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(38)海老と三宝

子どものときに大きいと思って見たものも、成長してから見ると案外小さかった、という話はよく聞いたり読んだりする。
だが、がらくたの中から出てきた木製の三宝は、私の記憶よりもむしろ大きかった。

私が育った田舎の家は、玄関を入ると正面に六角形の模様の入った厚いガラスの戸で囲まれた応接間があった。古い応接セットがあって、玄関の向かいの壁にはわりときゃしゃな感じの飾り棚があって、掛け軸などが下がっていた気がする。正月になると、その棚の上に祖母は大きな鏡餅を飾った。昆布や干し柿、するめなどで飾り立てられた鏡餅には、作り物の大きな伊勢海老がたてかけるように載せられていた。

応接間は薄暗く、めったに使われることはなかった。それだけに何となく、隠れ家のような楽しさがあって私は好きな部屋だった。椅子と同じ籐の脚の四角いテーブルには、いつも十年一日のごとく、水色と青のブドウの模様のテーブルクロスと、四角いレースのテーブルセンターがあった。
正月に鏡餅を飾ったからといって、そこに家族がつどうわけでも、お客が集まるわけでもない。そういうのには、応接間に続いた、囲炉裏と置き床のある和室が使われていた。それでも、必ず鏡餅はその応接間にひっそりと堂々と飾られることになっていて、人の近づかない神殿のようだった。年に一度のその晴れの舞台を、応接間も鏡餅を載せる三宝も、何となく誇らしく思っているようだった。

私が大学生になるころには、祖父母も年をとり、古い家には客も少なくなっていた。いつからか、もう鏡餅も飾られなくなっていて、その三宝のことなど私はすっかり忘れていた。
祖父母も亡くなり、母も私の住む町の老人ホームで暮らすようになり、田舎の家の片づけにかかっていた私の前に、何十年かぶりに現れた三宝は、古ぼけて汚れて、あちこち虫が食ったように傷んでいても、記憶にある以上にがっしり大きく、妙な風格もあり、処分するのは思いきりが必要だった。もちろん私にそんなものはなくて、何となくそのまま部屋のすみに置いていた。

せっかくだから、昔のようにこれに大きな鏡餅を載せてみようか、と私がいたずら心を起こしたのは、田舎の二軒の家のひとつを人に譲り、残った新しい方の家にもう母もいなくなって、一人で何度か正月を過ごしたころのことだった。
母がこの家に一人で住んでいる間は、私は街の自分の家で猫たちとクリスマスを過ごし、大みそかと元日は田舎に帰って母と新年を迎えていた。母が老人ホームに来てからは当然クリスマスも正月も街の自宅で過ごし、ホームの母に会いに行っていっしょに祝うことにしていた。誰もいなくなった田舎の家が淋しいだろうと、年末には一応帰ってしめ縄や鏡餅やその他の正月飾りを飾り、また来年くるよと言って私は街に戻ることにしていた。

そう言えば、叔父と叔母が亡くなったあと、空になったマンションを親戚に引き取ってもらうまでは年末にはそこの玄関にも私は毎年しめ飾りを飾りに行っていたものだ。叔父と叔母に恥しくないような、大きなしめ飾りを近くで買って、寒風吹きすさぶマンションの高い階段の上にある入口で、脚立に乗って悪戦苦闘しながら、しめ飾りを縛りつけていた暗い夜のことを思い出すと、あのころはまだ若くて足腰も強かったからできたが、今なら危なくて無理だろうとつくづく思う。
家でも人でも持ち物でも、愛して世話して管理するのは、楽しいけれど同時につらい。それを手放し、別れを告げるのは、淋しい一方、安らかでもある。そのことを、頭や心よりも、むしろ身体で実感する。最終的には自分の肉体に対しても、そんな風になるのかもしれない。

