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(40)自然にできた洗い桶

「うちには、ふきんというものがないのよ」と言った友人がいる。ガーデニング命の家事万能で、料理も好きで上手な人だ。
私は家事などまったくわからない人間なので、驚きもしないで、ふうんと聞いていた。
「食器などは皆、自然乾燥にまかせている。父の法事のときに手伝いに来た親戚が、ふきんは?と聞くので、うちにはないと言ったら変な顔をしていた」と彼女は言ったが、それが昔からの家のしきたりなのか、何か科学的根拠があるのかは、何しろ私がそういうことに関心がないので聞きそびれた。
ふきんというものも、まめに洗わなければ案外汚いものだろうし、なければないで、それが正解なのかもしれない。

私はふきんは一応使うが、なぜか昔から、洗い桶というのが苦手だ。
学生時代に初めて親元を離れてアパート暮らしを始めたころ、台所用品をそろえるのに、一応は買ったし、それからも引っ越したりするたびに何度か買ったが、まるで愛情のない見合い結婚をするように、「まあこういうのもないとなあ」という感じで買っていた。
もともと料理は得意でも好きでもないから、いくつか家を建てたときも大工さんにキッチンは狭くていい、流し台は小さくていいと言って、何の要望も注文もしなかった。
最後に建てて、今住んでいる小さな家の台所には大工さんと相談して、限りなく白に近い淡いピンクの表面の流し台をつけてもらい、それは気に入っているのだが、とにかく狭く小さい台所や流し台だから、洗い桶などおくと、もうキュウリを切る場所さえない。そのことだけでもうっとうしかった。洗った食器をそこに伏せても、いつしまうのか、洗い桶自体をどこまで毎回洗うのか、そういうことも見当がつかず、自然な流れを作れなかった。

古い洗い桶をいくつか処分したあとは、もう買うのも使うのもやめた。どうせ一人分の食器だから、そのへんにおいておけば、それこそいつの間にか乾いてしまう。洗い桶と縁を切った私は、家を持たないガンマンや、結婚をあきらめたオールドミスや、定年退職したサラリーマンのように、気軽で自由な安心感にひたっていた。

台所というものに、まったく愛着も執着もこだわりもポリシーもなかった私だが、気づけば何となく、どの家でも、対面式のキッチン風に、流し台の前に立つ自分の背後に、細長いテーブルや机をおいて、そこで調理や配膳をするようになっていた。
今住んでいる、新しい小さな家でも、もともとは書庫におくために、特注して作らせた、厚い木で、がっしりした脚が頼もしい細長いテーブルをおいている。その向こうには昔祖父が使っていた大きな古ぼけたデスクがあって、テーブルはそれにくっついているので、上においてある、猫の水飲み用の大きなガラスの花びんなどが落っこちたりする心配もない。

最初、引っ越して来たばかりで、家具もものも少ない時は、私はそこに、大きめの藍色と白の大根の模様がついた丸い皿をのせていた。適当に料理や果物を載せて、食卓に持って行くこともあった。
この皿は私が好きで買ったものだったが、叔母の荷物を引き取ってからは、その中からもそこそこ大きい皿が、いくつも出て来た。使わないのももったいないというより、しまっておく場所がないので、私はそういう大皿を、祖父のデスクや細長いテーブルの上に適当に並べて、果物や野菜を載せておくのに使っていた。

田舎の家から引き上げた荷物も大量だったが、祖父の死後に一度骨董屋が来て、洗いざらい古いものを持って行ったらしく、大皿などは残っておらず、そのかわり、使いこんだ飯櫃やそれを入れる保温用の藁ふごやざるなどの、さすがの骨董屋も目をくれなかった、どこかの博物館の「むかしのくらし」のコーナーに展示してありそうなものが次々出て来た。
その飯櫃に、あたたかい白いご飯が入って湯気をたてていたり、ざるに野菜や魚がのっていたことを、ぼんやり覚えている身としては、あっさり捨てるのも残念で、藁ふごはスリッパ入れにし、飯櫃は猫の缶詰の保存用に使ったりしていた。

ざるは、思いがけず少なくて、残っているのは一つだけだった。茶色の細い竹で編んだ、ごく普通のざるだったが、どこといって傷んでもおらず、使いこまれたてらいのない風格もあった。どこかに寄付する荷物の中に入れようかと思いながら、私はそれを何気なく、流し台の背後の細長い机においてあった、大根の絵の大皿の上に重ねた。

それから何がどうなったか、実は私にもしかとした記憶がない。
しばらくは、りんごなどを、そのざるに入れていて、茶色のざるの中の赤いりんごの色を楽しんだりしていた。野菜を入れていたこともある。大皿がまったく平べったいのではなく、ややくぼんでいて、それにざるの丸い底がぴったり合ったのか、ぐらつきもしないで、よく安定していた。
そんな風で当座の中継ステーションのようになっていたから、洗濯したふきんをしまう前に重ねて入れていることも多く、時にその上に、洗ったタッパーやコーヒーカップをのせたりしていて、乾いていたら棚に片づけ、ふきんがかすかに湿っている気がしたら即座に洗って新しいのをしいている内、気がつくと、その大皿とざるは、自然に立派にかつみごとに、あれほど私が要領がわからずにいた、洗い桶としての機能を完璧に果たすようになっていた。

それならばと私はそこに、専用にいろいろの手ぬぐいを重ねておくことにした。叔父の旧制高校の同窓会の記念らしい、白地に紺で寮歌を染め抜いたもの、母が八十八か所めぐりをしたときのらしい御詠歌入りのもの、各種の神社仏閣の行事の記念品など、気軽にじょきじょきはさみで切ってふきんにするのは、ちとためらわれて、何となくそのままおいていたものだ。足りない時の補充用には、正月や七夕、各種の行事や単なる気分転換のインテリアとして衝動買いした、お洒落な模様の手ぬぐいのいろいろを、投入することにした。

使うたびにちょっと笑える、まったく私だけの洗い桶が、こうして自然に誕生した。必死で工夫し頭をひねった結果でもなく、まるで品物たちの意志の流れのように、ひとりでに勝手に生まれた。
下敷きになりっぱなしの薄藍色の大皿が少しかわいそうなので、時には使ってやりたくて、もう一枚か二枚ぐらい交代要員としての容器がないかとさがしている。今、植木鉢の下敷きにしている、昔の田舎の家で焼き肉などしていた平たい銀色の鍋や、先日荷物の中からたくさん見つかったレトロな四角の緑と白のホーローバットなど、いくつか候補を選考中だ。(2018.2.8.)

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カツジ猫