(30)紫の猫
どういう小説をライトノベル、いわゆるラノベというのかさえ、私はよくわかっていない気がするけど、とにかくどうやらそういうのらしい、かわいいイラストの表紙の文庫本を見ていると、最近圧倒的に、喫茶店だの古着屋だの本屋だの食堂だのカメラ屋だのと、お店を舞台や題材にしたものが多い。普通の小説にも、そういうものが増えて来ているようだ。
私が子どものころ人気があって家族皆でよく見ていたテレビの人気ドラマ「事件記者」(永井智雄とか、そうそうたる新劇俳優たちが主役やってたなあ)でも、敏腕記者たちはしょっちゅう、「おちかさん」という和服のママがいる「ひさご」という店にたむろしていたから、まあそういう憩いや癒しや第二の家庭という場所は、架空でも現実でもよくあったのだろう。そして最近のそういう小説では客の側のみならず店側のスタッフの生きがいや疑似家庭としても、そういう店は登場している。
ところが私は若いころから、この行きつけの店とかおなじみの店とかいうのが大の苦手で、最高の理想を言わせてもらうなら、毎日毎週何年通いつづけていても、まるで見知らぬ客として扱ってほしい。座ったとたんに「いつものですね」と好みの酒を出されたりすると、もう椅子から転がり落ちて死にたくなるぐらいの気分になる。
友人のなじみのお店に連れて行ってもらったとき、その店がやがて閉店すると聞いた彼女が「そんな!やめないで下さい」と真剣に頼んでいるのを聞いて、えーそんなプレッシャーかけて、思い直されたりしたら、店のあるじの人生にあんた責任とれるんかいとびびったし、たしか名古屋にいたころ、家から少し離れた感じのいい街並みの中にあった、明るいスマートなパスタの店に、あまり入りびたらないようにしようと、行きたくても我慢してそれでもけっこう通っていたら、お店の何かの記念のお得意様向けのTシャツをもらってしまってドキッとし、ショックのあまりかえって足が遠のいて、我ながらつくづく扱いにくい客だよなあと、自分で自分にうんざりした。着古して色あせたそのTシャツを何となく今も大事にとっている自分の気分もまた不可解だ。
このところ数十年(長いやん)なぜか行きつけの美容院や喫茶店その他もろもろのお店との関わりが妙に深くなっており、お茶はいただく人生相談はしあう家に招くなどという関係が増えていて、もう人生末期になって自分がやけになったとしか思えないのだが、そういう場合でも基本はやっぱり、カットの技術や店の品物や食べ物の味が好みにあっているからで、それがなくなったら行かなくなるだろう。言いかえれば、そうできるような距離を保っていなくてはいけない、それがお店に対する礼儀だという思いが、心のどこかにいつもある。居心地のよさがかりにあったとしても、それは相手が仕事の上で提供してくれているサービスであるかもしれないと、「遊女の誠は四角い卵」と達観している江戸の通人客のようなことを考えている。
もしかしたら家族や師弟や友情も、一方が相手の「居心地よさ」を無条件に保障することが前提となっている時点で、もういつ解消されてもしかたがないし、永遠のものではあり得ないと私は感じているのかもしれない。
だから私にとって、記憶にずっと残るのは、むしろあまり行かないままに、いつの間にか消えてしまったり、一度だけしか訪れなかった店である。
叔母や叔父が元気なころに、よく博多のそこそこ上等の店に食事をしに連れて行ってもらった。大丸デパートの上のレストラン街にあった京都の和食の店もその一つで、叔父が亡くなりその数年後叔母も亡くなってから、私はめったにその階に上がることをしなかった。もうそのころは私もちゃんとそれなりの収入があって、叔父たちにごちそうをしてもらうのが、たまさかの贅沢だった貧乏学生ではなかったから、叔父たちをしのんで、その店で一人で豪勢な食事をすることは充分にできたし、一度か二度は友人を誘って行った気もする。淋しさと懐かしさが入り混じる、それは幸福なひとときで、そういう場所があるということは、ひそかな楽しみでもあった。
ところがある日、何気なく紅茶でも飲もうと、その階の喫茶店に久しぶりに上がったら、他の店も廊下のディスプレイも何一つ変わっていないのに、その店だけが似たような店に代替わりして消えていた。
