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(33)春が好きな理由

どこの家庭でも、特に高齢者の捨てられないごみの中には大量の紙袋が多いという。私だってしっかり高齢者だから、相当の量の紙袋がたたんでとってあるのが出て来て、自分でもあきれる。

幸い、近くのスーパーで回収してくれる古紙は、ひもでしばってもいいが、紙袋に入れて出してもいい。
私は律儀にひもでしばっていたのだが、リサイクルおたくの友人が、「本当は紙紐でないといけないらしい。東京の自治体とかはそう指定している。でも紙紐って売ってないんだよね、なかなか」と教えてくれたので、じゃあ小包用のひもで縛るのも紙袋で出すのも同じようなもんかと思って、最近はもっぱらこの、山と積もった紙袋に古紙をつめこんで、ストックヤードに運んでいる。それでかなり紙袋も減ってきたが、まだまだありそうで、心強いのか心細いのか、気分は微妙である。

とにもかくにも、そうやって、少しずつでも外に出せて減って行くということ、更にその前段階として、ポケットティッシュ、古いハンカチ、ビニール袋、割り箸などが出てきた時に、はい、あなたはここ、と落ち着く先が決まっていて、そこに置いてさえおけば、いずれは正しく使われて減ってなくなって行くことがわかっていると、実にもう心が休まる。
どうしようかと迷って、手にとってはまた戻し、いつか使うだろうと思っている内にどんどん増えるというのが何と言っても最悪だ。

そうやって増えてしまうものの中でも、わりと大きな部分を占めるのが、私の場合は封筒、便箋、絵葉書、シールのたぐいである。筆不精の癖に買いこむし、美術館や展覧会に行ったとき、さしあたり記念に買ってしまうので、いたるところに、いくらでもたまる。中には本当に美しく、永久保存したいものも多いので、なおのこと減らない。
人にあげたり寄付したりしても、それなりに喜ばれるだろうとは思う。しかし、私がそうやって、ためこんでしまうのは、書かない癖に出さない癖に、何となく誰かに手紙を書いてみたいという気持ちが、いつもどこかに、くすぶっているからだろう。

そのくせ、よく考えると私は、返事はほしくないのである。若いときはそうでもなくて、ちゃんと相手からの返事を待って、日に何回もポストをのぞいていたことだってあるのだが、この年になると何だかもう、人から手紙をもらうと、どことなく、めんどうくさい。いっそ、見ず知らずの相手ならいいのかもしれないが、親しい人と手紙のやりとりをしていたら、関係や距離が変化しそうで落ちつかない。
やりとりが恒常化して、出さないと相手が心配するだろうと思うのも気が重いし、だいたい、今私が整理している膨大な荷物の中には、祖父母の代からの家族の手紙がかなりあって、つい読んでしまうと面白いのだが、こうやって保存されて残されると、また誰かの時間を取るよなと思うと、それも何やらうっとうしい。

私は昔から、春が好きだった。特に早春の不安定で落ちつかない季節が好きだった。それまでの秩序が皆一度ぐちゃぐちゃになって、積み上げ築き上げてきた人間関係や共同体が、すべていったん白紙に戻る、あの感じが気に入っていたのだ。
別れの季節を私は悲しいと思ったことが多分ない。小中高から大学、そして就職してからも、ずっとそうで、それはもう、ひと口に言うと、あー、何とか一年もしくは数年、周囲をだまし通した、正体がばれなかったという感じにつきる。

回りの環境も、つきあう仲間も、決して嫌いだったのではない。むしろ、とても好きだったし楽しかった。けれど、いつも自分は何かを演じていると思っていた。楽しい仲間、陽気な教師、その場に必要な人間、逆にいては困る人間。いつも選択し、判断して、自分の役割を決めていた。
本当の自分とは何なのか、私にはわからなかった。それをあらわにすべて示せば、危険だということだけが、なぜかしっかりわかっていた。キツネやカワウソ、エイリアン、その他の何かが何食わぬ顔をして人間界で生きていたら、きっと私のような気分だったのではあるまいか。服のすそからのぞくしっぽや、帽子の下からのぞく耳を、いつも気にして暮らしていた。

それは決して不愉快でもストレスでもなかった。楽しかったし面白かった。それでも、だいたい一年もたつと、次第に疲れて飽きてくる。そのころに春が来て、私を理解していると信じ、愛していると思っている人たちと離れて、私を知らない人たちの中にまた入って行けるというのは、ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように、私にとっては相当に気分のいいことだった。

