったのみか割りばしたちの生きがいも守った、あの金属の箸立てのあっぱれさと言い、私は二匹の「月象」を私の台所で邂逅させるという誘惑に結局勝てなかった。
というわけで、この魔法瓶は現在私の手元にある。
写真をとってすぐ、布にくるんでしまいこんでしまったが、まだ新しいレッテルの月象は、色鮮やかで、まぶしい。

この魔法瓶が売られたのが昭和三十八年なら、二十一年生まれの私が十代の終わりのころまでは、この会社もマークも健在だったことになる。箸立ての方は多分もっと古くからわが家の台所にあったのだろうが、今となってはわからない。
江戸文学の研究などしていると、その後ネットでいくつか見つけた、少しちがうデザインの月象マークや、茶谷金属工業という会社の由来など、どんどん詳しく調べてみたくてしかたなくなるが、いくら何でもそこまでの酔狂をする時間は老い先短い私にはもう残されてはいない。(2017.6.24.)

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カツジ猫