で、誰もいなくなった田舎の家の、いつも母とテレビを見ていた居間に、私はくだんの三宝を置き、半紙をのせて、友人からもらった大きな餅を重ねて載せた。昔とはうってかわって何の飾りもない素朴な鏡餅だが、鏡餅にはちがいない。三宝はそしらぬ顔で、それなりに、堂々と明るい新しい家の一角で、正月らしい風景を作っていた。
考えてみれば七十近くなった私が、本当の大きな餅を自分で飾ったのは、それが初めてだった。それまではずっと、布製や陶器のフェイク餅を飾っていたのだ。そのため、片づけ時がよくわからず、餅をかなりかびさせてしまうという失敗はしたが、ちゃんと三宝を使ったことに私はひそかに満足していた。

その新しい方の家も人に貸し、荷物を皆、街の自分の家に引き上げて、足の踏み場もなくなった(2ちゃんねる風に言えば「←今ココ」という状況)今年の正月、いっしょに引き上げてきた三宝を、散らかりつくした家の居間のテーブルをやっと片づけた上のわずかな空間にかろうじて安置し、そこであっさり簡単な鏡餅にしたら、ちょっとわびしいかもしれないから、思いっきり豪勢に正式に飾り立ててみようかと、どこにそんな時間があるのかという状況下、とてつもない野心を起こした。

と言っても、祖母が飾っていたのをちゃんと見ていたわけでもなく、正式な飾りつけを知っているわけでもなく学ぶ気もないから、とことん適当に干し柿や昆布やするめを買ってきて、スーパーで買った、中に小餅の入っている、つるつるのプラスティック容器の巨大な鏡餅に、見よう見まねですえつけた。それでやめておけばいいのに、私はまた、自分でもあきれるようなことを思いついた。
海老がほしくなったのである。

もちろん、昔祖母が飾っていた作り物の海老は、とっくにどこかになくなっていた。そもそも、それほどちゃんと見ていた記憶もない。それでも、暗い応接間の奥の大きな鏡餅のまん中にくっついていた鈍い紅色の海老は、ずいぶん古びて、あちこち欠けてもいたような気さえするが、その中心のように記憶の中に残っている。
別に同じような海老でなくてもいいから、新しくきれいな海老を買ってきてつけてやろう、そうしたら三宝も映えるだろう、あんなもの正月用品の売り場に行けば、きっといくらでもあるだろう、と思ったら、これが非常に甘かった。デパートのそれらしい売り場でいくら探しても似たようなものさえないのである。

正月に鏡餅に海老をくっつけるなんて、うちだけの風習だったのかしら、と自信をなくした私は、あきらめがつかずにネットで調べてみた。
たしかに鏡餅に海老は飾られるようだが、それ用の商品となると、どうもよくわからない。こんなことに時間を費やしている場合かと毎晩自分をののしりながら、せっせとネットで検索している間に、プラモデル風のもの、金属製の芸術品、ちりめんなどの布のぬいぐるみ、などなど、我ながら海老オタクになりそうなほど、さまざまな海老と出会った。
だが、直接見られないだけに、どれを買っても失敗しそうだ。これぞと思うものは非売品だったりする。何より一番困るのは、万一買ってイメージとちがって使えなかったとき、これはもうつぶしがきかないというか、他に使い道がないのである。それでなくても、ものがあふれて日夜処分に狂奔している中、海老の置物などを私がいったいどうするというのだ。

私があまりに毎晩検索したものだから、今でも私のブログの横には、「買いませんか? お好きでしょ?」的な映像のCMがいろいろ出る中に、正絹の絹紐で編んだ四万円もするような海老の飾り物がいくつも登場して来る。そんなに高いのは論外として、この手の紐で編んだ海老のたぐいも、なかなかいいなと思ってながめたが、買えそうな値段のは目の色が気に入らなかったりして、あれやこれやで決めかねていた。

そうこうする内、たくさんの映像の中からひとつの海老が次第に記憶に残りはじめた。他の商品とは一風変わった、どれとも似ていないその海老は、アンティークというより単に古い戦前のもので、木製の飾り物として紹介されていた。ひげは折れてなくなっていると断りがあり、5000円の値段がついていた。高いか安いかよくわからないが、私がとち狂って買いかけていた、編紐の海老には、これ以上の価格のはいくらでもある。
何より、その写真の鈍い赤色の海老は、昔私の家の応接間で鏡餅につけてあった海老ととてもよく似ていた。