今そろそろ、人生の最後が近づいたとき、私はあの早春のころと似た感情を味わっているようでならない。さまざまな悪事を働き、人間として許されないことも多分して来た。しかし運よく、いつも何とかきわどく切り抜け、一応無事に定年を迎えて年金をもらい、家族や親族を次々無事に見送った。この私にそんなことができたのは、思い返せば奇跡に近い、いやほんと。
そんな私の正体に、うすうす気づいている人がどれだけいるにせよいないにせよ、そもそもまだまだ私自身さえも気づかない、醜さや恐ろしさを発揮し暴露する機会のないまま、私はまもなくこの世から去る。長くてもまあ何十年ということはあるまい。そのことに私は、何となく、ほっと胸をなでおろし、「そこそこ嘘をつき通せたか」と、ちょっとにんまりとし、それにつけても、まあ世の中や周囲や私の平和と幸福のためにも、しっぽや耳は見せないで「このまま、そっとしておこう」と思うのだ。

私の残りの人生で、もしすることがあるとしたら、この、今まで誰にも見せなかったし、私にさえもわからない自分自身と向き合って、いったい自分はどういう人間だったのかを、じっくり考え、知ることだろう。むろん、誰にもそれを知らせる必要はない。
それを検討し分析するのに必要なだけの資料は、もう手元にそこそこたまっている気がしている。人によっては少ないと思うかもしれないが、私はこれでも十分だ。というか、手に余る。
要するに私は最晩年は自分自身とつきあいたいのだ。その他のことは、もうそっとしておきたいのだ。

というわけで、便箋や封筒や絵葉書は減らない。
いっそ、自分自身や飼い猫宛てに手紙を出してみようかとも思った。しかし、いくら切手を貼って郵便事業に貢献すると言っても、それは何となく配達の人に失礼な気もする。やっぱり生身の人間にきちんと出してみるというのが、ここまでせっかく、しっぽや耳や牙やウロコをカムフラージュして、一応の社会人のふりをしてきたからには、守るべきルールではないだろうか。

そうなると、まるで犯罪者が獲物をねらうかのように、それにふさわしい相手の条件を数え上げてしまうのだが、まず、私から葉書や手紙をもらっても、そんなに影響を受けない人、私との距離が変わらない人、もちろん、返事をくれたりしない人、私から受け取ったはがきも手紙も大事に保存したりしない人、私が毎日ハガキを出しても、そしてぱったり出さなくなっても、全然気にしない人。何だかとても、いそうにはない。

白羽の矢を立てるとすれば、最初に書いたリサイクルおたくの友人で、彼女は私の醜さや汚さや人間として最低の面を、かなりよく知っている。だから信じていないだろうし、だから信じてくれているだろう。私はいつ彼女に見限られても裏切られても驚かない。自分はそれに値する人間だと常に自信を持っている。
職場や家族のことで連日何時間も電話で愚痴をこぼすなど、彼女には常にいろいろ大変な迷惑をかけた。彼女がいなかったら、母の介護も絶対に乗り越えられず、しめ殺して家に火をつけたのじゃないかと思うほど、私は彼女に救われた。しかも感謝をするどころか、しばしばぶちきれ、文句を言った。

彼女ほどではないけれど、私を受け入れ、大目に見てくれていた友人は、もう死んだ人も生きている人も、それぞれ何人かいて、もしかしたら私の怪しい本性はけっこう見抜かれて、あきらめられているのかもしれない。まあしかし、とりあえず彼女に、山のようなハガキの処分先にしていいかと聞いたら、別にかまわないとのことだった。
そういうわけで、私はせっせと彼女にハガキを出すことにした。返事はいらないと言ってあるが、彼女はたまにメールで返事をくれる。頼むから、負担に感じたり何かお返しをしようとか思ったりしないでいてほしいと、私はかなりびくびくしている。

というのは、やってみたら、これがハガキの処分だけではなく、気分転換にもとてもよくて、いつでもやめられるしサボれるというのも最高で、その快適さは予想していたよりもずっと大きく、もうだんだん、これがなければ生きていけない中毒状態になりそうなのだ。
内容はまったく他愛もないことばかりだ。雪が降ったとか、バスが混んだとか、野菜を買い損ねたとか、とことん、どうでもいいことばかりで、それがまた、妙にぜいたくな気分になれる。
幸いハガキは、祖父母や母や叔母夫婦が残したものもあるので、大昔の百貨店のものやら、各地の社寺のものやら、宝塚の顔写真やら、単に古い5円ハガキやら、もうありとあらゆる、めちゃくちゃな取り合わせで、次から次へと家のあちこちから出現し、一向に減る気配がない。私がぼけるか死ぬまでに、果してなくなるかも疑問なくらいだ。
そうなると、今度は相手がいつまでいてくれるのだろうかと心配になる。やり始めてわかるのだが、多分、こういう、わけのわからん関係の友人なんて、いくらでもいそうでいて、絶対他には、この世に存在しない気がするのだ。(2018.1.24.)

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カツジ猫