私はその時初めて、まだ叔母や叔父と過ごした時間が、あそこには残っていると、足を踏み入れなくても、いや踏み入れないからこそ心の支えにしていた空間が、ここだったのだと気がついた。自分の中に抱えつづけていた、その存在の大きさに驚いて、しばらくエスカレーターの手すりのそばから動けなかった。窓からベッドをのぞきこんだピーター・パンじゃないけれど、いつまでも変わらずに自分を待っていてくれるものなんか、あるはずがないと、この年になってもわからなかったのかと、心のどこかで苦笑してもいた。
その後何年かして紅茶の店もなくなった。今もときどき友人と食事をするが、もうそのレストラン街は過去の国へと導く神秘的な世界ではなくなり、いやというほど普通の場所になっている。
「ねこまや」という店の記憶はもっとあいまいだ。今ネットで調べれば、同じ名の店は京都にある。猫グッズを売っているのも、写真で見るたたずまいも、私が昔行った店に似ている。
しかし私の記憶では、この店は多分東京の新宿にあった。大学院生のときか就職してすぐだったか、資料調査か学会か大学の会議だったか、それもすべて記憶にない。まだそれほどの猫ブームではないころの、今はもうとうになくなっている猫関係の雑誌か、それともただの普通の雑誌か何かの本の隅っこに、「ねこまや」という店の記事がとても小さく載っていて、なぜか私はそこに行こうと決心した。これまた今のように、ペットや猫に特化した商品を扱う店など大都会でもなかったから、そう驚くほどのことではないが、まあそう普通のことでもなかった。
忙しい予定の間に私は地図を見たり人に聞いたりして、その店を探した。今のようにパソコンもネットもなく簡単に見つかるものではなかったが、それでも結局探し当てた。田舎者が新宿と言う地名で連想するような、華やかな通りやにぎやかな場所ではなく、多分普通の住宅街の一角に、薄暗い小さなその店はあって、中は珍しい猫グッズであふれていた。
私はそこで、何を買ったか正確には覚えていない。旅先なのに、かなり大きな紫の縞模様の猫のぬいぐるみを買い、もう一つ何か似たようなものを買った気がしてならないのだが、記憶違いかもしれない。ほしいものばかりだったが、お金と持てる荷物の大きさが気になって、かなり我慢して選んだことを漠然と覚えている。あと、猫の模様のTシャツを三枚買った。
猫好きにありがちなように、私も猫グッズはあまりかわいいものよりは、一癖ありげな変なのを好む。この紫の猫のぬいぐるみも、顔つきといい姿といい、あまりよそでは見かけないような独特の、無気味と紙一重の外見をしていた。本当の猫と似た、ずっしりとした重さもあった。妙な高級感もあるのだが、どこにおいてもあまりなじまず、変に目だった。私は何となく敬して遠ざけるような感じで、いつもここじゃないよなと思いつつ、窓辺や机の上にのせていた。
ふだん暮らす新しい方の家で、洗面所の入口のドアを開け放しておくのに、やわらかい適当に動く感じのドアストッパーがほしくなったとき、ふと思いついて、この紫の猫を持って来ておいてみた。変にサイケデリックだし、高級感もあるしで、似つかわしくない気もしたのだが、大事に飾っていたときよりずっとしっくり、フローリングの床になじんだ。ちょうど本物の猫が座っているような大きさとたたずまいも、見ていて妙に安心できた。足で気軽に動かしたりしていると、もしかしたら、これが一番この猫の、いるべき場所なのかもしれないと思えてくる。
いっしょに買ったTシャツ三枚も、かれこれ五十年近く、毎年着ている。一枚は花札の猪鹿蝶が全部猫バージョンになっている(蝶のやつは、牡丹の後ろをよく見て下さい)。あとの二枚も決してかわいい猫ではない。ふてぶてしい面構えの大きな一匹が胸にはりついているシャツは、以前友人と出かけたシベリア旅行のときに着て行った。ハバロフスクまで海路だったので、その船の甲板で友人が撮ってくれた写真では、同じツアーの小さい子どもたちに囲まれてわんぱくの親玉のように笑っている私の胸で、この猫も仏頂面のまま、日本海の潮風に吹かれている。
おそらく私は、あの店をもう二度と見つけられまい。それでもたしかにあの店で過ごしたのだと、これらの品々を見るたびにあらためて記憶のかけらがよみがえる。(2017.12.4.)