結局私はその海老を注文して買った。まちがったら大変失礼だが、売ったお店も、これが売れると思っていなかったのではないだろうか。だいたい、こんなものを、どういう人が買うと想定しておられたのだろう。
私はおちょくっているのではなく、何だか売れるとも思えない、この商品を紹介して公開して、私と出あわせて下さったことに、深く感謝したいのである。
ていねいに梱包されて届けられた海老は、古めかしさも雰囲気も、私の記憶に残る海老によく似ていた。ひょっとしたらわが家のは、もう少し細身だったかもしれないが、三宝の大きさと同様、私の記憶はあてにならない。

私は満足して、その海老を鏡餅に載せた。ひげはなくなっていても、こうして見るとなかなか立派で、戦前はどのようなお屋敷に飾られていたのかと、ふと想像する。私が元気でいる間は当分ずっと、この三宝とタッグを組んで、正月のわが家を彩ることになるはずだ。
三宝の下には、叔母の遺した籐のお盆を敷いた。手前には愛猫の故キャラメルが鏡餅と撮った写真を飾った。戌年なので、後ろには街で買ったかわいい犬の掛物(私は得意で同じものを何人かにさしあげたが、これ、よく考えるとあと十二年後までは飾れないんだよね)、横には昔私が子どものころクリスマスのプレゼントにサンタさんが持ってきたと言われて枕もとにおいてあった白い犬をおいた。汚れているが、おなかのねじを巻くと、今でもオルゴールがちゃんとジングルベルを鳴らす。その横の小さい犬は、私が叔父の亡くなる少し前に街で吟味して買ったかわいい犬のぬいぐるみが、お棺に入ってお供について行ってしまったので、何だか悲しくて、その後、叔父の墓参りに叔母と行ったときの空港で、代わりに買った安いお土産品だ。
三宝に最後に飾った裏白の葉は、去年までは家の庭に生えていたのが今年は枯れてしまい、これまたどこの店にも売ってなくて、困っていたら、田舎のお墓に年末にお参りした帰り道にいっぱい生えていたので、車をとめて一抱えも取ってきたものだ。

ところで、この年代物の三宝に恐れをなしたわけでもあるまいが、毎年飾っていた布製や陶器のお鏡餅をはじめ、正月の飾り物いっさいを入れた箱が、今年はついに見つからなかった。
私は田舎同様、今いる街の家も新旧二つが並んでいて、古い方はこの三宝でよいのだが、新しい方の家に飾るものがない。
実はこの三宝の上の巨大な鏡餅は、来年から購入するなとスーパーに言いたくなったぐらい出来が悪くて、プラスティックの容器がへこへこへこんで、上の橙がすごく載せにくかった。田舎の家の、今はそれだけが私の住まいになっている、物置きに飾ってきた同じメーカーの小さいサイズのも同様に扱いにくかった。ごちゃごちゃいろんな安っぽい付属品があって、しかもそれが組み立てにくい。
それで、新しい方の家には、百円ショップの一番単純で何の工夫も飾りもない、小さい木の三宝とお鏡を買って、これももとは田舎の居間にあった置き床においた。すっきりして、ものすごくかわいかった。餅は食べるが、この三宝は、しっかり来年から正月の常連になるだろう。

恐いのは「花の墓場」の項で書いた十一月に買ってきた、白いカラーの花が今なお健在なことで、お鏡の横で、しっかりと美しい姿を保っている。まあこれもめでたいことだ。

悪口を言った、巨大鏡餅も、正月過ぎて解体して、中の小餅を食べ出すと、ひっくりかえした容器が奇妙なオブジェのようで面白く、空になるまでは台所で入れ物代わりに使うつもりでいる。(2018.2.5.)

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カツジ猫