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(21)魔法陣作戦

自分を元気づけて前進させるために時々確認するんだけど、私って相当すごいことやってる、このトシで。
十数年前、叔母が亡くなり、その遺産を親族に相続する手続きをしたあと、叔母のマンションにあった膨大な品物を、何とか人にあげたり自分の田舎の家に運んだりして片づけ、その後ひきつづき田舎の家のリフォームと売却、祖父母の代からの荷物を処分し、今の自分の家に運んだ。
叔母のマンションも、田舎の家も、ものすごく広かった。そこの荷物すべてを、放出できるものはした後で、普通の大きさの自分の今の家につめこんだ。足の踏み場もなくなって、身動きできなくなるのは当然だ。

叔母のマンションでも、田舎の家でも、それぞれタイプはちがっても、このような状況は前に何度かあった。家の中をどこまで行っても、ごみと荷物の山また山。手のつけようもなく、見ているだけで心が折れる。
普通だったら業者を呼ぶ。そして一気にすべてを捨てる。そうした方が賢かったのかもしれないが、私はそれを最低にとどめて、小さい物も大きい物も、自分で何とかしようとして来た。

今も、二軒使って暮らしている内の古い方の家は、こんな状態。
ちなみに、私の片づけのモットーの一つは、どんな大混乱でごちゃごちゃの状態でも、その過程そのものが、それなりに美しく見えるようにする、っていうのがあるんだけど、まあこの状態は、それとはほど遠いよね。
それでも、ここまで一つの家に荷物をつめこめるまでになったし、もしかしたらトンネルの先は見えたかもしれないという気持ちはかすかにある。まあ他人には誰もそうは見えないだろうが(笑)。
これだけ大規模で長期にわたる断捨離だか何だかは、そうそうめったにないだろう。その間、母の介護をし、叔母の法事をし、田舎の古い土地その他の不動産の複雑怪奇な名義変更をし、一応は論文を書き、授業をし、「むなかた九条の会」などでアベ政権と対決し、猫をみとり、猫を育て、自分の日々老い行く肉体と精神を維持して来た。やるじゃん、と、たまにはほめてやらないと、やっぱり仕事にはずみがつかない。

誰に習ったわけでもないが、田舎の家や今の家で、もうどうしようもない混乱のなかで、私がいつもやって来たのは、とにかくどこか一隅でも一角でも、憩える空間を作って快適にし、そこで酸素吸入カプセルに入ったようにぱくぱくあえいでリフレッシュしながら、体力気力を回復して、再び周囲の混沌の中に打って出る、という方法だった。
おおむね、これはうまく行くのだが、うまく行かないこともある。そこがまた散らかる場合もあるし、作り上げた空間が何かどうもしっくり来なかったり不都合が見つかったりで、また作り直したりする場合もある。

今、何とかこれで固定したと言えるかなと思えるのが、私が第二書庫と呼んでいる、窓のない暗い部屋の、書棚に区切られた一角だ。
ここには、何度か人にもらってもらいかけた、古い小さいデスクと椅子がある。デスクは傷だらけだが、椅子とともにかっちりしていて、踏み台がわりに使えるし、この空間にはちょうどいいサイズである。
机の上にあるライトは、触ったら点灯する。叔母が昔くれたもので、彼女の趣味そのもののピンクでかわいい。横の小さい丸テーブルもデスク同様、昔私が買った安物。かけてあるビニールクロスは、私の愛猫だった故キャラメルが、死ぬ前に寝ていた台所のテーブルにかかっていたから、二十年近くなるが、つい捨てられない。その下の青いテーブルかけは、田舎の家のがらくたの中から掘り出した。床のラグは叔母の遺した、多分かなり上等の品のようだ。
ここには映っていないが、天井からは奮発して買ったアンティーク風のライトが下がり、押し入れや本棚の前には、安いがお洒落な買ったばかりのカーテンが、アクセントにかかっている。何があってもここだけは散らかさず、時々座ってランプをつけて、ちょっとだけ本を読んだり、お茶を飲む。ラグの向こうには、未整理の荷物がまだ積まれている。

その手前が、昔は書斎や寝室に使っていた小さい部屋で、窓からいっぱいに朝の光がさしこむのが魅力。ここで朝の陽ざしに包まれていると、同じように広い窓から日光があふれた、田舎の家の広い廊下を思い出して、そこにいるような気持ちになれる。
おいてある椅子とソファは、昔、田舎の家の応接間で使われていた。その後、他のがらくたといっしょに空き部屋に詰めこまれていたのを、大工さんに業者を探してもらって、布をはりかえ、手すりの藤を巻き直してもらった。本当はもう一つ椅子があったのだが、それはその空き部屋の中にはなく、見つからないままだった。捨てられたのか誰かが持って行ったのかわからない。残念な気もするが、もしあったら、もう置き場がなかったろうから、これでよかったのかもしれない。
テーブルかけで見えないが、テーブルもソファや椅子と対の古めかしい藤製だ。テーブルクロスはやはり田舎の家の戸棚から見つけたもの、上のガラスは、昔私が使っていた、パイプの低いテーブルがこわれて処分した後、それだけ残っていた天板を押し入れにつっこんでいたもの。
ランプは私が買ったもので、おしゃれなインテリアのように見えて、けっこう明るく、本も読める。

