(48)叔母のコイン
猫と犬の命日は忘れないのに、叔母の命日を忘れてしまった。
叔母は五月のとてもいい季節に亡くなった。三回忌や七回忌で、墓のある四国のお寺に従姉と二人で行くたびに、美しい新緑の中をタクシーで走りながら、二人で叔母に感謝する。もっとも連休に近いので交通機関やホテルの確保にはちょっと苦労するが、まあそうそう何もかも都合よく行くものではない。
十三回忌をすませて、ちょっと気がゆるんだせいもあるが、もともと、そういう法事というのは、命日当日ではなく少し早めにするものだから、かえって正確な日を覚えられない。母の方は、どうせそんな娘だと思ったからか、クリスマスに死に、愛猫キャラメルもおひなまつりの前日に死ぬという、いきとどいたことをしてくれた。おかげで、ひなまつりやクリスマスの祝い方をどうしようかと、例年ちょっと頭をひねる。
とにかく今年は、はっと気づくともう五月も後半で、叔母の命日はとっくに過ぎてしまっていた。
私はそもそも猫と犬の命日は律儀にお供えなどするのだが、叔母に限らず祖父母の命日も実は覚えていない。祖父の亡くなった年を数えたら三十三回忌を一年過ぎていて、あわてて田舎のお寺でささやかな法事を私一人で行った。
まあもともと仏教だかキリスト教だかよくわからんような家だったし、私も忘れていたからって、そう気がとがめもしないのだが、ただ、気がついてしまったからには、そのままにしておくわけには行くまい、と考えるのもたしかである。
そこで、叔母の命日を忘れていた罪滅ぼしに、何かちょっとしたことをしようと考えた。
叔母の遺した膨大な荷物はまだまだ片づいてはいないのだが、ここひと月ほど、どうしようかと迷って放置していたのが、むぞうさにビニール袋に入れて放置してあった、世界各国のコインだった。
叔父と叔母夫婦はよく海外旅行に行った。きちょうめんな叔父が撮った写真をきちんと貼りつけた何十冊ものアルバムが残っていて、実はそれもまだたしか私は処分してない。叔父は愛妻家で、私が子宮筋腫の手術をした後で、病院に見舞いに来て撮ってくれた写真でも、ピントは常にしっかり叔母の方に合っている。叔母もまた、叔父の撮った写真の中では、いつも世にもうれしそうに笑っている。
その各国さまざまのコインも、国別にちゃんと封筒に入れて、国名と貨幣名を書いているのはどうやら叔父の字らしかった。
売り飛ばしてしまってもよかったのだが、何となくそのままにしていたのは、最後の数年は叔父が病気で昔ほど叔母を大事にしてやれなくて、それでもいつもにこやかに、ちょっといらいらしている叔母をうけとめていたのを見ながら、どういう役割を果たせばいいのかわからずに結局何もできなかった自分が情けなく、二人がまだ元気で幸福のまっただなかにいたころの旅の思い出を、ただの現金にマネーロンダリングしてしまいたくなかったのかもしれない。コインのかたちをしていても、それは二人の旅先で拾った石ころや貝殻と同じように私の目には見えていた。
よく行く花や雑貨の店で、少し前にかわいい模様入りの木箱が売られていた。それも、荷物をかたづける中で出てきた、私がまだほんの子どものころに叔母と叔父が持って来てくれた、卵をかごに入れるのと、りんごを台にのせるのと、二種類のゲームがあって、それを入れるのにちょうどよかったので、その箱を買って中に入れていた。
それがまだ売ってあったので、模様違いのものを買って、コインを入れた。封筒からは出したが実は封筒もまだどこかに押しこんである。その内に、底に敷いてもいいかと考えている。
紙幣も何枚か出て来て、箱を買った店のオーナーと、これも入れた方が面白いとか騒ぎながら、コインを箱につめこんだ。海賊の宝箱みたいで、ピンクの服を着て笑っている、叔母の小さい写真を飾った壁の下におくと、インテリアとしても悪くなかった。
叔母はこれで満足してくれるだろうか。
そう言えば、祖母の三十三回忌もひょっとしたら、そろそろ近づいているような。うかうかしてはいられない。(2018.6.4.)