子どものころ、応接間に隠れて本を読んだりしていたことはあっても、大人になってからは、この椅子にゆっくり座る機会などはなかった。ところが今使って見ると、少し小ぶりではあるが、背もたれの具合が抜群によく、実に快適にくつろげる。
今はここに小さな仏壇をおいて仏間代わりにしているから、線香を立てたあと、燃えつきるまで、椅子に座って時間をつぶす。なかなか読めなかった世界文学全集のぶ厚い本とかのページをめくっていると、とても快い時間が過ぎる。「楽園への道」と「世界短編文学集」を読み終えたあと、今は「私は英国王に給仕した」をちびちびかじっている。仏壇に供えたお菓子をちょくちょく横取りして、つまむのも楽しい。
今のこの部屋の居心地のよさは、多分このまま永久保存していいだろう。

その仏間から見える台所が散らかっているのが、気分がこわれるので、当面、母の死後に施設の部屋からとり戻してきた、折り畳みできる白い小さなテーブルと丸椅子で、台所をきれいにした。このテーブルセットがまた何気なく買ったのだが、すぐれもので、どことなく、すっきりして、おしゃれなのだ。
満足していたのだが、その後、二階へ行く階段の下の、とても小さい部屋というより空間を有効活用したくなった。ものおきにおいているデッキチェアと、叔母の白いワゴンでリゾート風の空間にしてみようかと計画していたが、この部屋の窓は割と高い位置にあり、狭いのもあって、縦に長い空間なので、あまりぱっとしない気がした。
思いきって新しく小さいテーブルを買おうか、しかしものは増やしたくないと考えていて、ふと、この白い折り畳みテーブルではどうかと思った。それでは台所はどうする、ということで、田舎の家に残すつもりで、そちらに運んでいた、がっしり頼もしい、カリモクのテーブルと椅子を、また車で運び戻して、白い折り畳みテーブルと入れ替えて台所においた。

台所はまだ荷物が四方にあるため、少し窮屈である。しかし多分、これでここは行けるのではないかと思うのは、このカリモクの机と椅子とは私はいつからか忘れたが、ずいぶん長いつきあいで、いつも家の中のどこかにあった。特にこれが好きなのは、机をドライバー一本で分解して横板をはずしてしまえることで、私一人で楽々移動できるのである。実はやはりどうしても置き場所が作れなくて、泣く泣く田舎の家に運んだ叔母の大きな茶色のソファベッドも、いくつものピースにばらばらにできて、積み木遊びのように私一人でいくらでも移動できた。こういう家具が年をとると特に、大変魅力的なのだ。
しかも、このカリモク机だが、長いこと分解していなかったので、田舎に運ぶときに私は気づかなくて、外した長いねじを途中で横からさしこんで締めるボルトがあるのを忘れていた。だから一つを残してボルトは全部途中であちこちに落ち、田舎の家で横板をつけ直しても最後までしっかりとまらず、天板はぐらぐらなままだった。私はショックを受けたものの、忙しいからそのままにしておいた。

ところが、その前後の数日、私は玄関先や、車のそばの砂利道や、台所の床から、落ちていたボルトを全部回収できたのだ。しかも最初は何かわからず、何かの部品かと思いつつ、捨てかけてふと取っておいた。三つめあたりでさすがにはっとし、これはもしやと田舎に帰ってはめて見たら、しっかりとまって、まるで八犬士がめぐりあうように、ボルトは奇跡的にまた全部もとのさやに収まったのだ。
そういう事情があったにもせよ、この机が果たして私の狭い家で私が死ぬまでそんなに長いこともなく使われるのと、田舎の家で新しい持ち主に活用してもらうのと、どっちが幸福か微妙なところかとも思うけれど、ともかく今はこの家で、昔通りに台所の主になってもらうことにした。
ひとつ、ちょっと悩ましいのは、仏間の古い応接セットと、このどっしりしたカリモク机の雰囲気が似ていて、同じ部屋が並んでいるようで、そこがちょっと面白くない。
いずれ、台所がもうちょっと片づけば、何かちがう感じにする工夫をしたい。

白い折り畳みテーブルの方だが、ぎちぎちに詰まっていた荷物を捨て身で引きずりだして、何とか作った空間に一応ぶじにおさまった。
ここにも昔食堂にあった古い椅子がある。それとも合わせて、何とかうまく配置できたし、新しいラグもしいて小ざっぱりした空間になった。そして気がつくと、ここも窓からさしこむ陽ざしが明るくて、夕方まで本が読めるのだ。
あまりに狭くて、写真もちゃんと撮れないのだが、新しく買ってきた、小さな円筒型の扇風機と薄緑色のLEDライト(どちらも現品限りで安かった)を置いて、コンパクトだが快適な場所である。
ここが一番、荷物の山のただ中にある。最前線の砦といったところだろう。

荷物はまだ風呂場まで満杯だが、ほぼこのように、各地域の基地となる魔法陣は完成した。
そりゃ、こうやって築いた結界の外、境界線の向こうにはまだまだ混沌と混乱の闇が広がっているとは言え、これからはその闇を切り崩して行けばいいはず…なんだけどな。(2017.7.4.)

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カツジ猫